と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

賓客が現れて

2012年08月02日 23時50分47秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 嬉しいことがあった。

 ヨルバイトをしているということは、拙ブログで明らかにしていたが、そのバイトに賓客が現れたのである。塾で愚生に小論文指導をしてもらいたいとのことであった。だから元気百倍(これは造語です)したのである。ましてや、以前務めさせていただいた学校の保護者と高校3年生である。ハッスル、ハッスルである。オレの方がである。しかし、それにつけても夏季講習も学校でやってもらって、さらに勉強するというその心構えに感心したのだ。たいしたもんである。ちょっとは愚生も見習いたいものである。もっとも、オレの高校時代はもっとやらされていたか・・やらされたといううような不遜な態度であるから、中途半端な生き方しかできなかったのだなぁ。天才にもなれなかったし、五輪にも出られなかったよぉ(^0^)(あたりめぇですケド)

 マインドマップ法で、アタシャ小論文の書き方を指導させていただく。確かにこれはちょっと変わっているのかもしれない。つまり右脳の活用である。イメージで文章を書いていくという方法である。ま、たいしたことはないのだが。

 しかし、コツさえ覚えれば生涯役に立つ。残念なのは、こういう指導の機会をなかなか持てないから、知的財産を贈与する相手もいない。そういう機会はあまりないからである。強いて言えば、銚子の千葉科学大学でその機会を与えていただいているだけである。それと、塾である。

 そういう機会を大切にするということは、ある意味特殊な才能を要求するのかもしれない。つまり、コネクションというやつである。それが、オレには全くないのである。拙ブログを読んでいただく方々には、オレがいかに世渡り下手で、皮肉屋で、斜に構えているかということに気がつかれているだろうと思う。それはそれで間違いが無いのである。認めますよ、真実認めます。

 それでもである。オレのようなもんを必要としてくださるならば、オレは燃えるのだ。(^0^)/ウフフ

 じじぃの戯言と言ってはならない。オレはオレで、真剣である。こんなオレでも必要だとしてくださる方があれば、どんな艱難辛苦であってもオレは出かける、チャレンジさせていただく。そういうもんであろう。そういうもんでなくてはならんのである。

 若い世代はなんも知らない可能性があるからである。事実、看護学と死生学、生きがいと老年学というようなことを今日の高校3年生は知らなかった。ま、当たり前であろう。まだまだレベルが違いすぎる。だから、インターネットでこれらの項目について、調べるように今日は言った。しかしである。看護系大学や、難関看護学校を目指す場合にはこのことは避けて通れない。

 目の前で、今死にかけている病人にどうやってケアをするのかと今日は彼氏に質問をした。酷かなぁとは思ったが、彼が看護系大学専門学校進学を希望しているからである。高校生である。難しいのは先刻承知の助。それでも、アタシャ、挑戦を強いる。当たり前である。知的財産を贈与する以上、そこには厳しさがなくてはならない。甘えは許されない。

 それでも、期待をしたい。
 
 なぜなら、看護師を目指すというその志が貴重であるからだ。なかなかできない進路の決断である。尊いことである。それだけで愚生なんぞ尊敬してしまうのだ。
 
 オレなんかにはできないからである。

 ある意味、オレは挫折をしているからである。そういう無償の愛を基盤としたJobに憧憬するのだ。福祉系の仕事をしようとして、就職に逡巡して、挫折したからである。

 医師とか、看護師とか、介護福祉士とか、医療系・福祉系の職業に対する大きなコンプレックスがあるのだ。オレには能力が無くてできないというその一点においてである。

 世の中には、尊い仕事というものがまだまだたくさんあるということである。

 
 だから、つまらん駄文書きで余生を送っていてはならんと自省するのである。もっと世の中のためになることをすべきなんであろうと思う。目の前の一歩からである。毎日通学している電車の中でゴミを拾っているが、そんなつまらんことでも世の中のためにはなるんかもしれなと思っている。

 


 じゃぁ!

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さぁ、出かけよう

2012年08月02日 08時13分42秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 毎日同じ台詞がクチをついて出てくる。アズ~イ・・・って言うような言葉である。しょうもないが、大自然様のなされることだ。しょうもないことは、しょうもないんである。

 定期の血液検査も結果は良好であったし、治療も投薬もない。ありがたや、ありがたやである。しかし、油断は禁物である。体調維持にこころ掛け無いといかん。やりたいことができなくなる。駄文の執筆である。? このブログではない。非公開カテゴリで書いている駄文たちである。ブログに書いてあると、自宅でも、学校でも継続できる。USBとかなんとかとか、コンピュータの素人の愚生にはまったくわからん小道具を持ち歩かなくてもいいからだ。(^0^)

 昨日は、そんなわけで、クルマで登校した。暑いからではない。実は、横芝光町の図書館に行ったのである。鬼来迎が、もうすぐ始まる。16日である。楽しみにしているのだ。いろいろと地元の情報を仕入れに行ったのだ。館長様ともお会いしてお聞きした。ついでにまた鬼来迎関係の資料をお借りしてきた。これは楽しみである。楽しみついでに、「日本の祭り 舞い」というDVDも購入した。こっちも楽しみである。昨日、ホームセンターに安価で売っていたので、買ってしまった。なにしろ安価である。ワンコインであったからである。

 それに、折口信夫全集も愚生は持っているので、こちらとの関連も調べていく。ありがたいことに、折口先生のは文庫で全巻若い時に購入したから、持ち運びが自由自在である。ただし、国語教育からの一方的な視点でしか見ていなかったから、まだまだである。教育実践という観点と、国語国文学という観点では違ってくるのだろうなぁ。今更ながら、学者先生たちのすごさがわかってきたのだ。もう遅いケドねぇ。慨嘆でありまするよ。

 されど呪ということと、民俗学と、舞いと非常に興味のある分野である。全部一貫しているのである。アタクシの興味の対象としては。ま、これ以上は書かない。種明かしをしたら、書く意欲が失せますから(^0^)/ウフフ

 こんなことを書いていると、退職したのに随分お忙しいことでごじゃりますなぁと言われる方がいる。中には、随分儲かってますなぁとも言われる。参りますなぁとお答えすることにしている。

 そういう方の考えることは、人間の行為というのは、全部が全部経済的行為だという誤った思想がある。儲けるためにだけ人間って生きているんでしょうかねぇと世界に冠たるオロカモノのアタクシは思うからである。教育も、メリットとか、デメリットとか言うようになってきたからなにをかイワンヤである。利益のために教育があるなら、学校なんかない方がいいとアタシャ思っているんでごじゃりまする。なんだか、アメリカさんの思想が入ってきてこの面だけは有害でありましたなぁと思っている。

 あまりにもシンプルに考えているとどっかに偽善があるということに気がつかない。そのまま騙されてしまう。小説だってそうである。仕組んであるからである。大作家ほど、その仕組むことが上手い。

 三島由紀夫もそうである。太宰治もそうである。裏の意図をけっして馬鹿にしてはならない。そして、読書量を誇ってもならない。問題は中身である。ただ平坦にすらすら眺めているだけなら誰でもできる。文章の仕組みに気がつかなくてはならないと思うのである。だから、面倒なのである。国語の授業って。とてもとても、満足した授業をやったことはなかったなぁと思う。本当に、申し訳無いと思っているのだ。

 今月の18日に50歳になったかつての少年少女たちと同窓会をやる。U中学校時代に教えさせていただいたのだった。実は、楽しみにしているのだ。なんどかお会いしている方々である。中には仲人までさせていただいた方々もいる。故郷に連れて行った男子生徒タチもいる。今、思えばメチャクチャなことばかりやっていたなぁ。暴れん坊の教師「と~ま」の成長の基盤がここにあったからである。本当に、彼ら彼女たちとの出会いがなければ、千葉県に永住することは無かったと思う。感謝である。こころから感謝している。その時につけていた教育実践日誌もときおり眺めては、ああこの子も、あの子も・・・と懐旧の思いに浸っているのである。最高の楽しみである。しかも、アタシャ決して「せんせ~ヅラ」をしない。大切な友人であるからだ。

 これ以上書くと、せんせ~タチに対して本当はどう思っているのかがバレルから書かない。気がついているヒトは気がついているようだけど。(^0^)

 しかし、少なくとも自己研究なくしてpedanticなことばかり言っていてもはじまらんだろうというのはある。かくいうオレが一番能力が無いから自己研究をやってきたのである。国語だってとてもとても教えられる能力は無かった。あんな程度で教師ヅラをしていたんだ。申し訳ないと思う。

 


 今日も大学に行く。まだまだまだまだ修養が足りない。あたりめぇ~だ。所詮、こんな程度の人間だからである。論文一本書けてないし、著書も無い。ジュウドウでオリンピックも出ていないし。大笑いの連続でありまするよ。

 さぁ、出かけよう。

 また気が向いたら、夜にでも!

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/