今月の18日、月曜日にまた師匠の平家物語講座を拝聴しに東京紀尾井町に行く。今週は「今物語」を拝聴させていただいた。講談社から出ている師匠単著の「今物語」(講談社学術文庫)を買ってあったから、これ幸いと書き込みを行った。さらに、同じく講談社学術文庫の「徒然草」も、4冊全部師匠の単著全訳注つきで出版されているから、ノートを取り始めた。ノートは縦書きのやつ。2行空きで師匠の本から原文を視写して、ワキに師匠の語釈をメモしていくのだ。これは楽しい。実に楽しい。師匠がそばにいらして、直接教えをいただいているような感じになる。師匠には、週に二度直接お会いできる。これでこそ、通学生の醍醐味である。ありがたいものである。
さらに、同日は国立能楽堂で能「葵上」を午後から見させていただく。産経新聞に載っていたので、今日の夕刻℡をしたら、予約がとれたのである。これもまた見るのが楽しみである。しかも、通常3000円はかかるのだが、愚生は学割がきくのだ。(笑) 1300円である。こいつは実にリーズナブルである。ありがたい、ありがたい。本当に幸せものである。そして、今度は得たものを若い人たちにお伝えしていきたいと思っている。どっかの居酒屋でもなんでもいいから。
さらにさらに、その週の土曜日には唯識学で有名なY先生の講義を直接母校武蔵野大学の仏教心理学会で拝聴できる。直接である。東京大学印度哲学科卒の愚生らの世界では有名人である。楽しみである。ほんとうに楽しみである。
ここで冷や水。
それはね、「そんなことをしていてなんになるのだ」ということである。鬼怒川で、それこそ鬼に言われたのである。夜分、鬼怒川の川底から立ち上ってくる霧に乗じて、そういうことをささやいた鬼である。(^0^)/ウフフ
そのとおりである。なにかのためにやっているのではないからである。あるいは、収入に直結していないからである。第2の職場に就職もしていないし、全部非常勤であるし、週に5時間しか働いていないし、まるっきりこれでは遊び人ではないかと鬼達は言うのである。そのとおりである。肯定するしかない。
普通は、第2の職場に再就職をして、これまで培ってきた学力で教壇に立つのが常識であろう。ところが、愚生はそうしなかった。学力も無いし、そもそも。これがそもそもの間違いであると鬼達は言うのである。
言い訳がある。それは、管理職を長いことさせていただいたから、受験勉強おんりーの授業だけではできないと踏んだのである。少し時間をくださいと思ったのだ。ところが、計算どおりにはならなかった。随分お叱りをうけた。おらっちの学校に来い!と言われるわけである。そんな今更大学院なんて行ったってしょうがねぇだろうというワケである。それよりも月収だろうがよぉ!と言われるのである。実にありがたい仰せであった。しかし、愚生は1年間だけ時間をいただきたかった。受験勉強スタイルにもどるのには時間が必要だったということである。それだけである。いわゆる勘を取り戻すのに時間が必要だった。
教材研究をデタラメにやってはならないと思うからである。これだけはまじめに考えている。当たり前である。プロの教師であるからである。
だから、直接授業をやっていなかった管理職としての16年間のブランクは大きいと受け止めているのである。そりゃ、学校経営とか、なんとかということになったらそれは経験知がものを言う。いつでも発言可能である。だから、直接再度生徒達に古典を、現代文を、国語表現を教えるということには慎重にならざるを得なかったのである。せめての愚生の良心であったのである。
なんだか世間がきな臭い。政治的な動きがいろいろと報道されている。愚生は、そちらの方面にも疎いので、黙っているけど、鬼達がうごめいているような気がしてならならないのだ。
昔から、政治的な人間は多く、それだけに命を賭けたモノが多い。しかし、たいていは挫折をしていく。そちらの世界で成功する方はなかなかないない。日本の古典文学でもそうである。特に歴史物語は、そうである。「平家物語」も「太平記」も「吾妻鏡」も「増鏡」も「大鏡」も「義経記」も、たいてい政治的な挫折の物語である。成功者はホンの少ししかいない。挫折しているから、そこに哀惜を感じるわけである。滅ぶことへの同情、世間から、政治から退場をせざるを得ない人間達の姿に空虚さを見るわけである。義経だってそうである。彼が政治的に大成功をしてたら、あれほどの人気はないわけである。 後白河院もそう。大変魅力的な方ではある。また、別の意味で、織田信長も、豊臣秀吉も結局は挫折をしているというテンで考えるべきであろうから。さらに、愚生の同世代で、政治運動に身を投じた方々たちが多いのだ。みんな、学部時代だけご活躍をされて、時間が立つと、せっせとポマードをたっぷりつけて髪を七三に分け、さぁ~っとどっかの一流会社に就職して行ってしまわれた。政治的には転向というのだそうである。転向文学というのがあって、学部卒論はこれを扱った。余計なことだが。
実は、そこに呪いがあるわけである。挫折せざるを得なかった数々の失敗が、ゴマンとうごめいているのである。それが呪いである。
各地に残っている大きな神社はそうした政治的な、あるいは闘いの敗者への鎮魂歌であると聞いたことがある。そうかもしれない。呪いを鎮めるために建立されたというわけである。松本清張の法隆寺に関する卓見は、ことの学術的な価値は別として、震えるような感動をした覚えがある。実際、法隆寺は謎の寺である。松本氏は、鹿島神宮に関するエッセーもあり、奈良の春日神社と藤原一族と鹿島神宮との関わりや、古事記を編纂した太安万侶の縁故を、茨城の大生神社に求めたり、実に博覧強記である。これはちょっと余談が過ぎるが。
いくつもの神社を拝見させていただいてきた。各地の神社を拝見させていただくのも好きだからである。
なぜか。鬼達の声が聞こえるような気がするからである。希望が成就しなかった御仁。あるいは、思わぬ方向に人生が行ってしまった方々たち。さらに、人間関係が破綻した人々たち。思ってもみなかった失敗。そういうもろものの体験が、人を鬼にするのである。それでもわれわれは、鬼にはなりたくないのである。普通に、翁になっていきたいわけである。あたりまえである。人間はトシをとったら翁になるからである。呪いの人生を送ったのではたまらないことである。
そんなことを扱っているのが、「能」である。すくなくとも愚生はそう感じている。
鬼怒川という名前の川を眺めていたらそんなことまで、考えてしまったのである。