嬉しいことがあった。
ヨルバイトをしているということは、拙ブログで明らかにしていたが、そのバイトに賓客が現れたのである。塾で愚生に小論文指導をしてもらいたいとのことであった。だから元気百倍(これは造語です)したのである。ましてや、以前務めさせていただいた学校の保護者と高校3年生である。ハッスル、ハッスルである。オレの方がである。しかし、それにつけても夏季講習も学校でやってもらって、さらに勉強するというその心構えに感心したのだ。たいしたもんである。ちょっとは愚生も見習いたいものである。もっとも、オレの高校時代はもっとやらされていたか・・やらされたといううような不遜な態度であるから、中途半端な生き方しかできなかったのだなぁ。天才にもなれなかったし、五輪にも出られなかったよぉ(^0^)(あたりめぇですケド)
マインドマップ法で、アタシャ小論文の書き方を指導させていただく。確かにこれはちょっと変わっているのかもしれない。つまり右脳の活用である。イメージで文章を書いていくという方法である。ま、たいしたことはないのだが。
しかし、コツさえ覚えれば生涯役に立つ。残念なのは、こういう指導の機会をなかなか持てないから、知的財産を贈与する相手もいない。そういう機会はあまりないからである。強いて言えば、銚子の千葉科学大学でその機会を与えていただいているだけである。それと、塾である。
そういう機会を大切にするということは、ある意味特殊な才能を要求するのかもしれない。つまり、コネクションというやつである。それが、オレには全くないのである。拙ブログを読んでいただく方々には、オレがいかに世渡り下手で、皮肉屋で、斜に構えているかということに気がつかれているだろうと思う。それはそれで間違いが無いのである。認めますよ、真実認めます。
それでもである。オレのようなもんを必要としてくださるならば、オレは燃えるのだ。(^0^)/ウフフ
じじぃの戯言と言ってはならない。オレはオレで、真剣である。こんなオレでも必要だとしてくださる方があれば、どんな艱難辛苦であってもオレは出かける、チャレンジさせていただく。そういうもんであろう。そういうもんでなくてはならんのである。
若い世代はなんも知らない可能性があるからである。事実、看護学と死生学、生きがいと老年学というようなことを今日の高校3年生は知らなかった。ま、当たり前であろう。まだまだレベルが違いすぎる。だから、インターネットでこれらの項目について、調べるように今日は言った。しかしである。看護系大学や、難関看護学校を目指す場合にはこのことは避けて通れない。
目の前で、今死にかけている病人にどうやってケアをするのかと今日は彼氏に質問をした。酷かなぁとは思ったが、彼が看護系大学専門学校進学を希望しているからである。高校生である。難しいのは先刻承知の助。それでも、アタシャ、挑戦を強いる。当たり前である。知的財産を贈与する以上、そこには厳しさがなくてはならない。甘えは許されない。
それでも、期待をしたい。
なぜなら、看護師を目指すというその志が貴重であるからだ。なかなかできない進路の決断である。尊いことである。それだけで愚生なんぞ尊敬してしまうのだ。
オレなんかにはできないからである。
ある意味、オレは挫折をしているからである。そういう無償の愛を基盤としたJobに憧憬するのだ。福祉系の仕事をしようとして、就職に逡巡して、挫折したからである。
医師とか、看護師とか、介護福祉士とか、医療系・福祉系の職業に対する大きなコンプレックスがあるのだ。オレには能力が無くてできないというその一点においてである。
世の中には、尊い仕事というものがまだまだたくさんあるということである。
だから、つまらん駄文書きで余生を送っていてはならんと自省するのである。もっと世の中のためになることをすべきなんであろうと思う。目の前の一歩からである。毎日通学している電車の中でゴミを拾っているが、そんなつまらんことでも世の中のためにはなるんかもしれなと思っている。
じゃぁ!