学事出版社から今年も出させていただきました。
もう連続7年くらいになります。
都合4つの原稿を掲載していただきました。
原稿料は、書籍代になります。
「文武両道」が特に私としては、力作であります。
今までの文武両道論とはひと味違った展開になっております。
(自分でいうか。。。。。トホホ)
学事出版社から今年も出させていただきました。
もう連続7年くらいになります。
都合4つの原稿を掲載していただきました。
原稿料は、書籍代になります。
「文武両道」が特に私としては、力作であります。
今までの文武両道論とはひと味違った展開になっております。
(自分でいうか。。。。。トホホ)
「古いと安くなる」
母校の大学(学部時代)学会に昨日入会した。日本文学・文化関係である。これで新しい視点を持つことができる。ありがたいものである。それにしても行動が実に素早いですなぁ~、アタシャ。進むのも早いし、退くのも早い。見切りをつけたらそれっきり。あるいは、逆にこれぞと見込んだら、徹底してやる。だから、ここまで生き延びてきたのだろう。もっとも、段々と人生の終わりを意識するようにはなって来たケド。
古文書の学習は順調である。こちらも徹底して現在学習中である。郷土史研究会で古文書講座に参加して教えていただいているから、楽しい・楽しい。さらに居住地の古文書講座にも生徒として参加しているから、先学たちの碩学ぶりにたまげている。
こちらは、時間が自由になるから、ありがたいものである。古女房ドノとの結婚式にも出席していただいた大先輩もおられて、塾頭みたいなポジュションにおられる。なにしろ彼は居住地の市町村教育委員会教育委員長までされた地元の名士である。火曜日の講座でも一緒に、世間話をしていた。今度東京の博物館でも行かないかというのである。快諾した。みちのくの仏像というのを国立の博物館でやっているらしい。ま、一人でも行ってくるけど。
この大先輩とは、原付バイクで房総一周をしたことがあって、touringをしながらバイクのタイヤを交換したり、泊まった宿では、痛飲した思い出もある。なかなかの人物である。
流れ者の私を、それこそこの土地に定着させてくれた恩人でもある。いろいろ私の若い時の悩みを聞いてくださった方でもある。私より9歳年長である。それでも、まだまだ若い。気持ちがである。古文書講座のみならず、ふるさと歴史講座でも講師を務めておられる。ものすごいものである。それでいて、理科専門の中学校の教師であったのだから、こちらもたまげる。そうなのだ。私が最初に就職した中学校の同僚であり、大先輩であったのだ。その中学には八年ほどいて、結局私は義務教育で通用しなくて、高校教員の採用試験を受け直して、結果的には追い出されたのだが。
ま、そういうこともあっていい。懐かしいだけである。
通用しないというと、大学院生としてもまったく歯が立たなかった。知力が無い。一番問題だったのは、世間を渡るための円滑な人間関係力が無かったということであろう。世間は人間関係で成り立っている。そのことは、これまでの長い教員生活でもって十分すぎるほど知らされてきた。しかし、どっかでボタンの掛け違いがあったのは否定できない。こちらが期待していることと、大学との間にである。また、量より質であったのに気がつかなかった。これは大きな反省材料である。
あと何年生きるかまったくわからないが、余生を充実して生きるためにも注意したいと思っている。
さりとて、今更生き方を変えることもできない。遊びの経験があまりなくて、ベラベラ・ベラベラおべんちゃらを言って生きてきたことがないから、冗談も言えない。私を見た人は、なんだ?この爺、と思うだろう。それほど、印象が悪いのである。目と声が良くない。格闘家の目と声でしかない。これは損であった。円滑な人間関係を構築する上で。
50年近くやってきた柔道はそもそも「柔らの道」である。柔軟な発想と、行動が要求される。何十年やってきても、それがわからなかった。柔軟に生きて、柔軟に発想を持っていくべきであった。それができなかった。だから四段のままなんだろう。
固まっていた。
エビのような柔軟な生き方ができないというのは、反発力も無いということである。エビはできる。大きく伸びるためにいったん縮こまる。こいつが理解できていなかった。無駄に長城を作ったアジアの某国のようなものである。縮んだり、伸びたりすることでもって、人間は成長するのであるからだ。
印象が悪いからと言って、今更化粧して・・・とは思っていない。それじゃぁオカマじゃねぇかと思う。ガニ股で肩を揺すって歩いているバカ爺が、miniskirtはいていたら基地外にされっちまう。それでなくても、定年退職後にアホな夢を見すぎて大学院生なんかやっちまったバカである。
そうではなくて、「柔らの道」である。
嘉納治五郎にまた学ぶことである。幸い、嘉納治五郎全集が私の書庫にはある。全部で1万5千円で買ったものだ。
これをもう一回眺めよう。
ノートもとりながら。
郷土史研究会の研究誌でまた私の論文を掲載していただけることになった。実にありがたいことである。五月には出るとのことである。病を得たから訂正作業が辛くて、やっと書き上げることができた。19頁もある。字数にして1万6千字であった。タイトルは、「鬼来迎と目連救母」である。
来年は出していただけない。3年連続したからである。まだ書きたいことがいくらでもある。新しい視点を持ったからである。「底の浅い何でも屋」である。見るモノ聞くモノ、なんでも好奇心の対象になる。だからその準備に入っているのである。冒頭にあげた新しい学会というのはその活動の一端である。
なにも、学校に入っているばかりが生涯教育ではない。それはそれで重要であるが、今回の退学騒ぎで懲りた。好きなようにやっていればいいのである。私の場合はである。
四月から通う生涯大学校も、そんなに期待はしていない。趣味でいくだけだからだ。つまり、家にいない方がいいからだ。いたら古女房ドノに叱られる。邪魔だからだ。
さらに生涯大学校では、ボランティア活動や、修学旅行もあるらしい。サークル活動もあるらしい。こちらもそんなに期待はしていないが、知人を作ることができることは否定できまい。
もう宴会活動をして、なにかになってやろうというのは全く無いから、気楽である。体調を崩して以来、宴会には一切参加していないから、これからも私はalcoholとおバカキャのミニスカ・オネーチャンのいる場所には行かない。カネの無駄である。なにしろ年金生活者である。カネを無駄に使ってはならない。
昨日もAmazonから、古文書関係の古本がきた。「古いと相当に専門書は安く」なる。そうなのである。「古いと安くなる」のである。
なんだか、私に当てはまると感じる。
さ、これくらいにしよう。
今日もまた孫と一緒に遊ぶからである。
楽しみである。どんな一日になるかということである。
(^_^)ノ””””