孫が(T_T)/~~~をしたから
孫が今日で帰ってしまった。3歳と、1歳の男児である。言葉の覚えとか、ハイハイとか、親としてはいろいろと心配の種も尽きない。しかし、爺としての私は楽しい限りである(あった)。昨日の晩も、書庫で読書をしていたら、「ご飯よ」という単語を使って、私を呼びに来た。むろん私の娘(彼にしてみれば母親)から言われたからである。
不思議なものだ。去年まで、まるで言葉が出てこなかった幼児が私を呼びに来るのである。ま、母親の口まねではあるが。それに「じいじ」という呼び方も割合簡単に出てくる。これも嬉しい。「じいじ」と呼ばれると舞い上がってしまう。
しかし、世の中には偏屈な爺もいて、「じいじ」と呼ばれることに抵抗感があるのがいる。
だから、「おじさん」と孫に言わせている偏屈爺がいるのである。知人でいるから知っているのである。なんとも、なんとも。それほどまでして、アンチエイジングを気取っていたいのかねぇ~と思うからだ。みっともない。
「じいじ」と呼ばれるよりも、「ばあば」と呼ばれる方が嫌だというご婦人も多い。その場合、「おねーさん」と孫に言わせているのじゃあるまいな?と思っているのだが、いかがであろうか。
そういう老いを嫌うこころの在り方というのは、信じられないのである。
爺や婆になったからと言って、何を恥じることがあろうか。堂々としていればいいのである。なにしろ、経験値が違っている。これまでの経験値が。
目標や、成果を求めて今を過ごしているのではないからである。さらに、収入は少なくても、ボランティアの形でなんらかの貢献はできている。たとえそれが社会の片隅でささやかにやっていることであってもである。自慢するようなことは、私も一切無い。
「一隅を照らす」という言葉が、比叡山にあったような気がするが、あれである。あれ。
まさに、社会の片隅で、細々としたロウソクの明かりでささやかな明かりを灯す。
これでいいのである。今更、他者に何かを指導したりする意味はない。私は、いろいろとバイトをしているが、ご高説をくっちゃべっているつもりは無い。私ごときが、なにを今更である。血迷っちゃいけねぇというのが、基本にある。
勘違いをしてはならない。
ただのバイトである。第二の人生を生きているつもりは全く無い。孫育てと一緒である。学生がかわいいからやっているだけである。これから未来ある生き方をしていくであろう若者へいろいろと語りかけているだけである。塾もそう。某大学でもそう。大学生と言ったって、孫のようなものである。それに教員志望の学生に語りかけているから、楽しいものである。四月九日から講義が始まるから、ノートもこれまで何冊も作った。シラバスどおりにやるけれども、資料が充実している。これが実にためになるらしい。
要するに「規格外」なのであろうと思う。原稿の棒読みではないから面白いのであろう。むろん筋道は立ててある。理論と経験があるからできる。
ここらへんが塾の指導と大学では違う。
こっちは(塾)、ある意味、解があるから、マニュアルどおりになる。それを大きく逸脱してはならない。でないと、高校入試に合格できない。それは避けたい。ま、こっちもボランティアみたいなものである。収入とは別世界だからである。
カネが欲しかったら、別の方法があった。ささやかながら、つましい生活をすることでもって、社会に恩返しをしていきたいと思っているからできる。だから経済ということを無視してはならない。経済生活あってこそである。ヒトを食って生きることはできない。ましてや霞を食って生きることもできない。ま、世間にはそういう人種もいるかもしれないが。嘘つきを生業にしている方々である。江戸の霞が関周辺に生息しているような気がするのだけれども。
これ以上は書かないケド。
しかしである。ほんとうにささやかでもいいから、つましい生活でもいいから、一介の田舎モン、あるいは庶民として恥じることの無い余生を送って生きていきたいものである。
年金暮らしをしている貧しい爺から、オレオレ詐欺とか、学*と称する高い銭をふんだくって、だましたりするのはもっとよくないとしみじみ思ったからでもある。これもこれ以上は書かない。
孫が男児というと、最近の若いおあーさんたちは、赤ちゃんを産みたくないのだそうな。
特に、男児を産みたくないのだそうな。最近の事件でも男児のなれの果てが、殺人事件を起こしているし。女児の方がいいのだそうな。若い母親と女児で過ごすことでもって、オママゴトの延長を生きているのだそうな。女児だと、若い母親を理解してくれるのだという。周囲に婆がいなくなって久しいし、家族単位でもってバラバラに過ごしている家庭も多いからであろう。都市化しているからでもある。
昨日、風呂に入って読んだ本の中にそう書いてあった。『14歳の子を持つ親たちへ』 (内田樹・名越康文著 新潮新書)という本である。コホンチェーンで買った。260円もした。尊敬する両大先生の対談本であるから、風呂の中で読んでいたら失礼になるが、孫がいるので仕方がない。本を読んでいると、孫は気に食わないらしい。邪魔をしに来るからだ。爺に遊んでほしいからであろう。だから読む時間がない。風呂の中しかない。
どうでもいいようなことばかりである。
まったくどうでもいいことばかり多い世の中である。
今日も夕方まで時間がたっぷりある。
孫が帰ったから、古文書読解から、数学、英語とまた自学自習を始める。それが私にできる唯一のことである。
暇だからなぁ・・・・・わははははっははっはははっはは。
(T_T)/~~~