中島敦覚え書き 山月記から李陵へ
1 はじめに
中島敦を読むことは、どういう教育的効果を持つのかということについて以下に述べたい。
2 山月記の持つ意味
山月記は高校の教科書の定番のような趣がある。それも、高校の二年生で読むか、三年生で読むかによって、影響の程度が違ってくると思うのである。経験上であるが。もっとも、山月記を教科書に載せるか載せないかということについては、いろいろな論争があるようだが、この拙文では論外にする。
つまり人生の岐路にある者には、山月記の内容に「かなふもの」があるような気がするのである。かなふものとは、自己の天賦の才能とそれを許す存在のことである。言い換えれば、それは「天」の存在である。しかし、山月記までは中島敦は自分中心の世界から抜け出せていなかった。そういう意味ではまだ若いという感じのする作品である。彼は、自分に拘泥し、自分を描くという私小説的な世界に生きることはできなかった。それだけ自分ができていなかったということでもあろう。そういう意味では、伝統的な私小説世界では中島敦は成功がおぼつかなかったと私は考えている。
ただし、中島敦は太宰治的な文壇登場をしていない。太宰と同年の中島敦は、教養の面でも、自己を見つめるという点でも書斎の中で呻吟してきた作家である。太宰治は、その点が消化不良であったと私は感じている。
だから、中島敦の山月記だけを読むことによって、中島敦を知ったことにはならないと思う。彼がどれだけ勉強をしていたのかということを抜きにして、中島敦を「卒業」してはならないのである。そういう若い人もたまに散見されるが、残念な行動であると思う。作家もまた一面からのみ見てはならないのである。人間もそうである。一面からだけ見てそれで評価するという乱暴な思考法をとってはならないと私は考えている。だから、あまりにも簡単に、「あなたは・・・だから」「才能がない」とか「偏差値が低いから」「能力がない」とか、言ってはならないのである。山月記はそうした一面からの人間観を如実に語ってはいるが、あまりにも程度の低いものであると私は思うのである。
進路に迷っているときに、才能のみを頼りにするという若い人たちの生き方にある意味冷水を浴びせるごとき山月記の書き方は、ショッキングであろうと思う。それはそれでいいものである。謙虚さを知らない自称天才・秀才には薬になるであろうから。よって、非常に優秀な進学校に学ぶ高校生には効果満点であると考えるのである。
3 李陵の存在感
私は、山月記から、李陵に至って初めて中島敦らしい世界を知ることができたと感じている。
それが、2であげたところの「天」の存在である。李陵は、周知のとおり歴史に翻弄される。現代日本の政治史(特に外交史)を見ているようで痛切な思いもするが、非常に激烈なる運命でもある。登場してくる司馬遷も、それが作り物として読むにしても、実に人間としての器がおおきい。
少年期に山月記を読んで中島敦を卒業するならば、李陵という作品は、中年になってからあるいは老年になってから読むべきである。しかも、仕事で脂ののりきっているリーダー的な存在にある人ならば余計読むべきであろう。
この作品に到達するまでは、中島敦は自分中心にしか作品を書くことしかできなかったからである。自分の内面しか書けなかったからである。確かに、山月記は、才能を恃むこと激烈なる「自分」がいる。
李陵という作品には、「天」がある。日本人にはなかなかいないタイプの人間を描いている。自然とか、死を見つめているだけの世界を逡巡しているのではなく、「天は何を見ているんだ」と考えている。天はやはり見ていたんだという「懼れ」が、李陵という作品にはある。人間を超えるものという視点がある。
山月記では、中島敦は自分のこころの闇を扱った作家である。これは夏目漱石や森鷗外とも似た傾向性を有する。中島敦は大学院で森鷗外を専攻した故もあって、漱石の則天去私と鷗外の天というものを持たない教養主義的な二人の天才にある意味挟まれながら、人間存在の不思議を考えていたのである。
4 和歌でない歌
中島敦のこの「和歌でない歌」は実に全部が「ある時は」で書き出しがなされている。なかに、yahooが出てくるのが楽しいが、さすがに中島敦の教養主義がにじみ出ているのである。
遍歴
ある時はヘーゲルが如萬有をわが體系に統(す)べんともせし
ある時はアミエルが如つゝましく息をひそめて生きんと思ひし
ある時は若きジイドと諸共に生命に充ちて野をさまよひぬ
ある時はヘルデルリンと翼(はね)竝べギリシャの空を天翔りけり
ある時はフィリップのごと小(ち)さき町に小(ちひ)さき人々(ひと)を愛せむと思ふ
ある時はラムボーと共にアラビヤの熱き砂漠に果てなむ心
ある時はゴッホならねど人の耳を喰ひてちぎりて狂はんとせし
ある時は淵明(えんめい)が如疑はずかの天命を信ぜんとせし
ある時は觀念(イデア)の中に永遠を見んと願ひぬプラトンのごと
ある時はノ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ーリスのごと石に花に奇しき祕文を讀まむとぞせし
ある時は人を厭ふと石の上に默(もだ)もあらまし達磨の如く
ある時は李白の如く醉ひ醉ひて歌ひて世をば終らむと思ふ
ある時は王維をまねび寂(じやく)として幽篁の裏(うち)にひとりあらなむ
ある時はスウィフトと共にこの地球(ほし)の Yahoo(ヤフー) 共をば憎みさげすむ
ある時はヴェルレエヌの如雨の夜の巷に飮みて涙せりけり
ある時は阮籍(げんせき)がごと白眼に人を睨みて琴を彈ぜむ
ある時はフロイドに行きもろ人の怪(あや)しき心理(こころ)さぐらむとする
ある時はゴーガンの如逞ましき野生(なま)のいのちに觸ればやと思ふ
ある時はバイロンが如人の世の掟(おきて)踏躪り呵々と笑はむ
ある時はワイルドが如深き淵に墮ちて嘆きて懺悔せむ心
ある時はヴィヨンの如く殺(あや)め盜み寂しく立ちて風に吹かれなむ
ある時はボードレエルがダンディズム昂然として道行く心
ある時はアナクレオンとピロンのみ語るに足ると思ひたりけり
ある時はパスカルの如心いため弱き蘆をば讚(ほ)め憐れみき
ある時はカザノ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)のごとをみな子の肌をさびしく尋(と)め行く心
ある時は老子のごとくこれの世の玄のまた玄空しと見つる
ある時はゲエテ仰ぎて吐息しぬ亭々としてあまりに高し
ある時は夕べの鳥と飛び行きて雲のはたてに消えなむ心
ある時はストアの如くわが意志を鍛へんとこそ奮ひ立ちしか
ある時は其角の如く夜の街に小傾城などなぶらん心
ある時は人麿のごと玉藻なすよりにし妹をめぐしと思ふ
ある時はバッハの如く安らけくたゞ藝術に向はむ心
ある時はティチアンのごと百年(ももとせ)の豐けきいのち生きなむ心
ある時はクライストの如われとわが生命を燃して果てなむ心
ある時は眼(め)・耳・心みな閉ぢて冬蛇(ふゆへび)のごと眠らむ心
ある時はバルザックの如コーヒーを飮みて猛然と書きたき心
ある時は巣父の如く俗説を聞きてし耳を洗はむ心
ある時は西行がごと家をすて道を求めてさすらはむ心
ある時は年老い耳も聾(し)ひにけるベートーベンを聞きて泣きけり
ある時は心咎めつゝ我の中のイエスを逐ひぬピラトの如く
ある時はアウグスティンが灼熱の意慾にふれて燒かれむとしき
ある時はパオロに降(お)りし神の聲我にもがもとひたに祈りき
ある時は安逸の中ゆ仰ぎ見るカントの「善」の嚴(いつ)くしかりし
ある時は整然として澄みとほるスピノザに來て眼(め)をみはりしか
ある時は※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)レリイ流に使ひたる悟性の鋭(と)き刃(は)身をきずつけし
ある時はモツァルトのごと苦しみゆ明るき藝術(もの)を生まばやと思ふ
ある時は聰明と愛と諦觀をアナトオル・フランスに學ばんとせし
ある時はスティヴンソンが美しき夢に分け入り醉ひしれしこと
ある時はドオデェと共にプロ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ンスの丘の日向(ひなた)に微睡(まどろ)みにけり
ある時は大雅堂を見て陶然と身も世も忘れ立ちつくしけり
ある時は山賊多きコルシカの山をメリメとへめぐる心地
ある時は繩目解かむともがきゐるプロメシュウスと我をあはれむ
ある時はツァラツストラと山に行き眼(まなこ)鋭(す)るどの鷲と遊びき
ある時はファウスト博士が教へける「行爲(タート)によらで汝(な)は救はれじ」
遍歴(へめぐ)りていづくにか行くわが魂(たま)ぞはやも三十(みそぢ)に近しといふを
こういう文字にあらわされたところの表象を私はいつまでも慈しみたいと思っている。
5 おわりに
全集本を手にしてから、このような読書ノオトにすることができた。今後とも、読書を重ねていきたい。
◎主要参考文献
筑摩書房 中島敦全集