三つのコンサート二つ目は
「楽」
これはヨウコ一家と行きました。この日も午前中は知人の出店している古物市に顔を出して、ちょっと挨拶しておいて、色々見て回ってー
まだ新しい額縁(アマチュアだと思われる人の花の絵入り3000円と絵具用の梅皿300円ゲット。超お買い得。
「そんなん、どこにあったの~?」と友人に驚かれました。わたしもう一つ8000円のビスクドールをしばらく抱いていたのですけど・・・やめました。私に骨董の知識があればお買い得だったかもしれない品物でした。
で、昼過ぎに家を出て、会場は城山公園内の松山市民会館です。
もう、コンサートと駐車場探しとはセットのようになっています。
最近はどのコンサートも開場が1時間前になっており、それに合わせて1時間以上前に行かなければ駐車場は満車になってしまいます。
もうー 隣のイベントスペースが空いているのに、開放することはできないのかしら。
公園付近のコインパーキングはどこも満車で、結局はギリギリになってしまいました。
ジブリ音楽のコンサートには、5年前に来たことがあります。その時、まだ赤ちゃんと言えるくらい幼かったケイタが最後まで大人しく聞いていたのに感心したものです。大人の音楽なのにねえ。わかりやすく楽しかったのだと思います。
再び愛媛にやってきた楽団。成長した孫たちは前回よりももっと楽しむに違いない、ど思いました。
定番の隣のトトロとか君をのせてとかは同じですが、「となりの山田くん」って?
「猫の恩返し」って? 今浦島の気分
コンサート自体も前回と多少趣が変わっていて、前は、ボーカルは女性二人だったのが男性も交えた5人、MC[が声優さんだったのが今回はボーカルの人たちが兼務。途中で踊り(観客の)あり、クイズあり、客席からの登場あり、とまるで「おかあさんといっしょ」(NHKの幼児番組)の世界でした。
もちろん小さなお客さんたちは大喜び。トトロのクイズでは大人も知らないマニアックな答えを言っていました。うちの孫たちと同じ、繰り返し見ているんでしょうね。トトロって時代を超えて愛される名作なのでしょう。 大人も子どもも楽しめるコンサートでした。
でも、拍手の音が小さいなあと思って会場を見渡したら、満員ではなかったのです。先の読響のコンサートを聞いた一週間後ではやっぱり物足りなかったというのが本音です。
最後に「浸」のコンサート。
この日は所属する合唱団の練習日と重なりました。毎回何らかの行事と重なって忙しい思いをしたのですが、わたし、すっかり生の演奏にハマってしまいましてー忙しさをものとももせず練習場を飛び出して、コンサートとセットの駐車場探しも要領よくなって、20分前には椅子に座ることができました。
けど、またしても端っこ、それも左端から3番目という、
自分で選べるなら絶対行かない席です。
指揮台が花で飾られていました。わたしはあまり見たことなかったです。ちょっとショーのような雰囲気でした。
曲は全て映画音楽です。
オープニングは、ニューシネマパラダイス。
これだけで、若い頃馴染んできた洋画の世界に引き込まれました。
オードリーヘプバーンの世界
では、在りし日のヘプバーンの魅力的な姿がスクリーンに映し出され、有名なシーンとともに音楽が演奏されるのです。
ところが!
左右に設置された背の高い投影機がじゃまでスクリーンの3分の1くらいがチラチラとしかみえないという残念な状況。
またしても
もう (怒)! 前のほう(多分S席にしてはよくないところ)がひとかたまり空席になっていて、そこへこっそり移動すればよかったと思いました。
けれど次々映し出されるチャップリンの世界やなつかしの名作集の一場面。音楽と映像とが醸し出す魅力にいつしかどっぷりと浸かっておりました。
わたし、中学生のころから洋画が好きで、こっそりと松山まで見に行っていました。もちろん校則違反です。が、松山で仕事帰りの父と合流して映画館へ行ったのです。やがて日曜洋画劇場が始まり、チャップリン以外の映画はほぼ見ているなあと思いました。あ、トップガンは見てないです。
珠玉の名歌集では、ビリーキングさんと加藤登紀子さんの歌。円熟した歌声で素敵でした。加藤さん、我々世代ですが、真っ白なドレスアンコールには赤と黒のドレス、と、若々しくてすてき。
最後の「風とともに去りぬ」に映し出された南北戦争後の焼け野原。そこに佇むスカーレット。不屈の精神で立ちあがろうとしているシーンのあの感動がよみがえりました。むしろ50年の年月を経て、さらに深まったというか…今まだ戦争の絶えない世界を思い起こすと、あのタラのテーマが若い頃とは違った意味に思えるのです。
帰りに松山城がライトアップされているのが見えました。
最近のコンサート、土日は始まりが早いのは助かります。若いときは勤務時間終了とともに職場を飛び出し、開演時刻にもぎりぎりか遅刻。それでも会場の駐車場には停められる時代でした。そして夜中に桜三里を走って帰ったものです。今はとてもとてもそんなことはできません。