感念八田與一 李登輝三度哽咽
「私自身が新しくなっていくこと」が、楽しみ
台湾から、昨夜帰ってきた。むろん格安ツアーである。なにしろ年金生活者である。傘張り浪人みたいなものである。唯一の趣味であるアジア系民俗芸能の鑑賞をするために行ってきた。台湾少数民族のアミ族の舞踊(台湾の花蓮市まで行った)を、ビデオで撮ってきた。全部で二時間ある。この旅のために新しく買ったデジタル・ビデオで撮影した。自己満足している。
拙ブログでもしばらくしたら、一部分公開するつもりだ。もっとも誰も期待しているわけではないだろうけど。
さらに台湾仏教で出版している書籍も買ってきた。320元であった。最初、台北のセブンイレブンに置いてあった。買おうと思ったら、円が使えない。
一旦諦めて、数年前まで世界一高かった台北の101ビルの四階にある書店で買った。嬉しかった。観音経の書籍である。台湾仏教界で十万部も売れた本である。中国語の勉強になる。さらに、九十九里浜にもたくさんある馬頭観音について、解説してあったのだ。これもまた、じっくりと読解作業に入るつもりである。これからの私の課題でもあるからである。
しかし、101のビルで買ったのだが、なにしろ言葉が全く通じない。
むろん不肖「とーま君」のことである。中国語はまったくできない。できないから、でたらめ英語でチャレンジした。そしたら、これもダメ。できるだけ簡単なフレーズで話してもダメ。単語も簡単な単語を用いた。それもダメ。
若いオネーチャン店員が、二人しかいなかったのだが、しまいには、そのオネーチャン手が震えていた。
私が怒っていると勘違いされたらしい。なんか別世界の人間に見えたのかねぇ~。そして、どーも発声がよくないのだとハタと気がついたのだ。
最近花粉症で、喉の調子が良くない。それでだみ声であったからか。マイッタね。
人相も良くないからなぁ~。
さらに、派手なシャツを着ていたし。(赤いのを)
私は決して怒っていたのではない。丁寧に、申し上げたつもりである。手書きのメモも用意していたのである。が、あまりのキタナイ字でそれも読めない。読んでくれない。万事休す。ああああああああああ、台湾まで来て、欲しかった本が手に入らないのだ。
どこまでオレは、ついていないのだ。これで台湾の本からもフラレルことになるのか、とがっかりしてしまった。
綺麗なオネーチャンとは以前からご縁が無かったのだが、ここまで嫌われるとどうしようもない。
で、最終手段である。
手真似である。指さしだ。
原始的手段である。
最初から、これで行けばよかったのだ。
カードを示して、これで払えるかと一生懸命聞いた。
そしたらなんのことはない。OKであった。
それから難渋した。
仏教書のコーナーを教えてくれと丁寧にお願いしたのである。けっこう大きい書店で。これもわからない。わからないから、自分で探した。書名を見るとわかる。
あった。
嬉しかったねぇ~。
まったく、まったく。
殆ど病気ですな。これじゃぁ。
そして、思った。
つまり、「言葉でなにかを伝える」というのは、かなり難しいということをである。
拙ブログも、「私についての正しい情報」を伝えるためにやっているのではない。そんなもん、誰も知りたくはないだろう。私ごとき爺について、知人や友人すら、ましてや家族もまったく興味はないからである。ただひたすら呆れかえっているだけであるからだ。
生涯学習とか気取って、何を血迷っているのだと今でもいわれる。知りたくないのだ。私ごとき爺のことなんか。当たり前である。近寄ったら加齢臭がするし、カミの毛もない。クチは悪いし、都合の悪いことは聞こえない。
それよりも「私についての新しい情報」を、私自身も知りたいし、書きたいだけである。チャレンジしているだけなのだ。そうなのである。私は、私自身のことがよく分からないからである。分かったふりをしてきただけである。あるいは、分かったような気がしていただけである。だからである。だから、「自己を知る」とかということが困難であると思っているのだ。
書きながら、新しいことを考え、思考しているだけである。どんなに時間と金の無駄であると言われても、文章書きを止めないのだ。
自分自身の、かっこうよく言えば知的興奮をメモして書いておきたい。さらに私は、自分自身の知識を増やすということにおいて貪欲であると思っている。知らなかったことを教えていただくことが、楽しい。ありがたい。これがあるから、今まで生きてきたのである。
拙ブログで書いている理由というのは、読んでくださる方に「なにか新しいメッセージを伝えてみたい」というのでない。しかも大所高所から何かを教えてみたいというのでは、もちろんない。その資格もない。タダひたすら、「私について知りたいこと」が、私自身にあるからである。何かにチャレンジしてどっか変わっていったらしいという私自身を確認したいのである。そういうことである。
「私自身が新しくなっていくこと」が、楽しみであるからである。
確かに、今回の台湾格安ツアーで、いろいろな知識を仕入れることができた。全部映像や、メモでもって、大きなトランク一杯に持ち帰ってきた。
これが楽しいのである。
それだけである。
ま、気ままと言えば、気ままである。
しかし、思ったのだ。
これすらできないのならば、なんの爲に生きてきたのだろうかと。
マジである。マジ。
あああ、疲れた。
数日、ゆっくりします。
映像を編集しながら。
(^_^)ノ””””