鎌倉時代のことを調べれば調べるほど楽しいものである。これまで、正直頼朝さんとかあまり興味がなかったのだが、そうではなくなった。なぜなら、ダブンを書いているのだが、当然のように調べなくては書けないものがいろいろと出てきたからである。仕方ない。ま、仕方なくて調べておるようでは話にならんのであるが。
吾妻鏡を読んだ。原文読解はずっとやっていたのだが、なかなかイメージがつかめなくて呻吟していた。頼朝のことがあまり好きではなかったからかもしれない。どっちかというと、平家物語が好きであるから。平家の滅亡にそこはかとない哀れを感じる方だからである。滅びの文学というのはいいものがある。勝った側というのは、何となく好きになれない。一般ピープルの傾向なんだろう。確かに、アタシャ負け続きの人生でしたからなぁ。(^0^)/ウフフ
しかしである。この時代をリスク管理という観点から考えると実にためになる。この時代にも大地震が来ているし、西行法師も書いている。そこのところをちょこちょこと書き始めている。ダブンである。なんでも書くんだなぁ・・オレって。よほど暇人なんだ。好きでやっている勉強だからねぇ。
今日で大学の休みは終わりである。明日から通学しようと思っていた。しかし、孫がいる。今週にはムコドノの家に帰ってしまう。通学ができなくなりましたワイ。意志薄弱だなぁ。かわゆくて、かわゆくて通学できないのでありますよ。情け無い。情け無い。だっこしたり、行水させたりのお手伝いをしているのだ。老醜だと言うこと無かれ。秀吉ほどひどくはないから。もっとも、あちらは自分の子どもであって、孫では無い。
院生室には行くかもしれないが、基本的には家でダブンを書きましょう。それでいい。それで。暑いけどねぇ。大学に行ったら、冷房が完備しているから快適なんだが、孫と会えない。せめぎ合いである。(^0^)
たいしたことはないのである。どうせそんなモンである。庶民的境涯である。庶民の中の庶民である。?・・・そんなリキンで言うほどのことではないが。
10月からまた別の仕事を始める。だから、その準備もある。いろいろやっているんである。自分のためではない。他者のためにである。少しでもお役に立つことあれば、どこにでもアタシャ出かけていくのだ。そして、冒頭にあげたように古本でもいいから、少量の書籍を買って読書する。ノートをとる。そして、つまらないダブン書きをすることであたまの活性化を図っている。これで随分ぼけ防止になっているのではないかと思っているんだけど。(そうでもないか・・とほほ)
佐藤優先生の書籍を殆ど処分して、売りさばいたのだが、また買い戻している。あふぉ~ですな。ノートはとったから、書籍名、ページ数、出版年、出版社名等々はわかっているのだが、生の文章が時々見たくなる。それで、いつも行っている古本チェーンで再度買ってくるのである。馬鹿なことをしているなぁと思う。そうしないと、狭い我が書庫が一杯になってしまうからである。特に、城西国際に入学してからは,古典系の書籍をかなりハイピッチで購入しているからすぐ一杯になってしまった。それと師匠の影響もいただいて、古典系についていろいろな文献を探っているからである。最初、130万冊の蔵書量を誇る県立図書館(3館総計)や城西国際の図書館から借りまくって、部分コピーをしていた。それはそれでいいのだが、基本書というか繰り返し読む本は買いたいのである。書き込みができないからである。一冊をだいたいは3回読む。そしてそれから、コメントをノートに書く。それが実にいいのだ。カード派だったんだが、最近はノートを愛用している。B5の100頁ノートである。あれ、けっこういいんだねぇ。それが、佐藤優先生の読書法なんである。つまり真似をさせていただたというわけである。
みんな人まねですがねぇ。
あまり、形式に囚われず,好きなようにやっていきたい。時間はたっぷりある。なにしろ職業「無職」である。しかも括弧付きで(年金)というカテゴリーに入っているのだから。そんなオレでも、社会のためになることをやっていきたいと思っているんだ。千葉科学大で非常勤講師をさせていただいているのもその一環。学習塾でもそう。こうやってダブンを書いてあちこち掲載させていただくのも、趣味であり、社会へのお礼のつもりである。そんな程度のことしかできないんだけれども。
冒頭に戻る。
これから「太平記」を読む。これも方向性は一貫している。さらに南北朝時代の合戦史を学び始めている。複雑でなかなか老学生には理解できない部分もあるんだけど、やるっきゃないですな。でないと、ダブンがダブンでなくなっちまう。ダブンが「嘘ブン」になっちまう。文献的な裏付けがないといけませんです、(^-^)/
じゃ、また!