と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

6月2日(土)のつぶやき

2012年06月03日 04時10分18秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
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世界で唯一の肩書き goo.gl/UiVl2

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たまには教育のことを blog.goo.ne.jp/tym943/e/89bcb…

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永遠に終わりそうもないテーマです blog.goo.ne.jp/tym943/e/52c9e…

23:39 from web
中論を書いている。壮大なテーマである。

23:40 from web
やらなきゃ良かったと思うが、もう遅い。

23:41 from web
高校時代からのテーマである。倫理社会で東大印度哲学科卒のU先生に接してから、ずっとアタシャこの異界の世界にはまり込んでいますです。

23:42 from web
だからセンセの仕事は大事なんです。センセの影響はおっきいからですよ。

23:44 from web
しかも未だにセンセの枠から抜け出せません。勉強不足だからです。永遠にです。終わりがないんです。

23:45 from web
小椋佳さまも、60になってから印度哲学にはまりましたね。

23:46 from web
もっともあちらは天下の大秀才。ちょっとやっただけで、サンスクリットもなんでも全部理解できたでしょうけど。

23:46 from web
あたしゃ、まったく満足できない。自分には才能が無いしねぇ。嘆きの壁ですよ。話にならん。

23:48 from web
今日は柔道をやって、いいアセをかいてきました。いいもんです。

23:48 from web
でも、勉強しすぎて、ケツが痛い。こんなに毎日ずっとイスに座っていることはなかったからです。

23:49 from web
ということは、勉強家にはむいていないってことですねぇ。(^0^)/ウフフ

23:49 from web
わかっていましたけど。

23:50 from web
受け身をとったら、あ、イテテ・・・ってこれは情け無いです。

23:53 from web
まだ12時前です。さ、これから2時くらいまで駄文を書きます。来週は、原稿を2本かかなければならん。と、宣言しておかないとやらないからです。(^0^)/ウフフ

23:54 from web
それでは皆様、寝る方はどうぞお休みなさいませ・・

by tym943 on Twitter
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満州文学について知った

2012年06月03日 00時19分37秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

・城西国際大学に入学させていただいて、感謝していることはゴマンとある。その一つに、満州文学について初めて知ったということがある。これはこれから大きな財産になると思っている。

・クラスメイトに、大連外国語学院(日本では大学に相当する)の先生方がおられるのだ。日本語教育の専門家であるから、実に日本文学に詳しい。(*_*) マイッタと毎日、ため息が出るほど勉強しておられるのだ。だから、アタシャ死ぬほど勉強しているんである。まったくの間近に尊敬する方々がおられると、うかうかしてはいれないではないか。置いてけぼりをくらうからである。だから、毎日死ぬほど勉強している。模倣である。真似させていただいている。時間がたつのを忘れるほどである。まったく、ケツが痛くなるほど勉強したのは、高校以来である。あ、高校の時は、まだキン肉マンだったから、ケツはそんなに痛くはなかったか・・・

・不勉強で、大連のことは殆ど知らなかったのである。尊敬する遠藤周作が、大連にいたことは知っていたが、クラスメイトにいろいろお聞きしているうちに、まったく不勉強であると慨嘆し始めたのである。

・与謝野晶子が大連にいたのである。これも知らなかった。実に不勉強である。ワタクシの居住地にある非常に大きな図書館で参考文献を借りて読んでいた。中国のご出身で現在日本大学の講師をされていたと思うが、その先生の博士論文を読ませていただいて、実に驚いたのである。本当に真摯に勉強をされている。肝心の与謝野晶子についての評価はちょっと愚生とは異なるが。縁である。

「満洲」文学の研究 尹 東燦 明石書店


・そして思ったのである。

・なぜ満州文学について知ろうとしなかったのかということである。それは戦争と結びついている。知りたくないというある意味での感傷がある。亡父が満州にいたのである。軍人としてである。その時のことを語る亡父を、幼いながらも哀しいと感じていた。亡父は、平和主義者であったと思う。それがどれだけ国家的使命との隔絶に苦しんだのであろうかと思うのである。だからと言っては身も蓋もないが、亡父はニヒリズムにずっと苦しんでいたのだろうと今は思う。生きていた時の発言は、すべてそうであったと思う。シベリア抑留体験も、相当な体験であったのだと思う。ドストエフスキーに興味を持って、学部卒論で扱ったのもそれが一因であろうと思う。今はである。わたくしも、22歳の学部卒論からはちょっとは成長したのかもしれないから。(^0^)/

・亡父のことは好きだった。本当に尊敬していた。優しいオヤジだった。否、それだからこそ、太平洋戦争について、心の奥底に大きな傷を負ったのだと思う。暗闇のようなニヒリズムがあったと、大人になったわたくしは思う。オヤジの無念さは、この年になって初めて理解できるような気がする。わたしくも60歳。オヤジは60歳で死んだ。死ぬ直前、癌だったから死ぬまで意識ははっきりしていた。そして、短期間の看病しかできない愚かな長男であるわたくしを、死の床から激励したのである。かまうな!仕事優先でいけ!と言ったのだ。なんという俠気であろうか。弱音は吐かなかった。凄いことだった。死ぬことは気がついていたであろうと思う。しかし、一切そんなことは言及しなかったオヤジである。幾多の戦友を、満州で、シベリア抑留で喪った経験を持つ。わたくしはこんな死に方はできない。みっともなく、こだわりつづけ、わぁわぁと叫びながら死ぬのかも知れない。

・そうした記憶と満州文学は重なってしまうのである。

・だから堪えらないのである。しかし、今は違う。オヤジの生きていた満州という土地と、そこで暮らしておられた方々と、その満州の土地で生まれ育った方々と、新中国の知的エリート達がどう考えておられるのか。それを直接知ることができるように神は配慮してくださったわけである。これは実にありがたいことである。

・これだけでもわたくしは、本学に入学させていただいてありがたいと感じているのである。

・ご縁である。

・すべては縁である。亡父が満州文学を勉強せよと導いてくれたような気がしてならない。ただし、本学でやるべきことは違う。ある意味、すでにテーマは決めているからである。月曜日にまた東京に行く。師匠の平家物語講座を聴かせていただく。楽しみにしている。日本を代表する碩学である。直接拝聴できるからである。その帰りに、またまた神田の古書店に行く。ダブルの楽しみである。そして、これ以上の楽しみはない。学部以来の楽しみである。

・先週買えなかった古本を、新本を買ってくるつもりである。なぜなら、図書券を持っているからである。大金である。一万円である。(^0^)/ウフフ

・ささやかな喜びである。

 

 

・また明日!

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/