いろいろなことを考えることがある。こんな愚生でもある。今日は、オノレの役割というものに考えが至った。それは、オノレよりも若い方々の邪魔をしてはいないかということである。進路のである。
大丈夫か。
大丈夫だな。
たぶん大丈夫だろう。
大丈夫変格活用ではない。まじめにそう思っている。生涯学習というのは、やはり個人的なこころみに他ならないからである。将来それで食べていこうとか、国家的戦略のもとに学問をなさっているかたの視界に、愚生みたいなものは入ってはならないのである。応援はさせていただく。そのつもりでもある。そういう役割だとも十分承知の上で、通学させていただいている。個人的な体験である以上しかたのないことである。
たとえば、若い研究者が、あそこの文学遺跡に行ってみたいとなったら、愚生が運転手をかって出るというようなものである。もっとも、愚生のポンコツ自称スポーツカーでは誰も乗りたくないであろうが。(^0^)
今日、師匠からクラスメイトの2人と講義をいただいていて、そんなことを感じたのである。もしかして、もしかしたら、愚生は本学におおいなるご迷惑をおかけしているのではないかと、ふと思ったのである。クラスメイトの二人は、まだ若い。若いが、前途洋々たる俊秀である。比べて、オレは・・。
決定的な弱点が愚生にはある。何かになろうとしてもなれないのだ。これは確かである。じじぃよ、すっこんでオレ!と言われたら認めるしかない。逡巡がある。たしかにある。されど、やり残したことがある、好きな分野で原稿を書いてみたいという慚愧の思いも愚生にはあるのだ。原稿なのである。役割が欲しいのではなく、文章を書いてみたいのである。好きな分野でやってみたいのである。このまま、死んじゃってもいいんかい?って神様に言われたら、ウンとは言えないんである。そういう意味ではまだまだ悟っていないのである。そして、本学の後にも生涯学習をやらせていただくつもりでいるのだから話にならないのだ。もう、行ってみたい大学も決めているのだ。ただし、通信であるが。
愚生は、かなり幅広くスタンスをとっているつもりである。この道しかない、この道をひたすら研究活動で歩んでいくということではない。揺れ幅を広くとっておいて、方向性だけは違えず、細々とやってきた。その意味では一貫性があった。しかしである。中途半端であることは否めない。
またいろいろなことを言われても、愚生は、「それはせんじつめて言うとこういうことでね?」というまとめ方はしない。したこともない。そんなふうに、単純にすべてのことをまとめるから、破綻するのである。総括とも昔は言ったかなぁ。。。。そういうの、好きな人種がいたっけなぁ。
あ、そうじゃなくて、そんな単純なまとめ方をするから、マニュアル主義になってしまうのである。あれもこれもあっていいのである。育児法だって、はやりすたりがあったではないか。絶対的にいい方法なんであるわけがないのである。だから、耳学問が重要なのである。他者に聞くことで、取捨選択をしていけばいいのである。最初から、自分の意見を持つことなんてできるわけもないからである。全ての知識は受け売りでしかないではないかと思うからである。オリジナリティなんて簡単に言わないでほしい。マジに、そう思っているのだ。
あれ?また脱線した。なんの話だっけ。これだから、精神分析家に非常に興味があると言われてしまうのだ(^0^)
そんなに変わっているんですかねぇ。もっともある経営コンサルタントが、大学の先生をやっていて、単位を与える方であったそうだ。さらに彼はある大学の大学院で勉強もなさっている。それをTwitterで、「単位を与える立場で、同時に自分も単位をもらう立場」で「希有の存在」であると他の方々から激賞されていた。これ、オイラと同じような立場であるような気もするのだが。もっともあちらさんは、秀才だからな。そこが違うか。
今日も塾のヨルバイトをやってきた。収入面ではまるっきりボランティアである。カネが欲しかったら、こんな割にあわないことはやらない。つまりそうではないから、やらしていただいているのである。楽しいし、意義もある。孫のような女子中学生に数学を教えていて、ここがわからないんですけどとかわゆく言われると、ハッスルするのである。よ~し、まかしてくれ!とやるのである。根っからの教師でありますなぁ。愚生は。B4のカミを持ち出して、即興の講義を始めてしまう。情報カードもいつも胸ポケットに持っている。教え方が、変わっているのかもしれないが。
楽しいモノである。今日やったのは、中学の国語と数学。さらに高校の英語。まったくわらっちまう。まだ、オイラにもできるのだ。次々と思いだすのである。ほんとうである。それほど、母校で苦しんできた勉強経験が生きているのである。これは恐ろしいほどの、インパクトがある。もしかしたら、頭脳が覚えているのではなく、身体が覚えているのではないかとも思っている。母校でこんなことをやったっけなぁとか思い出すと、そのイメージがまざまざと出てくるのである。ゾンビのようにである。
だらだらとまた書いてしまった。
ほんとうに性格そのものである。
明日は銚子で夕方から、一杯やる。教員ではない。もう卒業させていただいたのだし、生臭い話はもういい。ただし、明日呑む相手はもっと生臭い連中ばかりである。世間の生き馬の目を抜いて生きてきた尊敬すべき戦士であるからである。こういう連中ともっと早くから知り合いであれば良かったと思う。
楽しみ、楽しみ。