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と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

今日の紀尾井町キャンパスと先日の柔道大会

2012年06月04日 23時10分10秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

紀尾井町キャンパスであります

月曜日はここにいます

地下鉄有楽町線麹町駅を出てすぐにで~んと。。
名前を聞くのを忘れた

五市大会を居住地で開催

気合いが入っています

監督の指示を受ける

第1回戦を発表

ウデがなる

 

・平家物語を学んできた。授業ではない。講座である。社会人対象の。そうである。こういうのにも積極的に参加しているのである。なにしろ時間だけはたっぷりあるから。どんなのにもカオを出すんである。夏休みは、京都あたりまで出ていくつもりである。興福寺を見たい。なんどか参拝したことはあるけど、研究対象としては違った面を見せてくださるからであろうから。薪能も見にいきたい。山形の黒川能も行きたい。それにしても、徹底している。われながらあきれている。(^0^)/ウフフ

・楽しかった。いろいろと教えていただき、感謝してきた。あいもかわらず知らないことがあって、新発見の連続である。メモが、情報カードで14枚。90分。あっという間であった。内容は書けない。おやりになりたかったら、大学へご連絡を。ここに書いたら叱られるから。たぶん。

・そして、余勢を駆って、神田神保町へ。朝、有楽町の三省堂で能の本を、簡単な基本書であるが、5冊買ったので、もうすでにバッグがぱんぱんである。されど、行きたいのであるから、仕方なし。

・地下鉄半蔵門線(永田町乗り換え)の神保町駅から出て、すぐ昼食をいただいた。もう13時を過ぎていた。大幅に。昔、作家達の集まっていた喫茶店の前に、安い中華料理店がある。そこで、野菜炒めを定食でいただいた。おいしかった。もうそんなに量を食べないようにしているから、ほどほどにした。ほどほどで十分である。(なんでもほどほどであるケド)それにしても神田はいい。学部生時代から随分通った。九段高校の国語教師になった心友のKと随分来た。函館の進学校の出身で、将来を嘱望されて学部からストレートに中国哲学の大学院に進学した俊秀であった。あいつが40代後半で交通事故で亡くなったときはショックだった。そんなことを思い出した。

・すぐ書泉グランデに行った。先週ここには来ていない。能楽関係の書物を捜してみたが、なかなか無い。それより、さっき師匠に教えていただいた忠度の関係書籍の方に目が行ってしまう。何冊か手に取り、2冊ほど買った。

・唯識関係の書物も買った。専門古書店があるからである。さらに、岩波の日本古典思想体系の露天販売もしていたので、これはこれは嬉しくなった。非常に高価な本が、あるいは、特殊な本が山積みされている。こういう時は、実にうれしくなってしまう。500円とか、800円くらいで売っているのだ。源信を買った。原文もあるから、実にありがたい。他にも買った。ああああ、重くて悲惨な状況である。

・能楽のDVDで中古が欲しいのだが、なかなか無い。先週も往生した。今日は、いろいろと質問をしながら、あっという間に時間がたってしまった。これでは夜のジムに行けなくなる。もうや~めたである。

・帰りの電車で、干潟駅からどっかの野球部がどやどやと乗ってきた。

・居住地の駅が近くなったので、よっこいしょと声をかけて立ち上がり、上着を着て、本の袋を両手で抱えていたら、「校長先生!」と声をかけていただいた。

・3月までお世話になった高校の野球部であった。よく覚えていてくださったものである。ワタシのカオは何の特徴もないから、なかなか見つけられないでしょうに。特にヘアスタイルがまったく特徴がないのである。なぜならヘアが存在しないから特徴を形成することが不可能なんである。(^0^)/ウフフ

・「練習試合です」「がんばってね」・・そんな簡単な会話をして別れた。降車駅が近づいたからである。今日は月曜日なのになんで練習試合ができたのだろうと思った。まだまだ教師根性が消えませんなぁ。苦笑した。おそらく代休日なのだろう。先週の土曜日はPTA総会でもやっていたのだろうと思った。学校関係の資料は一つ残らず全部捨てたので、行事関係もなにも全部わからないからだ。おかげで、手帳に書くことがナンニモ無いのである。これはありがたいことである。そうだ、手帳を薄いのに買い換えよう。

 

 

・もう一つの写真は柔道の五市大会の時のもの。居住地が開催地であったからである。

・なぜ、ここに写真を載せたかというと、掲載するのを忘れたからである。しかし、この道場は被災支援物資を全国からいただいた時に一時置き場となったからである。まだ、ステージ側にある。ありがたいことである。しかし、ここまで来ることができたのである。本来なら、去年開催する筈であったのだ。二年越しに開催できたのである。

・感慨無量であった。

 

・疲れた。疲れたが、さっきまでスポーツジムにいた。終了後にサウナに入って、体をやわらかくしてきた。身体を緊張させたまま寝てはならんのである。毒素が回る。

・もっとも、アタシの体は毒素まみれ。毒素の二乗になる?そんなことはない。減算していくという実に奇妙なサイクルをとっているのである。

・冗談はさておき、これからもうちょっと読書である。明日は、大学に行って、それから夕方直接千葉に行く。飲み会があるからである。前の職業の方たちと呑む。安全教育関係のお世話をさせていただいていたからである。これも長いことやってきた。30年近くやったのではないか。



・以上、報告である。

 

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目が覚めてしまった

2012年06月04日 05時00分16秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

・遠足に行く当日の朝のようだ。まるっきり。

・早朝に目が覚めたのだ。そんなに師匠の講座を拝聴するのが楽しみなのである。なんと4時前には起きてしまった。昨夜は、若干早く寝たから(それでも真夜中の12時)、睡眠時間が4時間。これって、まるっきり遠足を楽しみにしている小学生の心理である。別段東京なんて珍しいところでもなんでもない。特に、この20年くらいは面白くもなんともないところであった。面白いのは、趣味である温泉巡りであるから、東京は興味の対象外であったし。古書店巡りくらいである。用があるのは。それも最近はAmazonがあるから、こっちの方を利用していた。だから、ご無沙汰であった。

・早朝の雰囲気はいい。今も、野鳥がちゅんちゅんとか、たまにぴ~ろとか(ニンゲンナンテ、バ~ロとか)鳴いている。それを聞きながら、今日の東京行きの準備をして、やおらコンピュータに向かう。茅屋の書庫にある電子機器の左側には、昨日県立図書館から借りてきたなかなか読み応えのある能楽研究書が、で~んと鎮座している。脇に読書カードがある。ずっと読んでいたのである。しかし、慨嘆している。アタマに入ってこないのだ。

・もともとできの悪いアタマである。しかたなし。アトは、膨大な時間をかけて一つ一つクリアーしていくしかない。質より量で勝負するしかないではないか。分母を増やして、ともかくアタックである。愚生ごときが、やれることはそんなことしかないのである。当たり前である。天下の素浪人、鈍才であるからだ。(^0^)/ウフフ

・昨日、県立図書館で、ホントは国文学関係の読書をするつもりで行った。あの図書館はなかなか文学関係が充実していて、研究書も相当多い。だから、ずっとこもりっきりでいたいのであるが、家の草取りや、木を切ったりもせにゃならん。それまでの時間を過ごしていたのである。

・そして、ある書架の前を通り過ぎようとしたその時である。

・「勝負あり 猪熊功の光と陰」(井上 斌著 2004年 河出書房新社)という書名が、目の中に飛び込んで来たのだ。柔道で東京オリンピック重量級で金メダルをとった人である。そんなことを言っても若い人はわからないだろう。私には、特別の方である。ファンだったからである。なぜか。それは身長173センチ、体重87キロで殆ど同じような体型を私もしていたからである。そして、猪熊先生の得意技である一本背負いを会得したくて、憧れの講道館に通っていたからである。ご本人も何度か遠くから拝見したこともある。講道館の大道場である。

・手に取ってみた。懐かしい。

・しかし、内容は猪熊先生の自決のことである。経営をしていた東海建設のことで自殺されたのは知っていた。社長室である。そのことを扱っていたのである。

・とうとう、県立図書館で全部読んでしまった。涙が出ていた。そうだったのか。そうでしたか。猪熊先生。そうでしたかと、ブツブツつぶやいていた。周囲の方々にはまことに申し訳無かった。変人が一人いて。

・そして思った。組織と個人ということをである。ここではさらっとしか書かないが、ビジネスマンというのは過酷なものであるということである。しかし、ここまで暴露して著者は大丈夫なんかい?とも思った。だって実名入りだからである。

・個人というのは、組織のためにと思って働く。しかし、組織というのは過酷である。都合が悪くなると個人を切り捨てる。自己保身のためである。自己保身というのは、個人が行うだけではないのである。組織自体が行う場合も多々あるわけである。

・だから、あまり組織に期待しないほうがよろしい。これだけやってきたのだから、オレをナントカしてくれるだろうという甘い期待はしないほうがいい。無駄である。そんなのは。親分とか子分とかという関係も無駄である。個人として、これだけ忠誠を誓ってきたのだから、なんとかしてくれる筈であるというのも無駄である。

・60年しか生きていないが、そういう結論に達したのである。つまらないことであるが。

・しかし、猪熊先生は、反対の生き方をされてしまったのだ。あまり内容に踏み込みたくはないが、そう感じたのである。

・くわばら、くわばらである。組織に依存しすぎるといかんのである。もっとも、アタシャまったくなんの組織にも属していない。今働いているのは、アルバイトばかりである。いつでも首を切られる。そんなもんでしかない。

 

 

・今日は、帰りに水道橋で降りて、懐かしの講道館でも見てきますかな・・・なんて思っている。では、行って参ります。

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/