どの作家の文章がいい文章なのだろうかと、よく思うことがある。愚生なら、高校とか中学校時代にさんざん言われたのが、志賀直哉である。写生文の見事さとか、いろいろとご指導をいただいた。確かに、てきぱきと短文を積み重ねていって、実にいい。心持ちがいいのだ。東京のヒトっていうのは、こんなにもはっきりとした文章を書くんだと憧れていたのである。
あれから50年たった。10歳くらいに志賀直哉を読んで、その時からずっと確かに名文であるけれども、なんかちょっと違うぞという思いも年齢と同時に出てきたからである。社会人としての経験智が少しは愚生のようなモノでもできてきたんだろうと思うことにしている。
正直言ってなんか物足りないのである。「城之崎にて」だって、屋根の上で蜂がどうしたこうしたと書いてある。中学生の時から思っていたが、「それがどうした」というのがあるからである。
川端康成もそう。恋愛に近いほのぼのとした慕情を描かれても、「へぇ・・」としか言いようが無い。けっこうなことでしたねとしか言えない。今は、である。
だから、作家にのめり込めない性格になってしまった。もっとも、その前に、依然としてあるのが、愚生の能力への不信感。つまり、アタマ悪いから理解できないのかもしれないという恐怖は今でもある。逆説的に言えば、だから勉強しているんだけど。
「へぇ・・・」っていう言葉はある種の視聴者参加型のテレビ番組で、流される陰の声みたいな効果音として聞かされることがある。あれって、愚生は実に楽しい。ついでながら、政治討論番組であの「へぇ・・・」って裏の声を流すともっと面白いことになるではないかと諧謔的に感じているんですが。ま、これ以上は書きませんけど。
古典も、いろいろと読むことがある。ことがあるっていうような状況ではないんでしょう。それで飯を食ってきたし。よくもまぁ飽きもせず、ごちゃごちゃとやってきたもんである。しかも、まったくモノになっちょらんではないか。それでもである。ありがたがって、源氏物語を神棚に上げておいて毎日清浄なる机上を掃き清めて、拝読させていただくというようなことは絶対にしない。宗教書ではないのだから。源氏物語って、中世の少女漫画みたいな楽しさもあるから、そういう軽い気持ちで接触するのもまたオツではないのかと思っているくらいであるから。学問としてやるのは、そういう専門家に任せておいたほうがよろしい。愚生のような素人は、楽しみで読むくらいがいちばんいい。
それをである。自己の苦悩の救済のためとかとなると、これは苦しい。実は、愚生にとってドストエフスキーがそうであった。18歳の頃は、実に苦しかった。経済的にも苦しかった。当たり前である。現在のように、純粋に勉強オンリーで城西国際大学に通学できなかったからである。否、そうではない。経済的にも苦しかったが、思想的にも挫折ばかりしていた。そういう作家の読み方というのもあるのである。だから実にためになった。
生きていくのにもいろいろな様態があるのだと初めて教わったのである。誰に? 自分自身の体験にである。
学び方を学ぶというのが、一番強力な教育法である。自分は無知である、だから優れた知者に教えていただくのだということが、最重要であるような気がしてならない。今日の千葉科学大学の授業でもそれを熱心に訴えた。学生さん達は、なんども頷いてくださった。ありがたいかぎりである。そして尊敬する知者との関係性を構築せよということも熱心に申し上げた。いくらでもいらっしゃるではないか。そういうことを教えていただく先人達がである。むろんそれは愚生を除外してある。当然である。愚生なんぞ、いつまでも無知であるがために、知を求めざるを得ないさまよえる愚者であるからである。
城西国際入学以来、印刷した資料が、茅屋の書庫で高さ30センチの透明なる箱に入っている。それが3個ある。つまりもう高さ1メートルになろうとしている。4ヶ月でそうなってしまった。さらにそれをデータベース化している。どこまでいっても、終わることのない歩みである。
「死蔵」という言葉もある。それをもっとも恐れている。読まないといかんのである。当たり前である。
そのためには、どんなことにも興味をもって、好奇心をもって「へぇ・・・」「へぇ・・・」と毎日つぶやきながら、生きていくつもりであります。
今日はヨルバイトの塾のセンセをしておりました。3人面倒を見ていましたが、一人は国語で敦盛の最期。これは得意ですから、徹底的に読み解きました。図解法で。けっこういい教え方であったと思います。数学と英語もやりましたが、特に数学も楽しいもんであります。いろいろな図形の面積とか、体積とか求めるものでした。中学3年生の。楽しいものであります。思い出すからであります。
こちらは「へぇ・・・」と言っているわけにはいかない。でないと生徒がかわいそうですから。
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また明日!