やっと終了。
集中講義。けっこう辛いもんです。受けてる方も。一日7時間はやっていただいていたから。それにつけても先生のバイタリティが凄い。尊敬してしまう。あれだけ長時間をのべつまくなし講義をすることができるということにである。今日は、朝9:30から夕方6:30まで。昼食も学生食堂で先生と、もう一人の女性院生と、愚生と急ぎの食事。その時の話が実に面白かった。内容は書けない。教育制度評価のことでありましたが。
はたと気がついたことがある。先生ご自身にも確認させていただいたが、講義の時にいただいた資料が実にいいものであったからである。「キーワードリスト」なんである。これは知らなかった。これ一本でなんでも話すことができる。なるほど。この記事に紹介をするわけにはいかないが、実にいい。ただし、ページ数は多い。作成するだけでも実に大変でありましたでしょう。
マネをさせていただいた。東京からバスで帰ってきて、能楽源流考を「キーワードリスト」方式で、書き始めている。電子辞書片手に、これまで不十分な理解であったものを調べながらやってみた。なかなかいい。これ、明日から愚生のメインの仕事になるかもしれない。
できるならば、そのキーワードリストを見ながら、目の前に大学生でもいるようなつもりで話をしてみることだ。けっこういいと思う。やってみよう。
明日は、先生からご紹介いただいた浮世絵の350篇にもおよぶ作品を千葉市立美術館に見に行く。大イベントをやっているんだそうだ。今月の8日までである。これは行かずばなるまい。
こんな形でどんどん興味が拡散していく。ありがたいものである。ただし、一点気をつけないといけないことがある。それはあくまで、自分のやりたいことから逸脱してはならないということである。修士の時に随分注意しながらやっていたことである。知的巨人を気取っていて、なんでも知ったかぶりをしてはならんのである。
これをペダンチック(pedantic)というのだ。学者ぶる、衒学的であるということである。ロシアの小説かなんかにも出てきていたなぁ。貧しい村の、牧師を息子の目から見た小説であった。読みもしない高価な書籍を買ってきては、書斎と称する自分の部屋に積んでおくだけという話。要するにインテリを気取っているだけのおとうさんを皮肉っていることである。ユゴーのレ・ミゼラブルだったような気もするが。違ったかな。はっきりしていない。なにしろアタシャ、非ペダンチックでありますから。違っていたら明日訂正します。
まちがってもアッシは、衒学的なんてあり得ないし、一般ピープルだし、なんもわからないことばかりだし、要するに庶民であります。だから自分よりお若くても、優れたヒトには敬意を現すのである。それは、オイラにナイ部分を持っておられるということへの尊敬である。
それにしても、東京はヒトが多い。
地下鉄のエスカレータというの、あれワキをドンドンすり抜けていくヒトが多い。危ないですねぇ。何をそんなに急ぐんでしょうか。生きることに瞬時の余裕も持てないっちゅうことでしょうか。周囲の方々たちもひっきりなしにメールを打っている。まったく忙しそうにしておる。一番ひどいのが、電車の中でよっこいしょとPersonal Computerを広げている御仁。けっこう大きいやつをである。あれこそ本日のタイトルどおりのような気がするのだが。ま、どうでもいいことばかりである。
あたしゃ、誰からもメールは来ないし、来てもすぐには出さないし、℡だってしない。だいいち、オイラに用がある人なんて誰もいませんからねぇ。(^0^)/ウフフ
明日は久方ぶりに朝寝ができる。
もっとも、ワンコが騒ぐから寝てられんのだケドね。