1 はじめに
子どもは、自分の中に行動様式を取り込むときに、周囲の大人から影響されることが多い。また、映画やテレビ、童話などの主人公からも行動の善悪を学び、ものの考え方の基本を身につける。映像作品(テレビ番組)は、作られた国の文化的影響を受けやすく、原作に必ずしも忠実に作られているわけではない。
2 「フランダースの犬」に見られる日米の文化差
(1)フランダースの犬という作品は、1872年イギリス人ウィーダによって書かれた作品で、主人公の少年の名はネロである。祖父に育てられ、引き取った形で犬を飼うことになる。犬の名前はパトラッシュである。
注目すべきは、日米では結末が違うという点である。
日本では、「気持ち主義」の傾向が見られ、主人公に同情することによって相手の気持ちを察する能力を育てることが望ましいとされる日本の文化的な影響を受けている。
反対にアメリカでは、ハッピーエンドで終わっている。運命が切り開かれるという結末になっていて、目標を持って努力すれば人生は切り開かれるとする展開になっている。
(2)文化的スクリプトの違い
文化的スクリプトとは、「特定の文化に属する人々が、ある程度共通して持っているスクリプト」である。また、スクリプトとは、認知心理学では、「時間的・因果的構造を持つ体系的な知識のまとまり」を意味している。
原作が主人公の死で終わる日本と、ハッピーエンドで終わるアメリカの差は、日米の 一次的コントロールと二次的コントロールの違いがあげられよう。
日本では、親が比較的悲しい物語を好む。センチメンタリズムは日本人の固有の傾向であって、このことは日本人の「気持ち主義」、つまり人の気持ちを重視し、相手の気持ちを知ろうとする傾向を示している。自分の行動を抑制し、相手を援助するために生きることは日本人が好むことでもある。運命に身を任せて生きることによって心の平静を保つという実に東洋的な考えが潜んでいる。
対してアメリカでは、登場人物が死ぬようなシーンは好まれない。
アメリカ人は、自分の行動によって、直接相手に働きかける一次コントロールを好むのである。コントロールを取り戻そうとする努力が報われるとする主義をアメリカ人は好むのである。さらに、解釈によって死もまた幸せと受け取るという考えもあることを否定することはできない。
(3)葛藤解決における回避方略と対決方略
アメリカ映画に共通しているのは、「葛藤は、当事者の冷静な同意を得て、合理的に解決しなければならない」というスクリプトである。
主人公のネロの親友少女アロアの父、バース・コジェは、家柄の低いネロを遠ざけ、快く思わない。ネロとの対決姿勢が鮮明であって、財布を落としてそれをネロが拾って家に届ける場面から、ネロとの葛藤を冷静に判断し、関係を回復しようと図る。物語の前半は、葛藤にこだわり、なんらの改善を図ろうとしない父のバース・コジェの姿が描かれている。しかし、後半は自己の至らなさを自省し、ネロを援助しようとする姿も描かれる。
日本とアメリカの文化の差異が感じられる場面である。
3『ジェイン・エア』の臨終場面
ローウッド養育院での主人公ジェインの親友であるヘレン・バーンズの死は、この物語のほんの少しの部分しか占めていないが、ほかの主人公たちと明らかに異なった立場と役割を与えられている。
清らかで、消極的で、従順であるヘレンは、主人公たちがたどるであろうつらい人生とは対照的である。清らかで、現実のどんな子どもたちよりもはるかに善良でもある。(1)
19世紀の児童向けの文学作品は、病人と強い主人公を並立的に描くことが多いが、弱い病人の登場人物が現実的な世界よりももっと良いところに行くという描かれ方がある。「フランダースの犬」のネロもまた同じような描かれ方であって、おそらくは信仰上の「良い世界」に旅だっていくという結末を迎えている。
ヘレンは、この世の中で困難な生きるためのすべを学ぶ必要はなく、復讐心と怒りが身の破滅になる可能性があることをジェインに教えた。また、命に固執せず、すっとこの世から消えていったように描かれている。
冒険的な旅に出ることもなく、これからの人生の困難があっても、最終的には良い世界に行くことができ、賢くなり、より謙虚になっていくことを身をもって示したのである。
物語の最終場面は、子どもたちに道徳的教訓を教える。クリスチャンとしての「よい子」を教えているのである。子どもたちを保護すべき若い魂とみなし、育成していきたいという姿勢がこの作品にはある。
(2)
4 日米の子供観の違い
日米のしつけ観の違いが、子供観の違いに大きく影響を与えていると考える。つまりよい子アイデンティの違いである。社会的能力と言語的自己主張の領域において、日米では極端に違っている。従順で決まりを守る子がよい子であるというのが日本で、今すぐ何かを辞めさせたい状況でよい子だからという説得は功を奏しない。
また、「気持ち主義」という点でも日米の子供観は違っている。「人の気持ちを重視し、相手の気持ちを知ろうとする傾向」を気持ち主義というのであるが、子どもが悪いことをしているときに日本の母親は説得の根拠として相手の気持ちを持ち出す。数値としては、22%になる。アメリカは、気持ちを持ち出す母親は、7%である。
これは親子の同室就寝の違いもあって、日本では同室就寝、アメリカでは別室就寝が好まれる。親子間の距離感もまた子供観の違いに結びついている。物理的、心理的に日米では相違点があることをあげたい。
5 おわりに
国による文化の差が児童書や映像作品、子供観にまで影響を及ぼしていることをふまえて、これからも考えていきたい。
(1)C・ブロンテ著・小尾芙佐訳 『ジェイン・エア』2006 光文社古典新釈文庫
(2)ロイス・キース著・藤田真利子訳 『クララは歩かなくてはいけないの?』 2003 明石書店 pp.53-55