こんにちは。
昨日は定休日の上に次男がお休みでした。
当初、あれやこれやのお父さんの仕事は一人で動くつもりをしていましたが、朝方息子が「ボクも行く」と言う。
ということで、朝の年寄り宅訪問に始まり、外回りのあれこれすべてに彼と行動を共にいたしました。
年寄りの食事の世話(思いがけぬ孫の出現に喜ぶ年寄り二人・・・)の後は、名古屋までひとっ跳び。
そこでバタバタとお父さんはお仕事をやっつけまして、お昼前に帰半。
道中でこんなものに出くわして、二人で大騒ぎをしながらパシャリ!

レッドブルの宣伝カーだな。
その後せっかくでしたので、二人で外食。
こういう時でないと、外で食べることないもんね。
お昼を過ぎて、買い出しも二人でこなして、再び年寄り宅へ。
朝のことに、じいちゃんが調子が良ければ、車に乗せて好きなコーヒーを飲みにつれて行ってやろうかと次男と話していましたが、朝はまだ調子がよろしくなくて行けず、じいちゃんはそれはそれは行きたそうにしていた。
そこでもう一度来るから・・・と念を押していたんだな。
1時過ぎに行ってみれば、じいちゃんは背広を着て待っていた。
それほどに楽しみにしてくれているのなら、それはそれで二人で誘った価値はあったというものだ。
杖を突いてヨロヨロヨタヨタとますますおぼつかなくなっている足取りでしたが、それでもイソイソと車に乗り込み、3人ですぐ近くの喫茶店へ。
「サンドイッチはどうだ?ケーキはどうだ?」と次男に相好を崩しながら勧めるじいちゃんでした。
3人でおいしくコーヒーをいただいて、じいちゃんはその間、何度も何度も同じ話を繰り返していました。
次男もこのブログを見ているから、書いていいものかどうか迷いながら書きますが、こんなじいちゃんの行動に対する次男の反応と言うのは、言葉にするのが難しいですが、あたしからすると仏様のような対応に見えるんだ。
ニコニコとしながら、ただただ聞いている・・・分別があるはずの56歳のあたしにできないことを彼は簡単にやってのける・・・それがすごいとあたしは己を反省をしながら眺めていた。
「障害者は宝物なんです」とかつて言われたことを、あたしは実感していました。
孔也君、おじいちゃんは本当に喜んでいました。
ありがとう。
コーヒーを飲み終えて帰りの車の中で、じいちゃんは何度も「ありがとう」と言ってくれた。
孫とコーヒー飲めてよかったね、じいちゃん。
姉も年寄りの世話に来てくれまして、それからしばらく隠居で過ごし、やがて帰宅。
その後、夕食までの間、次男は次の旅行のスケジュールを練っていました。
話の流れで、6月にはどうやらあたしと北陸に行くことになるらしい・・・
あたしというものが何であるか?
あたしの存在理由は何か?
次男のお陰で、その答えの核心に近づいている気がしています。
(それほど大そうなものではないですが・・・)
昨日は定休日の上に次男がお休みでした。
当初、あれやこれやのお父さんの仕事は一人で動くつもりをしていましたが、朝方息子が「ボクも行く」と言う。
ということで、朝の年寄り宅訪問に始まり、外回りのあれこれすべてに彼と行動を共にいたしました。
年寄りの食事の世話(思いがけぬ孫の出現に喜ぶ年寄り二人・・・)の後は、名古屋までひとっ跳び。
そこでバタバタとお父さんはお仕事をやっつけまして、お昼前に帰半。
道中でこんなものに出くわして、二人で大騒ぎをしながらパシャリ!

レッドブルの宣伝カーだな。
その後せっかくでしたので、二人で外食。
こういう時でないと、外で食べることないもんね。
お昼を過ぎて、買い出しも二人でこなして、再び年寄り宅へ。
朝のことに、じいちゃんが調子が良ければ、車に乗せて好きなコーヒーを飲みにつれて行ってやろうかと次男と話していましたが、朝はまだ調子がよろしくなくて行けず、じいちゃんはそれはそれは行きたそうにしていた。
そこでもう一度来るから・・・と念を押していたんだな。
1時過ぎに行ってみれば、じいちゃんは背広を着て待っていた。
それほどに楽しみにしてくれているのなら、それはそれで二人で誘った価値はあったというものだ。
杖を突いてヨロヨロヨタヨタとますますおぼつかなくなっている足取りでしたが、それでもイソイソと車に乗り込み、3人ですぐ近くの喫茶店へ。
「サンドイッチはどうだ?ケーキはどうだ?」と次男に相好を崩しながら勧めるじいちゃんでした。
3人でおいしくコーヒーをいただいて、じいちゃんはその間、何度も何度も同じ話を繰り返していました。
次男もこのブログを見ているから、書いていいものかどうか迷いながら書きますが、こんなじいちゃんの行動に対する次男の反応と言うのは、言葉にするのが難しいですが、あたしからすると仏様のような対応に見えるんだ。
ニコニコとしながら、ただただ聞いている・・・分別があるはずの56歳のあたしにできないことを彼は簡単にやってのける・・・それがすごいとあたしは己を反省をしながら眺めていた。
「障害者は宝物なんです」とかつて言われたことを、あたしは実感していました。
孔也君、おじいちゃんは本当に喜んでいました。
ありがとう。
コーヒーを飲み終えて帰りの車の中で、じいちゃんは何度も「ありがとう」と言ってくれた。
孫とコーヒー飲めてよかったね、じいちゃん。
姉も年寄りの世話に来てくれまして、それからしばらく隠居で過ごし、やがて帰宅。
その後、夕食までの間、次男は次の旅行のスケジュールを練っていました。
話の流れで、6月にはどうやらあたしと北陸に行くことになるらしい・・・
あたしというものが何であるか?
あたしの存在理由は何か?
次男のお陰で、その答えの核心に近づいている気がしています。
(それほど大そうなものではないですが・・・)