と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

源氏物語だん

2012年07月18日 23時56分21秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 これで今日二度目の投稿である。 


 暇だなぁと言われる。確かにそうである。暇だ。ヒマだ。ヒマヒマだ。読書三昧で、世間のことを斜に構えて見ていられるだけ愚生は仕合わせである。それは否定しない。こんな境涯が訪れるとは、思ってもみなかったのだ。もっとも、これまでがむしゃらに働いてきたからなぁ。土・日も全部部活動のために捧げてきた。あれがなくて、土・日を勉強のために捧げていたら、定年後に大学に再入学するなんてことはなかったに違いないとマジに思うのである。

 
 でも、それなりに、充実していたと感じる。精一杯やってきたと思う。教育実践にである。亡母がまったくこのタイプであったから、影響を受けているなぁ。所詮、愚生なんか学者肌でもねぇし、研究者タイプでもない。乱暴な、猛々しいだけの生徒に十分対応できるという番犬タイプの人間でしかないのだ。それでも、愚生はそういう教員であったことに誇りを感じている。どれだけ対教師暴力を未然に防いできただろうかと思う。そういう荒れた生徒を説得するのが、愚生の商売みたいなもんだったのだ。 


 今日は、大学の行き帰りに橋本治碩学の「窯変源氏物語」を読んでいた。Amazonで100円で売っていたから、これから全部買うつもりである。その第一巻である。読んでいたのは。 


 面白い。実に面白い。実は愚生は、荒くれの関東武者のごとき武人めいた人間だから、こういう源氏物語のようないい気なもんだという(おんなたらしの物語だから)モノが、大嫌いなんである。当たり前である。愚生なんかと関係の無い世界が展開されているからである。ようするにそういうことなんである。(ナニガそういうことなんか、よくわからんケド) 


 よくわからんから、毛嫌いしていたんだろうか。多分そうだろう。 


 ところがである。 
 橋本源氏は違うのだ。語り部が「私」になっている。主人公の光源氏である。これはぶったまげた。こんな風に源氏物語をやっちゃっていいのかと瞬間で思った。これまで、教わった手法とは全く違うからだ。へぇ・・・・・の連続であった。東大国文科出身の碩学が、である。 


 愚生は東大というのはやはりなんといっても凄いと思っているし、知的信頼性において間違いのない大学であろうということが高い世間評価につながっていると感じている。その橋本碩学が、実に面白い異次元の世界を描いている。 


 引き込まれた。 


 もうたまらないのである。それはなんでか?幼い光源氏が、母を亡くし、祖母も6歳で亡くしてしまうからである。有名な桐壺の巻である。これを、「私」を語り口にして、源氏を語ったヒトを初めて知ったのである。理由はすぐわかった。それは愚生が、孫のいるじじいだからだ。幼い光源氏が、かわいそうでたまらんかったからである。こんながんぜない幼児のときに、母を亡くし、祖母を亡くしたらどうなるんだいと思ったのである。 


 電車の中で、そっとハンカチでお目々のあたりを拭いていた。もう、これで決まりである。愚生も、橋本源氏にとりこにされてしまったのだ。うまいなぁと思った。これまで、谷崎源氏とか、円地源氏とか、瀬戸内源氏とか、与謝野晶子源氏とか、正確を期す今泉忠義訳、学部時代にお世話になった玉上琢弥訳とかを購入して読んでいた。つまり、あまりにも難しくて参考書と首っ引きで「あくまで正確に」訳そうとしていたのである。それが、出来の悪い国文学徒としての義務だと思っていたからである。 


 このことは、高校時代のH先生という仙台の旧帝国大学国文科出身の先生に感化されたのだと思う。もっとも、劣等生の愚生である。とてもじゃないが、ついていけなかったケド。厳しい教え方であったが、実にすばらしい碩学であった。その先生に、論語の解釈で、「先生!それは先生が間違っている」と迫った記憶があって、まことに赤面の至りである。今でも、カオが赤くなる。まったくどうしようもない、うぬぼれ小僧である。高校生くらいで、なにをかイワンや。でも、愚生はあのとき、湯川秀樹博士の兄である貝塚博士の本で殆ど論語を暗記していて(愚生の祖父に素読を授けられていた)、注釈もすらすら言えたんで、強靱に・頑迷に主張したんである。馬鹿だったけど、かえってかわいがってもらったのはありがたいことであった。 


 そういえば、H先生は、大学進学の心配もしてくださったなぁ。高校の先輩だから、本当に愚生のことを気にかけてくださった。新聞配達をしながら大学に行くのは知っておられた。だから不憫に思ってくださったのだろう。おまえのチカラがたいしたことはないのは知っている、しかし、もうちょっとやれば地方の国立大学くらい行けるだろう?なんでそんな苦学までして、国文学をやりたいのだ?と実にあたたかいご指導を拝受したのである。 


 思いやりの極地である。いい先生である。ま、貧乏で学力も無い、高校の後輩の愚生を憐れに思ってくださったのだろう。なんて言ったって、新聞配達までして大学に行こうっていうあふぉ~は、いかな貧しい米沢であっても愚生一人であったからである。 


 だから源氏物語が嫌いだったのだ。愚生のような苦学生にはハラが立つだけであるからだ。いい気なもんだと思っていたからである。冗談じゃねぇ、愚生はこの日の朝飯だって、昼飯だって、晩飯だって、てめぇで稼ぐしかねぇんだ。なにが、オンナ遍歴だよぉ~ってぇのは、あったのだ。わからんひとには、わからんでもいいでしゅよ。(^0^) 


 そういう愚生を感化してくださっている。橋本碩学は。 


 なんだか源氏物語構想論のゼミを受けていたころの、つまり、21・22歳のころの愚生にフィードバックしているねぇ。勝手な言いぐさではあるが。 


 それだけ、源氏物語というのは奥が深いのだ。 


 紫式部は、愚生のような読者も想定していらしたのかもしれない。ありがたいもんである。 


 さ、明日は千葉科学大学で授業である。これくらいにしよう。 

 

 


 また明日! 
  

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余計なおせっかいですが

2012年07月18日 06時13分18秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 さすがの愚生も、往復492キロの運転は疲れた。(体力しか自慢できないから)

 昨夜は、ワンカップ大関みたいなものを、ちゅ~っと呑んでいたらあっというまにバタンキュ~。もっともその前に、疲れたときは逆に身体的な疲れを体験すべきであるというので、ジムにも行っていた。サウナにも入ってきたからお酒が効いた。しっかり効いた。

 

 そして、朝3時には目が覚めてしまった。ずっと橋本治先生の書籍を読んでいた。Amazonからもたくさん先生の古本を買ったので、赤鉛筆を片手に仕込み中である。で、飽きるとこっち。つまり、ブログを書き始める。愚生の場合、ブログはノートの代用品だから習慣になっちまっている。あ、それと愚生ってブログ書くの異常に早いんです。これって、知ってる人は知っているんだけど(ナンダ?それ・・)。だから、あっという間に書いちゃう。表現がおかしいところが出てきて困ってしまうから、後で訂正する。ともかくやってみることを優先しているのが、愚生の生き方でしたから。過去形でしか言えないのがマコトに残念なんだけどなぁ。

 

 もっとも、相手は最初想定内読者5人と思っていたら、読んでくださる方が増えた。ありがたいことである。現役時代のブログの記事も、このブログに全部コピーしてあるから、その時は52万のヒットであったが。このブログは新規に立ち上げたのでゼロからスタートした。

 再スタートでは、生涯学習という分野であった。学校教育ではスタートしていないのである。徐々に見てくださる方がおられればいいと思っていただけであった。しかし、もうそんなことは言っていられないんだろう。毎日、ご訪問してくださる方がおられるようになってきた。ただし、教育関係のことはまったく無関心を装っている。マスコミを賑わしている話題だって、関心がないわけではない。オレならばどうするのかということは、即座に出てくる。しかしである。当事者の気持ちを思うと、こんなあふぉ~なブログであれこれコメントを書いてみるということはできない。それほど、恥さらしではないつもりである。大変です、頑張ってとエールを送るしかない。

 

 ニンゲンナンテ、勝手なもんである。当事者の気持ちなんてまったく考えないのだから。一億総評論家である。わかりもしないことを、あれこれ想像して言ってみたり、書いたりしたらいかんのである。インタビューもしないで、他人のことを書いてはいかんし、そんなモンが多いのは事実である。

 

 最近言われたことが、現役のときのこと。ナンニモしなかったんだろう?と。4年間ただ学校でぼ~っとしていただけだろう?やったのはおめぇの前までの校長だよなぁ、ってことだった。

 

 ハイハイ認めましょ。そう言って欲しいんでしょ?(^0^)


 しかし、これだけは言いたい。校長がダメでも、頑張ったのは先生方であった。先生方は、大輪の豪華な花であった。愚生は、肥やしだけひたすら蓄えていたなんの起伏も無いただの大地でしかなかったなぁ。のっぺらぼうの、草木も生えない荒れ地だ。そういう意味ではナンモしなかったのだろうなぁ。

 

 気楽に見えていたんだろうな。ソンなカオをしているわなぁ。ま、どうでもいいことだけど。どうせ、よく調べもしないで、噂話で人を評価しているんだから。

 

 狭い社会で生きているとそうなる。自分のやっていることが、唯一絶対になっちまう。Pedanticというのは、そういうことを戒めるために自分に課してきたそうしちゃならないという自戒なのである。だから当然他人に対しても厳しい見方をさせていただく。あまり表面には出さないが、諧謔ということの本質はそこにあるんではないかと思うのである。自信と、相手を攻撃するというのは裏腹の関係であって、だからといって何でも許されるとは思わないほうがいい。いちばん厳しいのが、インテリジェンスである。パワハラ、アカハラ、セクハラというのも思い込みである。勘違い。やっているご本尊には、そういう自覚がないのだ。自分だけがエライとなると、自分が見えなくなるからだ。

 

 それに「臭み」ということも気をつけられた方がよろしい。長年、同じことばかりやっていると、職業的臭みが出てくる。聞きもしないのに、前職時代は偉そうな地位にいたから、そして今回はたいした仕事をしていないから、発言に失礼があったらご容赦を、といけしゃーしゃーと言う御仁がいるが、笑いますなぁ(^0^)マークがいくつあっても足りませんぜ。(^0^)/ウフフ

 

 だから、愚生は自分のことを「愚生」と自称する。「愚たる」「自分」という意味である。この基本的な構えが無かったら、相手が馬鹿に見えるだけではないか。冗談では無い。世の中にはすぐれた人がたくさんいるのである。このことを忘れてはならないのである。「自戒」ではあるが。

 

 路傍の草にだって、学ぶことはたくさんあるのだ。じっと堪えながら、あるいは踏みつけられ、慮外の理不尽な攻撃を受け、存続すらできない可能性もある路傍の雑草には。悪ガキ時代にはそんなことを考えもせず、遊び歩いたものであった。山や川で。もっとも、愚生はその路傍の草を自生させる大地のようなことしかしてこなかったケド。柔道しかり。

 大地には「教え子」という名の大輪のハナが咲いていて、そのおかげで今は柔道をただひたすら楽しむだけの境涯にいることができるんだから。

 

 あの時代に戻りたい。しかし、もう不可能である。だいいち感受性が戻らない。いちいち大自然の動きに感動し、いろいろと考え、それを日記に書いていた。あのすこぶるパワフルな時代にである。要するに加齢をしたということなのであろう。しかしである。それを求めなくては、大自然の方も愚生に与えてくださる可能性はない。それは間違いない。求めなくては、何も得るものはない。バイブルにも書いてあるではないか(^0^)/ウフフ

 

 今日は、これから城国大に行く。いくつかの書籍を携えて。また、図書館に、隠棲室に籠もる。でないと、ついていけないからである。大地だけで生きてきたから、オレの花が咲いていないからだ。もっとも、永久に咲かないだろうけど。肥やしだけだったからなぁ。

 

 そんなもんはどうだっていい。

 楽しいからやっているだけなんだから。

 

 それでは行って参ります。

 

 

 あ、そうだ。高校生はもうほとんど授業ないみたいですなぁ。だからと言って、何もしないでいるといけませんぜ。世の中には、高校生よりも勉強しているじじぃがいるのかも知れませんから。今週に限っては。(^0^)

(余計なおせっかいですが)

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/