、 キモい投稿が続いたので気分を変えて、
今更なんですが、ヒガンバナ。
背景が悪いですが、ヒガンバナとアゲハチヨウ。黒いちようもいたのですが、写せませんでした。ヒガンバナには大型の蝶がよくきますね。
10月1日 その辺の道端です。
広い空き地にヒガンバナだけが咲いています。ここを写したのは10月3日。
去年は9月27日に写しています。
ここのヒガンバナは毎年他より少し遅いのですが、今年はほぼ1週間遅い。
他の場所ではもう花は終わっていました。
9月27日 寒風山方面から帰る道で見かけて車を停めました。
道がY字になっているその分離帯にヒガンバナが群生していたのです。
よく見ると、人為的に植えられたもののようでした。
背景が悪いですが、ヒガンバナとアゲハチヨウ。黒いちようもいたのですが、写せませんでした。ヒガンバナには大型の蝶がよくきますね。
9月30日
ここのもまだ綺麗
10月1日 その辺の道端です。
場所が同じだと咲く時期も同じくらいのようです。ヒガンバナは球根で増えるらしいので、同じDNAを持ってるのかな?
遅かった今年のヒガンバナが終わり、ようやく本格的な秋になりましたね。
彼岸花、入園料取って入るここらへんでは有名なさいたまの巾着田より整理されてて見事ね!我が家も毎年、車で行っていた里の河原の曼殊沙華の群落が大好きでしたが、とても電車ではいけません。
それに、最後に見に行ったときに、川が反乱して、土手を越えたので、工事が始まっていて、入れなくなっていました。
だから、仕方なく?観光地の巾着田に行きましたが、それはそれで楽しかったけど、本当はあの毎年、手に持ちきれないほど積んで帰った曼珠沙華の風景は、私の永遠の思い出です。ソンナフウケイを彷彿とさせる彼岸花の群生の画像、素晴らしいところに住んでらっしゃるあたこさん!いつまでも、この風景が残ってほしいです。ありがとう❤
巾着田のヒガンバナ、テレビで見ました。凄かったです。県内にあんな大規模な名所はありません。植えてお世話しているんですね。
わたしの写真は全て自然のものです。最近ヒガンバナも市民権を得て、あまり排除されなくなったみたい。夫などはいまだに縁起が悪いと、嫌っていますが。田舎の老人はそうですね。うちの近所の畑は、持ち主が球根を掘り起こして道に放置。車に轢かれて全滅です。確かに球根を壊滅させるにはいいかもしれないけど…
この辺りの放棄地もヒガンバナでも植えたらどう?なんて思います。名所になること間違いなし。そんなにも土地は余っているのです。
彼岸花、みごとですね。
処分した実家では、家の裏に母がモグラ避けに?と植えていました。
何かしていたのか、迷惑なほどは増えず、きれいなだけでした。
↑のあたこさんのご意見、いいアイデア!
父の霊園のそばも、畔に、彼岸花を植えたのか、毎年、彼岸花祭りを開き、なかなかの人手です。
球根全滅作戦も衝撃ですが、それだけ農家さんには厄介者なんですね。
私の知らない暮らしが垣間見られ、ありがとうございました。
おまけ。
明治維新で、新政府から備前松山藩は改名を迫られ、地元の川にちなみ高梁にしたそうです。
伊予松山が、早くに恭順していたからの改名だそうです。
もし、恭順の順が逆だったら、今の松山も違った名前だったもしれませんね。
ながくなってごめんなさい。
今年は本当にずいぶん遅かったですよね
お彼岸の頃には毎年律義に花をつけていた彼岸花も今年の猛暑にはくるってしまったようですね
そういえば、ヒガンバナを見に行ったときアゲハ蝶がヒラヒラ舞っていましたね
今年はヒガンバナ見に出かけませんでした
ヒガンバナって種はできるけど種では増えないんだそうです。球根の子が次々とできて増えるんだそうです。長い年月がかかりますよね。球根を小分けにして植え直すと増えるのがはやいかも。
ヒガンバナは農家にとってさほど邪魔じゃないはず。だって畔にわざわざ植えたのですから。ヒガンバナを撲滅した人は嫌いなだけだったのではないかと思います。
ヒガンバナの名所、いいでしょう?今ある名所も人が植えた場所が多いのではないかと思います。
松山城、なるほど。実は今日行ってみたんですよ。いずれ記事にしますね。
今年は暑かったんでしょうね。金木犀もまだ咲かないんですよ。お祭りが来るというのに。
ヒガンバナは筒のようなはななので、小さい蝶だと蜜が吸えないのかもしれません。豪華な花に豪華な蝶、絵になりますね。
横から見ると紅白交互に植えられているのがよくわかります。多分溝を作ってそこに球根をひとつずつ置いて行って土をかけて行ったのでしょう。これが手っ取り早いんですよ。ジャガイモや玉ねぎもこのやり方だとさっさと植え終わります。
ここもそのうち球根が増えて自然ぽくなると思います。ただ白花は盗掘されないか心配。最近人気があるみたいだから。