あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

よりによってこんな日に 2 宇和島城

2021-12-28 09:03:21 | 旅行
 結局、土居真珠さんに昼過ぎまで滞在しました。これからの予定はー
 1 宇和島の鯛飯を食べること
 2 宇和島城に行くこと
 3 天赦園に行くこと
 4 きさいや広場に行くこと、そしてお土産とロイズのソフトクリームを食べること
 
 半日でこれだけ。予定と言うよりノルマに近い・・・・
 
 お昼には「穂積」で宇和島鯛飯を食べました。
 高野長英居住跡の隣にあるこのお店、以前に来たともここで食べた記憶があります。
 愛媛には2種類の鯛飯があって、宇和島鯛飯は漬け汁につけ込んだ鯛の刺身をご飯にのせ、,出汁と生卵をかけて食べるもの。 瀬戸内海側の中予、東予で食べる鯛飯は、ご飯に鯛を炊き込んだものです。どちらもおいしいです。
 宇和島は小さな城下町です。お城はすぐに見つかりました。けど入り口が分かりません。お城のまわりの道をぐるぐると走ってやっとそれらしきものを見つけました。
 あとで地図で確認したところ、桑折氏武家屋敷門でした。反対側にも門があったようです。
 
 
 門をくぐるとすぐ石垣と石段が続いていました。
 
 
 石段を登ったところから道は二つに分かれていて、左へ行くと天守への近道だけど急な坂道、右へ行くと緩やかだけど遠い道。どちらを行く? しばし考えた末に、緩やかな道を登って急な道から帰ろうということになりました。その選択、よかったのでしょうか。
 なぞの綿毛を見つけたのはこのあたり。 
 
 大きな木々の茂る明るい森の中を緩やかな坂道が続いていました。
 
 
 
開けた場所に出たり細い道に入ったり
 
 



 
 
 児童公園横を通って・・・孫たちはブランコで遊びたかったけど、この寒いのにとんでもない。なんとかあきらめさせました。
 
 
 けど、これを見たら遊ばずには入られません。まだ残っていた雪。
 
 
 あの辺りが天守かな? 石積みの印象が、松山城よりワイルドでしたね。素朴な感じです。


 
 けれど見た目よりとおかったです。まだまだ山道。鉄製のはしごはのぼりません。奥へ続く道を行きます。


 
 郷土館の前を通って、また階段。
 


  まだまだ階段。城壁が正面に立ちはだかっていました。
 

 
 そしてやっと天守閣が見えてきました。
 
 
 そこへ行くためにまたまた階段
 
 天守の入り口にも数段階段
 
 たくさん階段を上ったこと。山の上にあるのですから当然ではありますが、松山城のようにロープウェイもリフトもありませんから、自力で上るしかないです。ただ、階段は緩やかで、数十段ずつのジグザグになっていますからさほどしんどくはなかったです。
 
 宇和島城の天守は日本に残る13天守の一つです。他にあったであろう二ノ丸や三の丸の建物はありません。天守だけがぽつんと残っていました。
 せっかくですから中も見学しました。こういうところ、足が冷たいので本当は好きじゃないんだけど。スリッパは危ないので履きたくありません。なぜなら


 
 傾斜が70度はあろうかと思われる急階段。しかも一段が高くて、ケイタの短い足ではボルタリングをしている感覚ではなかったかしら。
 
 1階展示。宇和島藩は仙台の伊達家とゆかりがあります。
 
 
 2階展示。愛媛県出身の墨絵アーティスト 茂本ヒデキチさんの墨絵

 三階からの眺め
 宇和島の町が一望に見渡せました。





 海と山とに囲まれたこぢんまりとした町でした。

 ここまでがんばって上ってきたヨウコとケイタですが、さすがに下りるのが怖くて泣き出してしまいました。それほど階段は急だったのです。階段の上と下とに大人が待機、残る大人がそばに寄り添って、励まし励まし、足の置き方まで指示しながらやっと下りてきました。

 そして山を下りるのも急な道を選んだものですから、気の抜けない下山となりました。
 
 
 
 どこの城でも井戸は大事。



 やれやれ、みんな無事に下りてきました。子どもは坂道を走るのが好きですから、心配しました。
 
 
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よりによってこんな日に 1

2021-12-27 11:10:14 | 旅行
 週末ごとに寒波がやってきて、しかもだんだん強くなるーそんな12月。 この冬最大の寒波が押し寄せると言われた中旬の土曜日に、ヨウコの家族と一泊旅行に出かけました。
 
 よりによってこんな日にねえ。
 「雨が降らないだけ、ましですよ。」とヨウコパパ。そりゃそうだわ、娘と旅行すると必ず1日は雨、ら、わだったもの。家を出るときも寒かったですが、南予まで来ると山にも道にもうっすらと雪がかかっていました。
 
 着いたのは、
 
 
 
 宇和海の入り江
 
 小屋つきのいかだがあっていかだがうかんでいて、なんとなくベトナムのハロン湾ににているなあと思いました。
 
 
 海外旅行なんて、いつ再開できるんでしょうねえ。県内の新型コロナ感染は秋から徐々に減り始め、11月末からは感染者0の日を更新中。 そのタイミングで、愛媛県内限定でみきゃん割という宿泊補助制度がはじまりました。念には念を入れ、他の旅行客とは一緒にならないように、古い蔵を改装したという一棟貸しの宿に泊まり、自家用車で移動して、高速で2時間ほどの宇和島市へささやかな旅行をすることにしたのです。
 
 ここは宇和島市にある「土居真珠」という真珠養殖と販売をしている業者さん。ここでは真珠母貝から真珠を取り出す体験ができます。
 
 車を降りたとたん、海風が寒い寒い。ダウンコートを着込んで案内された作業場へ。暖かい部屋でするんじゃなかったのか・・・。 作業をしてみれば、ここじゃないとだめだったことがわかりましたけど。
 
 入ってすぐのテーブルに
 
 
 右下から左回りに アメリカ産のドブガイ(正式名わからず)ドブガイを細長く切ったもの。さらにサイコロ状に切ったもの。円形に削ったもの。これが真珠の核になります。
 上左 真珠をはぐくむアコヤガイ。とりだした真珠(きれいなものばかりとはかぎりません)貝の中に混じっている真珠以外のきらきらするもの。これは砂などに真珠の色が巻いたものだそうです。右上 本物の真珠
 
 アコヤガイの成長を標本にしてありました。小さな小さな稚貝から育て中央の大きさになったら真珠の核を貝の中に埋め込みます。稚貝を大きく育てる業者さんと、真珠養殖業といっても、真珠を埋め込んで育てる業者さんに分かれているそうです。近年稚貝が大量に死亡し、今年は生存が3割だったとあとから新聞で知りました。


  核は大小様々。ドブガイをすべて使うそうです。母貝の大きさによって入れる核を変えます。核はプラスチックよりも同じ仲間の貝殻が一番いいと言うことです。

 
 核入れの作業はモニターで見せてもらいました。
 
 
 わたしたちが貝の「ひも」と呼んでいる部分。そこが真珠の層を分泌するのだそうです。別の貝からひもをとりだして目立つように赤く染めます。それを1㎝くらいに切り取って、母貝を少し開き、身に埋めます。赤く色がついているひものそばに核を埋めます。
 と書けば簡単なようですが、貝にとっては大手術。埋め込む前の健康管理、埋めた後の体力回復、元気になってからの大きく育てる管理、と人間と変わらない慎重な管理が求められるそうです。
 
 そうやって1年から2年育てた貝からいよいよ真珠を取り出します。
 すでにいかだから引き上げてくれていました。
 
 この下に貝があります。
 
 
 
 貝の殻に着いている藻のような細い紐。アコヤガイはこの紐で岩などにくっついているそうで、これを切ると死んでしまうのだそうです。養殖場では貝同士がこれでくっつきあっているのだとか。

 貝を割って

 
 核を入れた部分をぎゅっと押すと

 
 おお~! きれいな真珠が現れました。

 
 アクセサリーに使える良い品があるとは限りません。この日、倍の貝を割って
 

 四個の真珠を取り出しました。 貝柱はその場で頂きました。 ホタテよりもこりこりとして海の香りがしておいしかったです。

 
 とりだした真珠は微妙に色合いがちがいます。
 
 水洗いした真珠を持ってお店の中へ。ここでやっと暖かい場所にいくことがでしました。
 まずは真珠を磨いてアクセサリーにする台を選びました。そして加工しあがるまで真珠のいろいろな知識を教わりました。
 
 変形した真珠。 昔は捨てていたこれら、の真珠も、今は活用しているそうです。これだけを使ってネックレスを作っていましたが、豪華でした。
 
 
 真珠を作れる貝はいろいろあって、淡水パールのできる貝とか、南洋真珠ができる貝とか。

 
 これは? アワビだそうです。内側がきれいなパール色なのは知っていましたが、外側を削るとこうなるんだそうです。

 
 こうした貝は、真珠を作るだけではなく、螺鈿細工にも使われるそうです。
 
 ここで役に立つ知識を一つ。
 
 プラスチックの模造パールと本物との見分け方。
 
 二つの玉をこすりあわせた時の感触が、つるつるは模造 ざらざらが本物。
 ネックレスをぐるぐる回してみてかんぺきに丸くて傷がないのは模造、ややへこみがあったり大きさがちがったりしているのが本物。本物のネックレスは首にかけたとき中央が一番きれいに見えるように、すこしだけ大きい玉を使っているんだそうです。
 
 加工してからのりが乾くまでかなり待ちました。応対してくれた奥さんのお嬢ちゃんがちょろちょろしていましたが、そのうちカウンターに自分で作ったビーズの指輪を広げ、奥さんが買い物券をくれて子ども3人で宝石屋さんごっこが始まりました。ヨウコと同じ学年のお嬢ちゃん、複式学級だそうで同級生は二人だそうです。ヨウコとよく似た雰囲気で、アクセサリーを作ったりするのが大好きというところも似ていました。ふたりとも内気で、すっかり打ち解けるというところまでは行きませんでしたが、楽しい一時でした。
 
  できあがったアクセサリー



 自分のとりだした真珠に好みのアクセサリーパーツを加えてペンダントにしたもの。
 ヨウコ、青みがかった地味目の真珠。子どもだからピンクと代えようか?と提案しても、これがいいと譲らず、パーツも一目でこれがいい、と。迷いがなかったです。実は一番高かった。
 わたし いちばんおおきくてややクリーム色
 娘   ピンクがかったの
 ケイタ 真っ白で形もかんぺき パパの分をハチのブローチにしてもらいました。
 
 さあ、どれがだれのか分かるかな?
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オレンジフェリーに乗ってー冬の京都旅行

2020-01-28 11:41:15 | 旅行
 昨日は大荒れの天気でした。昼過ぎから風が強くなり、停めていた車が地震の時のように揺れました。そして夜には激しい雷雨となりました。近くでバリバリとすさまじい音がしたときはてっきり落雷したと思いましたが、どうだったのか?
 
 京都の街歩きの時こんな天気でなくてよかった。それに、オレンジフェリーが欠航したら帰れなくなってしまう・・・
幸い、わたしたちバス旅行の一行は無事にオレンジフェリーに乗り込むことができました。
 
 夜の大阪南港

 
 バスを降りて乗船口から入ります。
 
 入ったところがすぐロビー。ここで部屋の鍵をもらって
 
 
 
 わたしの部屋は1番向こうの端でした。レストランへ行くには大夫歩かないといけません。まあ、ここに来るまでバスの中で一寝入りしたので少しは体力を回復していましたが。
 せっかくなのでここで遅い夕食をとりました。ちなみに朝食つきのツアーでしたので、朝食もここで食べました。
 
 
 一部二人部屋がありますが、ほとんどが一人部屋です。
 このオレンジフェリー、夜乗り込んで起きたら目的地。なので関西方面に行くにはとても便利でよく利用していました。ただ、昔の船は雑魚寝が主で、それがいやなわたしは追加料金を払って8人ベッドの女性部屋か4人部屋の一等船室かを利用していました。古い船の一等船室に近いのがこのスタンダードな一人部屋。
 
 
 
 必要にして十分な設備。トイレと風呂場は別ですが、展望浴場があります。トイレもきれい。
 
 二階へも上がってみました。
 
 
 大きな壁画
 
 
 吹き抜けのまん中にあるステンドグラス
 
 
 豪華客船に比べたらそりゃあ簡素ではありますが、わりと構造が似ていると思いました。
 ただ安く移動できればいいという時代から、ゆったりと船旅を楽しむ時代になったのだなとつくづく思いました。そして、京都へのバス旅行と言えば早朝に出発して深夜に帰宅というパターンだったのが、このフェリーを利用したおかげで夜まで京都を楽しむことができたのです。とてもいい企画だったなと、満足のバス旅行でした。
 
 
 ただ、この話にはおまけがあって・・・・
バス旅行の2日前ウマオがインフルエンザになって、帰ってみたら患者が二人(トラオ)に増えていました。その後お正月まで、娘の代わりに外出禁止の二人をかかえてわたしは買い物にも行けない日々だったのです。
 
 その間にウマオは壮大な工作を。
 一昨年、まっさらのこの船でおばあちゃんちへ行ったウマオは、そのときの感動をいっぱいお話ししてくれたのですが、なんせたどたどしい説明で理解しがたいこともいっぱいありました。
 ばあちゃんのわたしがオレンジフェリーに乗ってきたというので、ウマオのフェリー熱が再燃しました。
 
 テレビの梱包材で作ったオレンジフェリーと、港へ続く長い道(カレンダーをつなげて約5メートル)車を誘導する矢印もあります。
 
 
 オレンジフェリーのターミナルには待合室があって、そこから乗船口を通って船に入るとそこはフロントロビーです。(古い船は、乗船してからエスカレーターでロビーに上がったような記憶が)ヨウコが乗船している人を描いてくれました。
 自家用車で乗船した人は車を降りてエスカレーターでロビーまで上がるんだそうです(ウマオの説明)なので車が乗船するゲートも作ってあります。
 冬休みの間ひたすらオレンジフェリーごっこをしていて、ばあちゃんも遊びの輪にはいれるようになりました。 
 
 
 
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嵐山花灯路

2020-01-26 11:10:47 | 旅行
 冬の京都旅行、続きです。
 嵐山周辺で冬のイベントが行われていて、最終日でした。名付けて「嵐山花灯路」
 
 
 光とぬくもりのおもてなしといったところかな?
 
 車中でパンフレットをもらい、添乗員さんからいろいろ説明を受けて何となくイメージが湧きました。主要な道が露地行灯で照らされ、生け花で飾られて、寺社や商店、電車の駅などでいろいろなイベントが行われています。できれば全部回って見たいけどそれは無理。時間も限られているのでなるべく遠くを回って、時間があれば近くを回るといいですよ、と説明を受けて、歩く順路を決めました。
 
 渡月橋付近のレストランの駐車場でバスを降りて天龍寺へ向かう商店街を歩きました。
 
 和傘のライトアップ
 
 手前に無粋なビニール傘。ありゃ。
 人が多いんだからしかたないですね。
 このあたりは時間があったらまた来よう。いくつかのイベントどころを通り過ぎました。
 左に入って嵯峨野の竹林に向かう道。途中野宮神社があって奉納演奏をしているらしかったのですが、入り口を通り過ぎてしまいました。それからは一方通行なので引き返すことを断念。
 
 いよいよ竹林。
 
 
 人が多いと言っても思ったほどは多くありません。もう10年近く前紅葉を見に来たとき、嵐山は大変な混雑で商店街を歩くのも必死だったことを覚えています。それに比べれば・・・
雨が降りだしたのが幸いした? それとも夜の観光客はこんな物?
 
 一方通行の道だけど逆行する人もけっこういて、でもあまり邪魔にはなりませんでした。
 
 竹林の中はさすがに道も狭く人も多くて、あちこちで写真を撮る人が立ち止まるのでスムーズには進めませんでしたが。
 
 
 
 幻想的な雰囲気でしたが、歩きながら撮ったものですからあまりきれいには撮れていません。立ち止まってゆっくり撮ったら良かったんだけど。落ち着かなかったわけは・・・・
 おかしい。 小一時間前にトイレに行ったばかりなのにまた行きたくなった。はやくどこかのお寺か神社にたどり着かなければ。だけど竹の小道の人の列はゆっくりゆっくりと進んでいきます。
 幸い、分かれ道に案内所があって、そこでトイレの場所を聞くことができました。案外すぐ近くにあって良かった~ だけどこのあと、トイレを見つけるたびに入いる羽目になって、これはどうしたことかと考えてみましたら、
 スイーツビュッフェの飲み物かあ
 チーズティーだのノンアルコールカクテルだの、片っ端からためして、甘いケーキを食べるために2杯もコーヒーを飲んで、そりゃあねえー これも反省点。
 
 さて、一方通行に従って歩いて行くと小倉池に着きました。
 
 
 池の畔に友禅柄の2メートルくらいある灯籠。着物ってきれい。京都らしい灯りですね。
 池の様子はあまりわかりませんが、枯れた蓮の葉っぱの間にカモらしき鳥が泳いでいました。
 
 
 夜も賑やかで迷惑かも?
 
 この道は所々に大きな生け花が飾られています。これは?
大河内山荘庭園の前だったかな?夜間は開館されてなくて門の前に花があるだけでした。
 
 
 やがて常寂光寺の山門前へ
 ここにも花が飾られていました。
 
 
境内はライトアップされ、京都の夜景も見られるとのことでしたが、たしかここは石段がたくさんあったような記憶が・・・なのでパス。
 
 道なりに歩いて行くと田んぼの中にふわふわと光の風船が
 
 
 
 一つ一つに模様があるのですが、遠くからだとただ光のかたまりにしか写りません。後ろに見えるのが1番大きな行灯かな?中に浮いています。
 
 すぐ左手には落柿舎がありました。江戸時代、松尾芭蕉の弟子であった向井去来の草庵。
 
 
 小さな庵だけど贅沢な空間ですね。
 
 
 縁側に光のしずくが絶え間なく落ちてきます。
 田んぼの巨大行灯も含めて、嵯峨美術大学の学生さんの作品らしいです。
 
 落柿舎を出ると、まだ奥に続く道があって、なにやら明るい。
 
 
 静かに音楽が流れて色とりどりの光。
 何だろうと思いつつ横を通り過ぎました。後で確認したところ長神の杜というところで、足元に和歌が映し出され、それに触れると四季をイメージした映像が地面に広がるとのこと。入ってみれば良かった。だけどわたし、もうかなり疲れていたのです。来た道を引き返すには遠いし。道なりに大回りして、出発点に戻るしかありません。
 
 ここの分かれ道にも案内所があって(所々にありました)カイロと花の種をくれました。ラッキー
 聞けば、奥が二尊院とのこと。
 二尊院! こんなに遠くまで来るつもりじゃなかったのに。どこで道を間違えたか。だけどはっと思い出してパンフレットで確認しました。
 やった! 二尊院から無料のジャンボタクシーが出ている。それに乗ると、渡月橋近くの駐車場まで戻れるのです。
タクシーは、待つ人が10人になれば出発です。さほど待つことなく乗れました。そして10分もしないうちに渡月橋まで帰って来ました。
 
 時間はまだ1時間以上あります。そこで渡月橋を渡って中之島公園へ行ってみることにしました。こちらには花灯路総合本部があっていくつかのイベントが行われているはずでした。
 
 渡月橋をバックに生け花
 
 
 
橋桁がきれい。
 
 嵯峨中学校の生徒たち、近隣4校の小学生たちが作った行灯が公園内に並べられていました。
 





 そして行灯作りの体験コーナーがあったり、創作行灯の人気投票コーナーがあったり、法輪寺では「デジタル掛け軸」と賞するプロジェクションマッピングがあったり、興味をそそられる物はあったのですが、さらっと流してバスの待つ嵐山レストランに帰ることにしました。
 というのも、散策の間はずっとこぬか雨で気にならなかった雨がここに来て雨足が強くなり、水たまりができはじめたからです。
 駐車場から歩いて10分ほどのところにある「宝厳院」の庭園とか、反対方向の嵐山駅の「キモノフォレスト」とかまだまだ見たいものもありましたが、暖かい店内に入ったらすっかりその気が失せてしまいました。
 歩いた歩数1万歩越え。お土産も少しは買わなければ。
 
 漬け物とお菓子を少し買ってバスに乗り込む頃、雨はけっこうひどくなっていました。今回の旅も、雨はアンラッキーの中のラッキーかな? 大事な時は小降りになってくれるのです、なぜか。
 
 
 
 
 
 
 
 
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冬の京都へ

2020-01-24 10:23:21 | 旅行
 去年のクリスマス前のことですが、思い出のためにUPしておきます。
 
 バスで京都へ行き、ホテルのスイーツビュッフェを食べて夜の嵐山を散策し、オレンジフェリーで帰ってくるというバス旅行。なかなかおもしろそう。オレンジフェリー、乗りたい!
 
 日程的に行けるか?行けないか?ぎりぎりまで様子を見ていましたが、出発3日前に申し込んで行ってきました。
 集合場所に行くと、なんと昔の職場の同僚にばったり。しかも、お連れさんがインフルエンザでキャンセル、ということで、席も隣の席に座らせてもらって、思いがけず賑やかな旅になりました。おまけにお菓子の詰め合わせまで用意していて、キャンセルした人の分を分けてくれました。相変わらずこまごまと気がつく人です。
 
 予定ではおやつタイムくらいに京都のセンチュリーホテルでスィーツビュッフェと頂くとのことで、途中で軽食を買って食べてしまいました。これは失敗?
 
 ホテルはクリスマス仕様
 
 
 たしか、90分ごとにお客さんの入れ替えだったかな?わたしたちは団体なので別室に通されました。
 
 お出迎えのスィーツを頂きました。
 
 
 サンタっぽい雪だるま。これにシロップをかけると
 
 
 雪が溶けました。とっても甘い雪だるまでした。本体はマシュマロですものね。白い雪は綿飴、その上にさらに甘いシロップ。いやあ、これを完食したのは失敗だったかも。甘い物はすぐおなかがいっぱいになってしまいます。
 
 バイキングなので無料ですが、注文しないと出てこない飲み物を頼みました。
 
 チーズティー
 上の白い部分がチーズで、下のピンクや鶯色は抹茶やラズベリーのお茶。田舎もんには初めての味。これを早い段階で飲んだのは・・・・やっぱり失敗か。早くもおなかがふくれてきました。
 
 様々なお菓子がきれいに盛りつけられていて、
 
 クリスマスと言えば、ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家。だけど、これは見るだけ。
 
 きれいに盛りつけられたお菓子はすべて一口サイズ。
 
 
 
 見るだけでテンションあがるけど・・・・
 
 これはトマトとチーズです。甘くない。
 
 
 始めに選んだのはこれだけです。
 
 
 あと、お替わりもしたけど(笑)
 それに飲み物は
 
 
 ノンアルコールのカクテル。右の瓶に、色とりどりの飲み物を選んで入れます。瓶の中のはタピオカかなと思ったのですが?不明。そしてコーヒーを2杯。ソフトドリンク1杯。
 
 ケーキ類はどれもおいしかったです。昔食べたケーキバイキングは甘い甘いケーキであまりたくさん食べられなかった。ここのは上品な甘さでした。だけどー
 チョコはやっぱり甘いし、マカロンも甘さ控えめではあったけど甘い。チーズケーキはおなかに重い。なるべくチョコやチーズは避けて取りましたがやっぱりおなかいっぱいになりました。
 お隣さんが食べていたカレーがおいしそうだったので少し取ってきて食べてみたら、これがおいしいの。別腹で食べました。
 がんばったけど90分もは食べ続けられません。早めに席を立ってホテル内を散策。スィーツビュッフェのポスターを見たら、一人3500円ですって! もちろん旅行費用に含まれていますから払ったわけではありませんが。
「3500円かあ。元とれてないよねえ。」みんなでそんなことを言いながらバスを待ちました。田舎ではランチでこれだけ出したらフレンチのコース料理が食べられるもんねえ。だけど、今時400円以下の飲み物なんて田舎でもありませんから、5杯も飲めば2000円以上、やっぱり元は取れてるかな?
 バスの中で軽食をつままなければー
 ウェルカムスィーツを完食しなければー
 チーズティーを半分にしておけばー
 もっと食べられた。
 でも、もう来ることはないでしょうから反省点は活かせません。
 
 お腹いっぱいになってうとうとしながら次の場所に着きました。
 
 
 今年(2019年)がいのしし年だったのでお礼参りと言うことでした。わたし無信心者なので、あまり神様にお願いすることもなく、お礼をすることもなく、ただ皆さんと同じに頭を下げておきました。それよりも

 
 龍の代わりにいのししなんですねえ。
 
 こちらはうり坊かしら、とってもかわいかったです。

 
 出発の頃には降ってなかった雨が降っていました。ちょっとついてなかったかな?

 
 ホテルからここまで30分もかからない行程のはずでしたが、渋滞にひっかかって1時間以上かかりました。先が思いやられます。(続く)


















 


 
 
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旅の終わりはー  奄美大島への旅6

2019-12-28 01:10:09 | 旅行
 昼食がすんでバスに乗ろうとして気がつきました。 
 道ばたに
 
 
 おもしろいですねえ。
 
 ところで、最終日は観光と言うより見学かしら。
 そしてガイドさんが交代しました。昨日までのガイドさん、地図を元に、行く先々、通る道々、きっちりと案内してくれて、歌まで歌ってくれて、教科書通りの優等生。すてきな笑顔と優しい声にさそわれて、ついつい睡魔に襲われて申し訳なかったです。
 最終日は、何度も行き来した道で、地理についてはもう説明を聞く必要はありませんでしたが・・・・ たとえて言うと奄美大島の綾小路きみまろ。 称賛とともにこの名前を贈りたい。車内は爆笑に次ぐ爆笑で、同じ道を行ったり来たりがちっとも苦になりませんでした。
 
 まず行ったのは黒糖焼酎のメーカーである「浜千鳥」さん。
 入り口にでっかい酒瓶が立っています。下の方の車と比べてみてくださいね。
 
 
  始めにいろいろとお話を聞いて、工場の中を見せて頂きました。
 
 
 お酒を造る工場って似たり寄ったり。人の姿もあまり見えません。
 

 そしていろいろ試飲をして気に入ったお酒を買うというシステムも同じです。
 黒糖焼酎というのは、まだアメリカ軍の占領下にあった頃は黒糖だけで作られた、いわばラム酒のようなものだったそうです。日本に返還されてから焼酎にするには米麹を混ぜなければ行けないというので今のようなお酒になったそうですが、原料の6割は黒糖だと言うことです。(記憶が曖昧で、間違ったところがあったらごめんなさい。軽く読み流してください。)
わたし、焼酎は、その香りと味のギャップが大きくて、飲むたびに期待を裏切られたと思うので、あまり好きではないのですが、 試飲した「高倉」というお酒はとてもフルーティな香りで、夫の飲んでいる焼酎とは全く違うと思いました。 たしかにラム酒に近いかもしれません。ここのメーカーでは、原料のサトウキビはすべて奄美大島産だそうです。
 ここで最後の買い物をして、次は
 
 大島紬村へ
 
 
 亜熱帯の植物が茂る公園のような敷地の中に工場がありました。
 
 「大島紬は値段が高いと言われるけれど、その行程を見てもらったら納得してもらえると思います。」そんなセリフを、ガイドさんからも、工場の案内人の方からも聞きました。
 
 
 
 
 これが、泥染めをする田んぼです。職人さんが実演してくれています。
 
 
 
 さて、その行程ですが、
 まず、絹糸を防染のために縛ります。 その縛り方は、出来上がりの模様を元にあらかじめ設計されており、その通りに縛っていくのです。その細かさといったらー
 これ、まだ織ってない、糸を縛った段階です。
 
 
 
 その糸をシャリンバイなどの染料で染めます。
 
 染めては泥水で洗い、染めては洗い、その回数なんと80回。
 染め上がった糸
 
 
 その糸が、次にこうなるらしいんだけど・・・・ああ、詳しいことを忘れました。木綿糸で織ったのかな? 
 
 それから木綿糸を1本1本ほどいて、
 金属のへらのようなもので細かく色を入れていきます。
 その糸を使って機で織ります。
 
 
 ただ織るだけではなく、7,8センチ織るごとに、糸を引っ張って締めていきます。すると模様がくっきりと浮かび上がるので、設計図と同じ模様になっているか確かめるんだそうです。
 どの行程も気の遠くなるような作業でした。
 お願いして手元を撮させてもらいました。まさに宝の手。なぜここまで緻密な織物に仕上げるのか・・・・田中一村といい、大島紬といい、奄美には人をひたむきにさせる何かがあるのかもしれません。
 
 その後売店に案内されましたが、お値段は、マフラーで0が4つ、コートは5つ、着物だと6つ、というところかな? あの作業を見た後では確かに高いとは思いませんでした。手仕事って、みんなそうだと思うのですが、仕事の対価としては決して高くない、ただ、自分の暮らしがその値段に見合わないだけなんです。
 わたし、普段はブランドもののバッグも、高価な宝石も買いません。ただ旅行に出たときだけ、その土地の石で作ったアクセサリーや特産品を買うことにしています。なので、ちょっとだけ贅沢してきました。
 
 
 マフラーなんですが、美しいでしょう? よく見ると、本当に繊細な模様が織り込まれています。
 
 早速使ってみましたが、軽くてどんな色の洋服にも合って、しかも温かい。とても重宝しています。
 
 その後、飛行機が出るまでには十分時間がありましたので、何軒かお店に寄りました。
 お店の近くの海岸でサンゴを拾い

 手作りの塩ができる様子をみせてもらい、



 サトウキビのジュースをごちそうしてもらい、

 さあ、バスに乗りましょうと駐車場に帰ってきたところ、何人かの人が双眼鏡で森を眺めています。このツアーにはバードウォッチングが趣味の方が参加していました。
 なにかギャアギャアというか、ジャアジャアというか、あまり美しくない鳴き声が聞こえていました。
 「何の鳥がいるんですか?」と聞こうと思ったそのとき、
 
 あっ 飛んだ
 
 誰かが叫びました。
 目の前を、カラスくらいの大きさの鳥がばさばさと飛んでいきました。その鳥の尾羽がまるで内裏様の檜扇を広げたような形で、先端に白い点々が連なっていました。同じように翼にも白い模様が。
 カケスだそうです。カケス? ルリカケス? 
 
 ちょうどペーパークラフトを買っていたので見てください。
 
 
 光線の具合で、瑠璃色の羽は黒っぽく鹿見えませんでしたが、翼の先、しっぽの先の白い模様は確かにルリカケスでした。
 


 旅の最後の最後で本当に貴重なものを見られてよかった。奇跡みたいです。
 
 帰りの飛行機では阿蘇山(多分)がくっきりと見えました。
 
 
 この旅行に一人で参加した女性はわたしを含めて4人。 同じ西条市にお住まいのAさん、バードウォッチングが趣味のBさん(いろいろな鳥を教えてもらいました)。そしてわたしのバッグに興味を持って、後日展示会に来てくださったCさん。よいお仲間と楽しい旅ができました。
 始めが悪くても終わりが悪いとは限りません。旅は尻上がりに良くなり、そして終わりが良ければすべて良しというのはそのとおりです。

 長々と書きましたが最後までお読みくださってありがとうございました。あと、番外編として書ききれなかった植物のことなどを書こうと思いますが、これはまた来年に。

 
 
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ロイヤルルート? 奄美大島の旅5

2019-12-26 01:19:05 | 旅行
 旅行記を急ぎます。
 最終日に行くはずだった「あやまる岬」が急きょ本日最後の観光地になりました。
島の南端まで行っていたわたしたちは同じ道を北端まで引き返しました。川へ、 海へ、山への流れで言うと最後は丘。 
 

 バスを降りてなだらかな坂道を上っていくと、いきなりこの眺望が開けました。 きれい。
 


 風が強く、瀬戸内海であれば台風の日くらいしか見られないような大きな白波が押し寄せていました。
 
 この岬の右手につきだして見える土盛海岸に、今夜のホテルがあります。
 あらあら、下にバス停が。あんなに遠いところから上がってきたのかしら。



 考えてみれば、朝から1時間の慣れない運動と、合計600段近い階段の上り下りと、坂道の上り下り。相当の運動量でした。 が、案じていた腰の痛みはありません。風邪のあんばいもよくなって熱っぽさが消えました。

 ホテルは天皇陛下も泊まられたというリゾートホテル。夕食は鹿児島産黒豚のしゃぶしゃぶ。
みんなで鍋をつつくのかと思っていたら一人一人別々の鍋が用意されていました。
 
 これ、一人分。
 


 下に何か盛ってあるのかとはぐってみましたので、少々乱れております。 下まで全部お肉でした。普段の我が家なら、ショウガ焼きと豚汁と2種類くらいの料理に使えるなあ。それくらいたくさんのお肉でした。もちろん他に同じくらいの量の野菜と、ご飯がついています。ご飯は三分の一くらいに減してもらってひたすら肉を食べました。 豚肉の匂いはちょっと苦手。でもこの肉は全く臭みがなく、しつこさもなくとてもおいしかったです。
 完食。
 よく朝は、まだ暗いうちから鶏の声で起こされました。 東向きの海岸ですから日の出が見えるかなと期待しましたが、厚い雲に覆われていたせいか、もともと日の出は見えない位置なのか、はたまたわたしが二度寝をして見過ごしたのか、日の出は見られませんでした。
 
 リゾートホテルらしくプールもあります。

 おもしろい形の木が立っていました。下だけ枝を間引いているのかしら、それとも自然の形?
宿泊棟がいくつかに分かれているタイプのホテル。インドネシアに行ったときも泊まったなあ。
 

  あのときは超デラックスな部屋でびっくりしました。このホテルもかつては 流行の最先端をいくホテルだったのでしょうが、やや設備の古さは否めません。だけどスタッフの皆さんのおもてなしは温かく丁寧でした。さすが。
 
 ヤギが・・・・・・?
 鶏の声もホテルの敷地内から聞こえくるようでした。
 
 この庭から海岸に行けるようになっています。
 
 サンゴのかけらがいっぱい。
 
 だけどうっかり二度寝をしてしまったわたしは時間に余裕がなく、大急ぎで引き返さなければなりませんでした。
 
 観光最後の日は、大島紬村と焼酎の製造工場を回ります。 空港付近を行ったり来たりというコースです。そして、昼食は
 
 またまた天皇陛下もここで召し上がったという「鶏飯」どうも天皇陛下の足跡をたどるような形になったようです。ロイヤルルート? そんな言葉ないかも?
 
 実はわたしは大の鶏肉ぎらい。ここの鶏飯は、天皇陛下がお替わりをなさったほどおいしいのだそうですが、仕方ない肉だけ避けて食べましょうと覚悟してたんです。しかし、そのことを雑談でちらっと添乗員さんに言っていたところ、わたしのために別メニューを用意してくれてました。
 
 まちがいさがし。どこがちがうかわかるかな?
 こちらがちゃんとした鶏飯です。
 
 
 これをご飯の上に乗せ鶏のスープをかけて頂きます。わたし、具だけをご飯にのせて混ぜて食べてみましたが、ちょっとぱさぱさして食べにくい。そこでそばの食卓塩をかけて、お茶をかけてたべたら(お茶漬け)とてもおいしかったです。薬味のネギやショウガがきいて、食べたことのないお茶漬け
 皆さんのお話では、とてもおいしかったそうです。わたしの鶏肉嫌いは味の問題ではないですから。
 
 
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川へ海へ山へ 南へ北へ 奄美大島への旅4

2019-12-23 23:44:07 | 旅行
 川に浮かんだ後は海に潜ります。 今度はスキューバダイビング?
 いえいえ、さすがにそこまでは。
 昼食場所の「せとうち海の駅」から半潜水船が出ていて、半分沈んだ状態で海の中が見えるのです。 今まで何カ所かで海の中は見たことがありますが、驚きました。
 あまりにも広いサンゴの群生
 残念ながらガラス越しの写真はあまり鮮明ではなく、できるだけコントラストを強くしてみましたが、それでもうまくはお伝えできません。
 サンゴの形もいろいろです。


 ビルのように突っ立っているのや



 テーブルサンゴというのかな? 広く広がっているのやら

 このサンゴは触手が動くのがよく見えました。
 
 魚も熱帯系の、テレビでしか見たことのないようなのがたくさん。

 鮮やかな黄色のや

 派手な模様のハギの仲間
 
 あっという間に時間が過ぎてしまいました。
 でも、まだ行くところがありますからね。
 海に潜った後は山に登ります。といっても200段ほど階段を上って、加計呂麻島が見える展望台へ行くだけですが。

 眼下に広がるリアス式の海岸。

 向こうに見えるのが加計呂麻島です。 奄美大島の南端に来ています。 それにしても、朝からカヌー漕ぎ、 階段上って展望台へ、 午後からまたまた階段登りですから、今日はきつい。(わたしにとっては)
 だけど他の人たちは・・・・
 運動し慣れている様子の方もいらっしゃいました。 服装からしてちがいますから。 バードウォッチングが趣味の方もいて、常に双眼鏡を覗いていました。その中の一人はわたしと同じ単独参加で、何かと席が一緒になることが多かったのですが、 いろいろ鳥を見つけては教えてくれました。
 植物に興味を持っている人もたくさんいて、珍しい花を見つけては何だろうと首をかしげ・・・・だいたい旅の目的は同じですよね。
 このあたりにはヒカゲヘゴがたくさん生えていました。 温室でよく見る巨大なシダです。
 
 山を登りながらヒカゲヘゴを下から撮ってみる。
 

 展望台に上って上から撮ってみる。



 展望台の途中から、真横を撮ってみる。

 シダが一枚一枚はがれた痕跡だそうです。
 ヒカゲヘゴのほかにもいろいろ珍しい植物がありました。

 リュウキュウルリミノキ



 何かわからないけど実がガジュマルに似ている。


 シラタマツル


 展望台付近にたくさん咲いていたすみれ。 今頃咲いているのが珍しいです。



 ヘツカリンドウ


 アケボノソウかと思った。 他の人もそう言っていました。


 ムラサキシキブ? オオムラサキシキブ?

 わたし、名前を忘れないためにボイスメモを取っていたのですが、切るのを忘れていて会話がそっくり残されていました。 この実を見つけて
 誰かが、「奄美大島版ムラサキシキブかなあ?」と運転手さんに聞いている声。運転手さんが「そうそう」なんて答えているのですが、ほんと?
 まだまだあるのですが、載せきれなかったものは最後にまとめて紹介したいと思います。
 さて、今日の予定はここまで。のはずでしたが、最終日に行く予定だったあやまる岬に行くことになりました。 きゃあ、あやまる岬って島の北端ですよ。 結局今日は海の底近くから山のてっぺんへ、 島の南の端から北の端まで移動することになったのです。 上下移動、平面移動の激しい日でした。


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初挑戦 奄美大島への旅3

2019-12-20 22:53:35 | 旅行
  奄美大島の旅2日目です。 朝の気温は16度。 スマホでわたしの街を調べたら、3度!! 13度も違うのか。 全国的に冷えるとは聞いていましたが。
 お天気は? 雲はあったものの晴れていました。 この日も朝から予定がびっしり。
 まず向かったのは、黒潮の森マングローブパーク。ホテルからは3,40分のところでした。

 これから、何をする?
 まずライフジャケットを着て、
 カヌーがずらっと並んでいますでしょ? これに乗るのですよ。



 カヌー体験はオプションです。 やってみたいけど、歳をとっていても大丈夫かなあ? 申し込みの時におそるおそる聞いてみたら
「わたしの母は74歳ですが、カヌーに乗りました。」 と、受付嬢の言葉。 それを聞いて、もちろん、申し込みました。
 娘が「〇〇歳のバアさんが?」と言いましたが、 だってわたしより年上の人もやってるのに・・・・
 
 始めに陸上でパドルの漕ぎ方、方向の換え方、その他安全面の注意事項を聞いて、いよいよカヌーに乗り込みます。

 見よ、この勇姿。 ツアー参加者の3分の2くらいが体験に参加でした。 60,70のじいさん、ばあさん、多数。 というよりほとんどかな? 歳をとったらおもしろそうなことは何でもやってみなくては。 



 ご夫婦など複数で参加した人は二人乗り、一人参加は一人乗り。 なので20艘ほどのカヌーが次々と浮かぶものだから、始めは混雑しました。 
 「おっとっとっと」「ごめんなさ~い」「ああ~ ぶつかる」 なんてね。
 でも、漕ぐのは意外に簡単でした。 少し広いところに出ると写真を撮る余裕も。


 

 



 逆光なので暗い写真になっていますが、お天気もまずまず。 寒くもなく、暑くもなく。 だけど汗びっしょりかきました。 時々しずくで袖が濡れたけど、気になるほどではありません。


 
 川の広いところに出てほっ。 
 方向変換の時、 漕いで向きを変えるのと、パドルでブレーキをかけて変えるのとでは、手の動かし方が逆になるのでいつも、
 あ、反対だ
 となって、すぐに思う方向に行けなかったのですが、 ここならぶつかりません。
 緩やかな川の流れに身を任せ・・・・

 
 油断すると岸近くまで行ってしまうのですけど。

 赤いカヌーはインストラクターさんのです。 川の中に立って、ひとりひとり写真を撮ってくれました。 意外と浅いのです。 バッグも何もかもロッカーに預けてきたのですが、スマホだけはポケットに入れていました。 よかったー。



 ここからほぼ直角に方向を変えて(みんな上手になっています)



 川幅の狭いところへ


 
 木漏れ日でわかりにくいですが、木のいっぱい茂った場所で、説明を聞きました。




 カヌーのすぐ横にシギがいて、逃げもしなかったのですが、写真を撮り損ねました。 残念。

 
 ここは、干潮になると水がなくなるので、ここまで入れたわたしたちはラッキーということでした。 午後体験する人は来られないんですって。
 マングローブというのは、 海水と淡水が混じる汽水域で森を構成する植物の総称ということです。 知らなかった~。 

 
 ここに生えているのは、ほとんどがオヒルギとメヒルギだそうです。 ここに来るまでに、オキナワでは絶滅したリュウキュウアユが見られたそうです。 木には蟹が登っていることもあるそうです。 帰りは水の中も見てみてください。 とのお話。
 こんな実がたくさん浮いていました。 何の実でしょう。
 
 写真を写した後は川に返しておきました。
 1時間ほどの体験でも、体は予想以上に疲れているので降りるときに気をつけてください。 ふらついたり足がしびれて立てなかったりすることがあるから、と乗る前に注意を受けていましたが、確かに足がとてもくたびれていました。 長座して伸ばしていただけなのに、どこで力を入れたのかしら?
 でも、おもしろかったあ~。 大満足でした。
 カヌーを下りたその足で展望台へ。 階段は300段近くあったでしょうか。 わたしははあはあぜーぜーなんですけど、皆さん元気なんです。 普段からかなり鍛えているとお見受けしました。
 今、カヌーを漕いできた川が見渡せました。 すごいねえ、がんばったねえ。

 
 あれが写真を撮ってもらった、広い場所かな?



 


 お昼ご飯は巨大なマグロのモニュメントがある、せとうち海の駅???で海鮮丼。
まさか奄美大島に「瀬戸内」があろうとは。





 普段たべたことがないほどたくさんのお刺身がのっていました。



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盛りだくさんな一日  奄美大島への旅2

2019-12-18 00:42:35 | 旅行
 1日目の予定は奄美パークから「奄美自然観察の森」へ行って後はホテルへーということでしたが、 地元のガイドさんや運転手さんのアドバイスもあって大幅に変更、2日目の観光予定が2箇所加わりました。 奄美パークを出発して2時間ほどの間に! 旅を振り返ってみればこれがよかったのですが・・・・
 奄美自然観察の森も楽しみにしていた場所の一つ。 多分亜熱帯の植物がたくさん見られるだろうと。
 事務所へ向かう路で見つけたのは

 ウマノスズクサ。どれだろう? うちの近くでこの植物を確認するために是非ともその姿を見ておきたい。(その理由はこちら
 しかし、この森のガイドさんが是非見せたいと案内してくれたのは、ウマノスズクサではなくそばに生えているオオバカンアオイでした。 昨日、咲いているのを見つけたからと。
 花は葉っぱの下に咲いていました。 ガイドさんが葉っぱを持ち上げて見せてくれました。
 どれどれ
 譲り合って写真を撮りましたが、
 あれ? どこに写ってる?


 その時刻、雨模様の16時過ぎ、あたりはうっそうとした森で、まるで日没直後みたいに暗かったのです。 お目当ての花は見えましたが、スマホのディスプレイを見ても何も見えず、当てずっぽうでシャッターを押しました。 何にも写っていませんでした。 いや、2枚目に少しだけ


 
 ははは・・・
 黄色で囲んだところに茶色っぽく写っている花の端っこ。 はなびらは、3裂して地面にへばりついていました。 写真でしか見たことがないけど、何となくラフレシアみたいだなと思いました。 でも、これがウマノスズクサの仲間なんですって。
 と、初っぱなから珍しい花を見たところで森の中へ



 多分「しめ殺しの木」

 
 椎の木に寄生して、宿主が枯れ死するまでまとわりつくんだそうです。 そのあと、どうなるんだろうね?
 


 寄生の始まりは、こんな細い1本の枝からだそうです。


 オーストンアカゲラのあけたログハウスの穴や(冬場小屋の中に入り込むそうです) 穴をあける力がすごいんだとか。
 イモリのいる小さな池や(実際に泥にまみれているのを見つけました)
 昆虫の生態園などを通って、展望台に出ました。
 この頃になるとしょぼしょぼと雨が降ってきて、傘が必要になってきました。でも、でる時の大雨に比べたらこれくらいは雨のうちには入らないわねえ。
 この写真、モノクロで撮ったわけではありません。景色自体が墨絵のようでした。

 
 右下の茂みの間から見えるのが龍郷町。 西郷隆盛が流されて住んでいた集落です。 海の向こうに見えるのが喜界島。 平安時代、僧の俊寛が流されたという島ですね。 こんなに遠かったのか。 京育ちの流人には、まるで地の果てのように思われたことでしょう。 
 ここへ来るまでにもう一つ珍しい植物を見たのですが、帰り道改めて見てみると、相当数の群生でした。 畳2畳分くらいに広がっていたでしょうか。



 これね、ヤッコソウなんです。 形が奴に似ているから。

 
 かわいいようなおかしいような。
 ヤッコソウは寄生植物で、シイなどの大木の根に寄生するそうです。 これがラフレシアの仲間なんですって。 見かけだけでは判断できませんね。
 写真でしか見たことのなかったヤッコソウ。初めて実物を見ることができました。
 亜熱帯の森で意外にもたくさん目についたのはツワブキです。 このあたりが不思議なところで、うちの方で身近に見られる植物もたくさんあるんですね。
 だけど、さすがにこれはない。
 街へ帰っていく途中で見られたイトバショウの群生。 あいにく座席が反対側だったので光が映り込んでうまく撮れていませんが、雰囲気だけね。

 
 ここへ来る手前にはソテツの群生地があって、山全体がソテツでした。 これも珍しい風景ではありましたが・・・・
 ガイドさんが「写真を撮りたかったら降りてどうぞ」と言ってくれましたが、誰も降りません。 わたしも、降りようかなとは思ったのですが、たった一人のためにバスを停めるのもーと遠慮しました。 みんなけっこう歩いたので少しくたびれてきたみたい。
 回るところはまだあるのですよ。
 名瀬聖心(みこころ)教会。
 今まで見た外国の大聖堂に比べるとなんとシンプルな作りでしょうか。 だけど神々しい雰囲気は変わりません。 すっきりとしたステンドグラスまであるんですよ。


 この奄美大島に初めてキリスト教を持ち込んだフェリス神父の像が飾られています。 キリスト教の布教により初めて、奄美大島の人々は西洋の文化に触れることになったのだそうです。

 そうか、奄美大島はキリスト教なんですね。パンフレットによると島内にはずいぶんたくさんのカトリック教会があるようでした。 そして、この聖心教会には、ケネディ大統領の葬儀に使われた祭壇があるのです。 本物? 本物だそうです。アメリカからはるばる船で運ばれてきたそうです。
 教会の庭には暖かい場所で育つ植物がいろいろ植えられていました。 それはまた別の日に紹介することにして


 これってはっぱはドラセナに似てるんだけど・・・・
 さて、ホテルに着きました。だけどまだ終わりではありません。食事のために近くの郷土食のお店に。
 居酒屋のような感じのお店で、我々が入ると超満員。 お店のスタッフが何とも忙しそうで、添乗員さんもおおわらわで手伝ってました。だけど我々は身動きできず。 写真を引いて撮ることもできなかったので全体が写っていませんが
 


 
 右端のは金時草のごまあえ。 奄美大島では普通の野菜なんだそうですが、わたしが初めて金時草に出会ったのが金沢だったせいか、何となく北の野菜と思っていました。 うちの方でも最近になって産直市に出回るようになりましたが、あまり一般的ではないです。 それに、冬に近い今頃はもうなかったような? 
 真ん前、厚切りのゴーヤと鰹節とツナ?を和えたもの。
 左、 骨付き豚肉の角煮のようなもの。 でかいです。
 まん中あたり、ひょうたん方の器に入っているのはそうめんですが、汁気はないけど味はついていて、 具もたくさんあっておいしかったです。 多分、油そうめんでしょう。
 刺身のつまはパパイアの千切り
 貝もうちの方ではあまり見ない貝でした。
 飲み物にパッションフルーツジュースを頼みましたが、今年、生の濃厚な実をたべているので、 薄めたジュースはもの足りませんでした。
 と、こんな感じです。 お品書きがないのが残念。忙しそうなスタッフさんを捕まえて聞くのも遠慮があるので・・・・ だけど珍しい食事でよかったです。
 食事が終わりになりかけた頃、島唄のライブが始まりました。
 島唄の「しま」というのは、本当は狭い集落のことをさすそうで、その土地土地に伝わる歌のことらしいです。 興味深い節回しと発声とでしたが、内容は方言なのであまりわかりませんでした。 最後に太鼓を回し打ち。

 
 やっていると楽しくて、最初遠慮してしなかった人も、最後には全員太鼓打ちの体験をして、お祝いの踊りなんぞを見よう見まねで踊って、盛り上がりました。
 食事の後はその場で解散、各自でホテルに帰りましたが、途中にお土産を売っているスーパーがあるとの情報を得て、寄り道をしました。 そこで配りものの箱菓子など、必要数を買いそろえ、ホテルでスーツケースの片方にきっちりと詰めて一日が終わりました。 こうしておくと後の荷物整理が楽なんですよ。 
 なんとまあ盛りだくさんの、そして珍しいことがいっぱいの一日だったこと。







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