・ここのところ、かなり固い記事を書いていたので、肩が凝った。カタカタと音がするくらいである。しかし、アタシャあんまり肩が凝ったという経験がない。家族で唯一の存在である。家族構成員の全員の肩をおもみ申し上げているんである。珍種の生物かもしれない。肩も凝らないし、血圧も高くない。120位であるから。それになんの薬も呑んでいないのだ。カオ以外、どこも悪いところがないのだから始末に負えない。
・金曜日は、一週間の中で、一番ハードである。8時間くらい大学にいる。今日も10時から、講義と演習が終わったのが夕方の6時。よくまぁもつな・・・と激賞している。自分をである。学生でござんすから、そんなの当たり前である。と思い込むことにしているが、正直疲れる。オトシですからねぇ。要するにじじいでござんす。
・なにしろ、クラスメイトは全員大学の先生方である。しかもオイラと違って、エリートだ。オイラなんかとアタマのできが違う。ついていくのに必死である。
・でもねぇ、それがいいのだ。
・セミナー棟で、大学院事務室の方とちょっと立ち話をした。かなり忙しい方であるから、ちょっと気後れしたが、セミナー棟で会ったのがいい機会であると思って、声をかけさせていただいたのだ。
・定年後の生き方として、アタシのようなのもいいもんでっせ、老年仲間にも城西国際大学に入らないかと声をかけていますぜと申し上げた。まだまだこっちはどこも具合が悪いわけでもないし、これじゃぁ爺捨て山に捨てられたじじいでしかない。少なくとも現象的には。と、申し上げた。
・60歳で定年。それで強制的に引退をさせていただいたのですと、申し上げたらびっくりしておられた。大学事務室の方は65歳なんだそうである。定年が。うらやましいですなぁと申し上げた。本当にそう思うからである。
・どうもアタシャ、じじいという感じがしないのである。ある日突然、じじいになっていたというのが実感である。そういえばそんなことを書いていた本があったなぁ。「老化は突然やってくる」って書いてあったような気がする。老化は突然やってくるんではなくって、そういう老人という役割を押しつけられたということの方が正解なのではあるまいかと思う。役割としての老人である。社会的には、そうでないと困るわけである。アタシのようにどこも悪いところなく生きていると、当然それは邪魔になる。(カオとアタマが悪いケド)
・それでもアタシャ、どんなに邪険にされようとも、たくましく、楽しく生きていくんである。マジにである。
・憎まれっ子世に憚るというではないか。世間のしがらみもなく、名誉地位とはまったく無縁の生活を送ってきたし、煩悩はあっても、それを消そうとノイローゼになるほどあせっているわけでもない。
・今日は、日本語の教育法についていろいろな方々から教えを受けていた。国語教師として37年間やらせていただいたわけであるが、あることを思っていた。学問というものの有限性についてである。
・尊敬する印度哲学の学者先生ですら、定年後を楽しみにしておるとあるとき言われたことを思い出していた。そのとき、思ったのである。定年までで終わりなんですかって。
・それをわたくしなりに有限性と言っているのである。学問というのは、働くためにやっているんでしょうかねという疑問がどうしてもあるからである。それはそれで尊いご努力であるから、つまらない人間の代表格であるワタクシは、尊敬はする。しかしである。就職のためだけでいいんでしょうかという疑問はまだ残る。
・そんなことを考えていられるのも、就職する必要がまったくないからであろう。就職されたら周囲が困るわけである。邪魔だからである。そのあたりは十分わきまえているつもりである。
・この間、Facebookというので、友人になった方とメッセージのやりとりをしていた。そこで、教育界のことをちょっと書いてくださったのである。お相手が。即、ワタクシは書かせていただいた。教育界のことは全部忘れましたので、悪しからず。ということである。なんにも覚えていませんですというスタンスでいかなくてはならんのである。だって、もう関係ないのですから。本当に捨てられたということは、社会学的に、あるいは人類学的に完全に関係性を断ち切ったということなのである。
・ところが、学問は違うと思うのである。
・定年なんてくだらない人間だけで取り決めたシステムで、それまでの自分の知的資本を捨て去ってしまってはいけないのである。定年が絶対的な価値あるシステムではないからである。そんなのは、凡夫である我々人間だけで決めたものであるからである。
・地位にしがみつくのも同様である。人間だけで取り決めたポジュションでしかないではないか。地位なんでいくらでもある。**長とか、**とか、副**とか、なんとかとか。
・アタシャなんにもない。(^0^)/ウフフ
・地位ではないが、唯一「還暦老学生」という「世界で唯一の肩書き」があるだけである。そして、この肩書き、世界で一番好きな肩書きである。死ぬまで「老学生」であるからである。なんってたって、無知の人であるからである。
・楽しいですよ。無知だから、死ぬまで勉強するしかないんだから。