6:05である。昨日は、ブログの記事を書かなかった。
東京で、師匠に方丈記を教えていただいていた。中原中也と鴨長明との関わり、災害と和歌文学等々のご指導を拝受して、感激して帰ってきたのだ。むろん一般人相手の講座であるから、わかりやすく教えていただいている。これもまた師匠に感謝である。なぜって、オイラもまた素人同然であるからである。当たり前である。第一、師匠から見たらその素人のレベルにすら達していない。なにを考えておるんだと、天下の笑いものになる。(もうなっているか・・)
60になっても、古典が苦手でよくわからないからである。一応、これまで座右にナントカ古典大系とか、古典集成とか岩波文庫とか、大量に集めて読んで(眺めて)はきた。ノートの数も半端じゃぁない。源氏物語に至っては、読書カードが数千枚ある。B6の京大式カードだけど。しかしである。量ではないのだ。あたりまえである。そしてやればやるほど、オノレのアタマの悪さが身に染みるのだ。高校の同級生達にも笑われたっけなぁ。「と~まよ、なんで国文科なんかいくんじゃぃ?新聞配達して行くような学科・学校かぃ?」って。ふんふん。(^0^) ¹
今と同じ言い方をされているではないか。なにしに大学院なんかいっちょるのだぃ?ってねぇ。60過ぎたんだから、もうちょっとまともな生き方をせよ!と目を三角にして言われる方もいるのだ。ありがたくて涙がチョチョぎれる。イタンジだなぁとも言われる。否、イタンジ?それって、異端児って書くのですかな?それじゃぁ、異端爺と書かないといかんでしょと申し上げると呆れて、もう何もオッシャラないのだ。助かる、助かる。
そして、今朝はなんでこんなに古典がわからないんだ?ってことの原因が昨夜わかったということを書いてみたい。それは、ま、たいしたことではない。むろん愚生の能力もある。それはそれ。あることに気がついたのである。つまり、男共は、古典の時代の男共は漢文だけを読み書きしていたということにハタと気がついたのである。(紀貫之は例外っすよ)
ということは、女共は・・・ということなのだ。なんだ、簡単だったのだということである。
つまり女はかなを使って書いていたのだ。もっと言えば話言葉である。さらに言えば、平安期は今のような敬語表現が完成していなかったから、女性言葉が乱暴だった可能性がある。それをである。機械的に文章語に置き換えていくから、何を言っているのかわからん訳語ができあがるということを、東大国文科出身の橋本治先生の「『わからない』という方法」(集英社新書)で教えていただいたのだ。(同書 pp.69-224) ²
ちなみに橋本先生の存在を知ってはいたが、これまでまったく読んだことがなかった。いろいろと古典系の作品がある。しかしである。書名の付け方に違和感を覚えていたのであった。手にとってはみたものの、読まなかったのである。
しかし、今回初めて手に取ってみて、こんなに深く考えておられるとは気がつかなかった。昨夜は、ずっと先生の他の書籍も読んでいたのである。読むついでにAmazonで他の桃尻シリーズも注文した。「桃尻ナントカ」ってタイトルだけでも、ちょっと違和感があるのはご理解いただけだろうけれども、この先生なかなかの方である。世間をちょっと斜めに見ていらっしゃるのは、けっこう愚生好みでもある。そういうひと、好きなんです。
話し言葉であったものを、丁寧に文章語で現代語訳をするからおかしなことになる。枕草子冒頭をこれまでセオリーどおり、受験勉強的に訳していたからこれは身に染みる。教わったときもそうであった。一語一語実に丁寧に訳さないと、チョークが飛んできた。なにしろ、母校の先輩で、俊秀ばかりであったから。先生たちが。こういう先生方に教わると、辛いものがある。俊秀だから、愚生のような出来の悪い子の気持ちがわからんのだ。(^0^)
今回、なんで古典ができなかったかということがよくわかったのである。橋本先生の学恩である。
さらに三日ほど前になるが、日本漢文というものをどうやって読み解くかも教えていただいた。別の文庫本で。逐語訳を、逐語訳カードを用いて勉強していくのだそうである。これまでB6とかA6の大きいカードでやっていたが、今回から名刺サイズでやってみることにした。常時1000枚は書庫に置いてあるから、さっそく辞書を片手に始めてみた。いい。なかなかいい。しかも、この方法のコツは、岩波文庫でやることである。書き下し文と、漢文を交互に見たり、あっちの頁、こっちの頁と面倒であるが、これもまた楽しみなり。参考書は、あくまで参考程度に、ともかく自分でチャレンジしてみることであると教えていただいて勇気百倍。どうしても、どうしても正解を求めて、正解病にかかっていたからである。今、チャレンジしているのは「古語拾遺」である。短いし、ちょうど手頃である。あ、それとファイルも簡単だ。100円ショップで名刺専門のファイルが売っている。しかも、バインダーに綴じられるように穴つきのである。これだと持ち運びができる。名刺サイズだと紛失しやすいが、ファイルはそれを防いでくれる。いいものを教えていただいた。ありがたや、ありがたや。合掌・・・!
わからないから、わかるように工夫をしていくわけである。これだな、これ。で、早速昨日の夜は塾のヨルバイトもあったから、担当した高校生に学び方の方法として紹介した。レヴィ・ストロースのいう知的文化資本の贈与である。英語だったから、二人でふんふんと感激していた。たぶんあの子もやる気になったであろうと想像している。勝手ながら。それにつけても、塾は涼しくていいな。こんな環境、現役の時はなかったから。
60歳になったから、なんでもチャレンジしていくしかないのである。だって、どんどん物忘れしていくんだから。恐ろしいほどの速度だ。こんなんじゃ、しょうもない。だから、pedanticだなんて言ってられんのである。馬鹿でもあるまいし、人に知ったかぶりをして、教えることができるほどの力量もありゃぁしませんよ。アタシャ。
なんの立場もないしねぇ。
それに、60歳くらいで、偉そうにおめぇに教えてやるぜなんて言う資格もにゃぁぜよ(^0^)
さ、今日も図書館で勉強、勉強である。
なんの代償もないから、かえって気楽じゃ。
(^0^)/ウフフ
あ、今日は光町の図書館に本を返してこなくてはならん。忘れないで行こう!
¹:なんだか苦学をするというのは、法律とか、経済とか将来のステップアップのためであって、明治以来そういう苦学生が多かったことは否定しない。さらに、「苦学をしながら行くだけの価値があるのかい?その学校に、その学問に」という少年らしい皮肉も同級生達は言っていたのである。学校というモノの価値ということを言い始めたら、本当にいろいろな分析の対象になるであろうとそれはそれで感じる。しかし、ドングリの背比べということもあり得る。また、東大批判は東大に入学できない人はしてはならないという論理矛盾も同時に抱える。知性の面で、カミの如きという人間はいない。アタシャ、自分の甲羅にあった生き方をしているだけであるから、カミを自称するわけにはいかんのでありまする。(^0^)/ウフフ
²:現代っ子のギャル言葉を、丁寧な受験勉強的文章語に直しているようなもんである。「ちょべりばぁ」とか「うぜぇ」とか、ギャル言葉はまったく意味不明。オレのようなじじぃには理解不能である。昔もそういうことであったのだ。そういうこと。つまらんことであるが。