ラジオシアター~文学の扉~太宰治「恥」出演:中嶋朋子 又吉直樹(ピース)
ジブリの教科書「ナウシカは日本を変えたのか?」鈴木敏夫×朝井リョウ×川上量生 その1
めげないことは、美しきかな
クシャミがとまらない。
目がかゆい。
鼻がむずむずする。
マイッタ。相変わらず、めげずにクシャミをしている。鼻水を拭くために、テイッシュがドンドン無くなっていく。
とうとう、マイッタから、近くの眼科医院に行ってきた。朝も早く、7:30から診察だった。朝早いから、終わるのも早い。8:30に診察終わり。で、普段お世話になっている女医さんではなかった。旦那様の先生の方だった。初めてご尊顔を拝見した。なるほど、こういうご主人様であったのかと思いながら、なんだか大変愉快になった。ドクターの家庭生活には、花粉症なんてないのだろうなぁと思ったからである。
そういえば、女医先生は、人間ドックには行ったことがないと言われていたっけ。あれだけ繁盛していれば、患者が許さないのだろう。センセ!どこ行ってんのよ!と目を三角にして怒るのだろう。
思えばドクターもかわいそうである。収入はかなりあるのだろうが、暇がない。暇があったら、論文書きもせにゃならんだろうし。学会も出なくちゃならないだろうし。
医者の不養生とはよく言ったものである。
だから、ドクターは、まるで宗教家のようだと私は思っているのである。寛容のこころ無くして、医者はできない。私のような完全に医者のいうことを聞いて、治療に邁進する患者ばかりとはかぎらないからである。
去年入院したときも、医者や看護師に怒られていた病人がいたからである。そうなのだ。病院の食事では満足できなくて、つまみ食いをされていた方を知っているからである。そういう方が、再入院となって、舞い戻ってくんのよ!と看護師に怒られていた方を知った時には、バレないように大笑いをしていた。公的病院だから、拝金主義ではないのに、どうしてもまた病院に舞い戻りたい患者様がたくさんおられるようである。
怒ると言っても、感情で怒っているわけではない。寛容のこころで、指導しておられるわけである。指導しないと言うことを聞かないからである。そういう治りたくない患者もいるわけなのだ。
だから、自分がある病気になったからと言って、医者よりも詳しく勉強する方もなかにはおられると聞く。それはいかがなものか。病気になったら、医者にお任せするしかないではないか。私ならそうする。否。そうしてきた。去年の11月から。
専門家には専門の力がある。
だったら、それを認めることである。
なにも素人であることを恥じることはない。素人だということは、専門家から教えていただくことができるということである。
時々、私は、拙ブログで自然科学系のことを、わかりもしないのに書くことがある。先日、池田清彦先生の著書について書かせていただいた。さらに、昨日辺りからAmazonで買った「やがて消えゆく我が身なら」(池田清彦著 角川書店 240円くらいした)を読み始めて、ノートまでつけ始めた。おもしろいからである。書名からして、私の好きそうなタイトルであることがおわかりいたけるであろう。しかも池田清彦先生は、生物系である。知人で生物の専門家もおられる。だから安心して書くことができる。なに、間違ったらご指導をいただけると思っているから気楽なものである。
それよりもなによりも、専門の殻に閉じこもることの方が怖い。そうなのだ。もう私には専門もなにもないからである。ただの駄文読みであるし、ゴミ論文をそれこそゴミのように書いているだけの暇な爺である。
古女房ドノすら私がなにをしているのか、なにに興味を持っているのかも知らない。知らないどころか、何時間もボロ机にしがみついていると怒る。「また再入院したらどうすんのよ!」ということである。先ほど書いた、つまみ食いの患者様と大して変わらない。再入院希望では、落語にもならない。
去年の11月に入院したときも、合計80万近くかかっている。居住地の市から送られてきたから、まことに申し訳無く思っている。なんの利益も生み出さず、ただただ老醜をさらしているだけである。ま、あちこちと保険に入っていたから、いろいろあって、トータル3万円くらいで済んだが。
居住地の所有している東洋一の大病院である。健康でなくちゃ、市に迷惑がかかる。だから、市の経営しているgymにも行くことにしたのである。それでなくちゃいけない。健康であれば、努力するしかないのである。どうしてもダメだったら、そのときはそのとき。死ぬしか無い。
死んだら忘れ去られるだけである。
そうなのだ。池田清彦先生の「やがて消えゆく我が身なら」と同じである。この本は、自然科学者らしい視点で「死」を見つめている。詳しくは書けないから、興味のある方は、Amazonでもなんでも買われた方がよろしい。下手な宗教本とか、ビジネス書よりもずっといい。力を与えてくださる。生きている、生きていくということにおいて。
だから、知るということはノウハウを知ることではないと思うのである。技法ではないのだ。知るということは、もっと違う世界にあると思う。
こんなことを言っても、今時のわけぇ~モンにはわからないだろう。なにしろ、毎日テレビや、ゲームで育ってきた珍種である。そうなのだ。珍種である。絶対に、私ら世代とは違っている。
人間関係もテレビの向こう側の世界であって、テレビの中の人間がなにやら馬鹿馬鹿しい話をしているだけだとしか思っていない。あるいは、スマホとかの狭い画面で意味もない自称情報を垂れ流しているだけの存在。そうなのだ。人間が人間として意識されていない世界になってしまっている。
学校の授業もそうなんだろう。
テレビの中でしゃべっている画像と同じ。先生方である。子どもたちにしてみれば、である。そこには画像としての先生しかいない。勝手にしゃべって、受け狙いの人間みたいな登場人物がいるだけ。
だから言うことを聞かないのだ。
画面の中から、アンパンマンみたいに、パンチをしてほしいと思っているくらいだけれども。私が替わってやってもいい。私なら、バイキンマンしかなれないか。トホホ。
は~っくしょん!
だいぶ収まってきたが、また出た。
今日は市営のgymが休館である。しかし、めげずに、walkingに行く。行くために、今朝眼科医院に行ったのである。
めげないことは、美しきかなである。
じゃぁね~!
(^_^)ノ””””
マレーシアの英語
先日、テレビでマレーアをやっていた。確か、民放だと思った。旅行記のようなものであった。この手の海外旅行... blog.goo.ne.jp/tym943/e/fba8c…
【鬼面岩とおかばみさわ②】また、鬼面岩には隠れ座頭という仙人も住んでいた。旧暦7月16日の盆には忍びの道具や衣装を、向かいの山まで綱を張って虫干しする。だから村の人々はその日は山に入ってはいけないと伝えられていた。
常磐道が全線開通「復興の起爆剤に」 一部は高線量区域 - 朝日新聞 bit.ly/1AWVfcD 2015-03-01 19:49:23
[ ]説...[ ]による。学習を、単なる刺激に対する反応として考えるのではなく、刺激がどのような意味を持つのかについての認知が形成されることと考える。サイン・ゲシュタルト、トールマン
【宝誌和尚の影響】幕末絵師・狩野一信「五百羅漢図」には、宝誌和尚の伝承を図像的に踏まえたと思われるが箇所ある。また、現代美術家・村上隆氏「顔裂き写真」にもその間接的な影響を伺える。宝誌和尚が日本の近現代美術に与えた衝撃は大きいだろう。 pic.twitter.com/8sa43OFUAb
無知の壁④養老先生とスマナサーラさんと釈先生
バカになったか、日本人④橋本治さん
日本戦後史論④内田先生と白井先生
一気に3冊買ってもた。
さて、どれからいこか(*´-`) pic.twitter.com/VO7ctWDYZE
"ひとことで言えば、仏法というのは存在に対する執着にあきれ果てるためにあるのです。"
スマナサーラ長老『沙門果経』より
"諦(あきら)める"ではなく、"あきれ果てる"か。
"我々は命の中で「何かいいことがあるんじゃないかな」と思っているのです。実は、ただそれだけのことなのです。……仏教ではそれを「渇愛」と言っています。"
スマナサーラ長老『沙門果経』より
彼はそれまで僧侶だけのものと考えられてきた仏典学習や瞑想の門戸を在家信徒にも開き、誰しも実践により涅槃に到達し得ると訴えた。その画期的なメッセージは多くの大衆に受け入れられ、のちにミャンマー近代仏教の祖とも呼ばれた。――レーディ・サヤドー 『別冊サンガジャパン2』より
意外とみんな何も言ってないんだけど、今年の9月に5連休がある。
9月19日(土)
9月20日(日)
9月21日(月)敬老の日
9月22日(火)国民の休日
9月23日(水)秋分の日
ケーラーのチンパンジーの研究:チンパンジーを手をのばしてもエサに届かない状況に置くと、問題場面の状況をよく観察したうえで、回りにある棒や踏み台を使ってエサを手に入れる。
(象徴的に捉えると)かりに頭蓋が自立して、世界を歩きまわれるようになれば、それがカメなのです。ところで頭蓋は神話では全く特別の存在です。北方神話で星空は、氷の巨人の頭蓋からつくられます。そして面白い事に、全ての神秘的な流派において、頭蓋と星空には繋がりがあります。『闇の考古学』
来週日曜日(3月8日)の17時半から名古屋のテレビ塔で山伏の坂本大三郎さんとトークイベントを開催します。towerofgrebe.tumblr.com/post/110696637… 話のテーマは“日本の祭は山伏が運んできた!”です。(写真は「遠山の霜月祭り」) pic.twitter.com/XkchfB8obc