自己のよって立つべきところというのは、ただのフィクションではなかろうかとも思うことがある。
たとえば、言語である。母国語というのが我々にはそれぞれあって、しかもそれは国の存立に関わる制約を受けている。なぜなら国際化社会だから。当然、日本人ならば日本人としての影響を受けているのである。だから、他国との関係が緊張したり、破綻したりした場合には、その国家的関係も言語に影響を及ぼしてしまう。日本とアメリカもそう。日本と中国もそう。日本と韓国もそう。日本とフランスもそう・・・・・というような案配であろうと思う。何を心配しているかというと、日米関係、日中関係、日韓関係等が風雲急を告げているように愚生には感じられてたまらんからである。政治の影響を言語も受けてしまってはならないからである。杞憂であってほしいが。
幼児体験というのもそうなのではないのか。自分に都合のよい物語だけを、言葉巧みに作り上げているだけではないのかと思うことがあるからである。だから、こんなつまらないブログで自分の幼児体験とかを書いた場合には、書いたハナから物語として消え去る運命にあるのではないかと思うのである。要するに自分で創作しているのだ。
他人との出会いもそうだ。ある種の物語を作っているだけで、たとえば職場が一緒だからとか、なんと無く気があうからというような要素で、友人関係が構築できてしまう。不思議なものである。なんで、あんないい人が、愚生のようなバカモノと対話をしてくださるのだ?と感じるときがしばしばあるからである。むろん感謝しているけれども。
だから、その物語が消滅したらどうなるのかということをふと思った。つまり、友人との別れである。すでに関係性において破綻していれば、それは「もう二度とお会いすること」が無いということになる。哀しいが、そういうことである。しかたのないことである。一端リセットして、それぞれの人生を歩んでいくしかないのである。
絶対の関係性というのは存在しないと思うからである。だから、人は母校を懐かしがるのではないのだろうか。愚生のように母校がいくつもあると実に楽しい。それぞれの校友会のつきあいがあるからである。しかも、学部も、修士も、博士も学校名が全部違っているのだ。会費がたまったもんじゃない・・それにこれから行きたい通信教育の大学名を今晩とうとう女房ドノに告白してしまった。あ、しまったと思った時はもう遅い。いつもそうだ。愚生の人生こんなもんである。(自虐ネタである)
それだけ半端もんなんでしょうけれどね。
今日は師匠に、ある原稿がボツになったことをご報告申し上げた。当然であろう。ボツになるには、なるだけの理由があるのだから。掲載不可ということであった。理由は書いていなかった。もっとも「の~りょくありましぇ~ん」とでも書かれていたら、こりゃたまらんケド。しかし、我が輩はめげないのである。ただの負け惜しみでもない。当然であると思うだけである。仕方ないではないですか。じょせ~にもてないのと一緒である。(^0^)/ウフフ
だからといって撤退はしない。めげないのである。下書き原稿は、虎視眈々と次の機会をねらうのである。作戦変更。一度あったことは、100回あるかもしれない。それでも、オレはめげないのだ。ある意味、自分に期待していないからなんだろうなぁと思うことがある。こういう性格はいつできたんだろうと、その物語のルーツを探ってみた、今日は。
山形にいたときの、山形新聞の記者の方々にしごかれたことがそれかなぁと思う。今思えば凄い方々であった。芥川賞をとられた後藤紀一先生というかたを中心に、文学活動がなされていたのである。若干22歳の青年と~ま君も時々思い出していただいて、夜な夜なそういう先生たちの集まる酒場の隅っこでいじけていたっけ。これは事実であります。嘘ではない。
そこで、鍛えられたんだと、ハタと気がついたのである。今、思えば赤面の至りであるが、なんとへたくそな小説を書いたり、大先生たちに生意気な文学論をふっかけていたのだ。(^0^)/ウフフだわなぁ・・自虐ですよ。マジに。
前期開講していただいていた講義が今日で一つだけだが、終了した。クラスメイトたちとも、もう二度とお会いすることもないだろう。たった6人しかいないんだけど。「お世話になりました、もうお会いすることもないでしょうが」と感謝の言葉を申し上げた。本当に知的な刺激をいただいたからである。愚生以外は全員中国の大学の先生方である。お帰りになる。これからのご活躍をお祈り申し上げます、というような気持ちであった。本当である。だってこっちは来年生きているかどうかもわからんのだし、退学せよと言われたら、退去するしかないからである。評価は厳しいのである。学問をやる資質に欠けるとなったら、こりゃぁ潔く去るしかない。
これからまた孤独なチャレンジが始まる。
明日も、また東京に行く。方丈記の講義をいただくためにである。講談社学術文庫まで出しておられる師匠の方丈記である。どうしても拝聴したいのである。
楽しみ、楽しみ。