ケータイのいかがわしさ
ケータイ(今ならスマホか?)というのは、なんのために持つのか。そんなことを考えることがある。
あれは(これは)、きっと浮気をするのに便利だからだ。配偶者や、同僚の誰にも気づかれずに、相手と連絡をとることができる。密かにである。ケータイが無かったころは、固定電話か手紙であったろう。「・・ろう」というのは、浮気の経験が無いからである。しかし、手紙で相手と連絡をとっていた時代は、悠長なものであったに違いない。だから文学が発達した。歌物語というのは、そういう意味で発達した。
でも、今では誰でも使っているケータイがなんのために使われるのかということを考えるのは重要である。
私なら、徘徊の防止であろう。私の配偶者から見て、不安であろうから。それに、どこで低血糖を起こしてひっくり返っているかわかったもんじゃないからでもある。さらに、配偶者と一緒にスーパーマーケットにでも行ったときに、私が迷子にならないようにというくらいの使い道しかない。
そうなのである。電話は殆どかかってこないし、かかってきたら「今、どこにいるの?」という配偶者の問いだけであるから、本来は不要なのだ。
で、ケータイの営業所に相談に行った。「月々の支払いを限りなくタダ同然にできませんか?」と聞いたのである。
唖然としていた。
「お客様、それはご無理でございます」
目が異物を見るようだった。当然である。タダ同然で使いたいというのだから。
だって要らないのだもん。ま、私がケータイを持っていないと困るのは、配偶者だけである。だから、仕方なしに持っている。スマホにする気はさらさらない。ついていけないからだ。スマホの用語自体がまったく理解不能であるし。
電話やメールが来るのは、歯科医院からキャンセルが出たから来ないかという位のものである。あとは、飲み会の誘いもあったが、呑めなくなったので、それもなかなか来ない。
だから生涯学習で外に出ようと思ったのも一つの理由である。外に出ないと病気になっちまうからである。
そもそも閉じこもって、本を読むのがガキのころから大好きであったからである。これは、亡母も悪い。そういう本ばかり読んでいる私を褒めてくれたからでもある。そうか、そんなにオフクロが喜んでくれるのなら、大いに読書してやろうじゃないかと勘違いをしてしまたのである。その結果がこうである。爺になって、動かないから病気になっちまった。バカである。
バカというとケータイで浮気をしているバカは、もっとバカである。
何を言いたいのかというと、ケータイの番号とか、メールアドレスを教えないという方が多いからである。特に女性は決して教えてくれない。教えてくれと言ったこともない。教えてくれというとセクハラになるのだそうな。気に入った男性でないと、教えないというのだそうな。気に入られるワケもない。あたりまえである。加齢臭のするただの爺であるからだ。
だから、そもそもそこからして、ケータイがある意味いかがわしい存在であるということになると思うのである。
なぜそのことに気がついたか。それはFaceBookにけっこういかがわしいメールが入ったりするからである。しかもLINEというものの番号も書かれている。ありゃぁ~である。バカバカしい。もしかしたら、もしかするのである。もしかして犯罪と関係しているのではないか。しかし、私はそういうのにはひっからない。オレオレ詐欺にもである。いかがわしい電話には私の方が、野太い声で、まるで◎ボーさんのようになっちまうからである。(^0^)
教員は、教育委員会の指導で、生徒とのメルアドの交換やケータイ番号を教えたりしてはならない。それがそもそもケータイのいかがわしさを示しているではないか。教育委員会だって気がついているのである。ケータイが危ないということに。
プライバシーについても、そういう観点から見てみるとなるほどと思ってしまう。
メルアドもケータイ番号もプライバシーなら、教えたくないというのは、目的がいかがわしいものだったらわかる。そりゃそうだ。いかがわしい目的のために使っているのだったら、そりゃプライバシーは大事だろうな。そんなの、オレには関係ねぇ~けど。
私のプライバシーはもっと他にある。ケータイより、キャッシュカードの方がもっと大切である。そういうのが私にとっては大切なプライバシーである。住所もそうだ。だから、退職してからの名刺には勤務先の住所が書かれていない。もっとも、名刺といっても名刺交換自体をすることがない。職業がないからだ。全部バイトである。たまに名刺交換をすることがあって、面倒くさくてしょうがない。私の名刺には、名前と携帯番号と、メルアドくらいしか書いていない。
だから一々説明しなくちゃならない。よって、二種類作った。自作である。親しくなる可能性のある人と、そうではない人との用途である。もうひとつの名刺というのは、バイト先も書いてある。「今、何をしているのですか?」という問い自体がけっこうあるからである。
私の長男もけっこう聞かれると言っていた。迷惑だと言っていた。
だからそういう質問があったら「オヤジは死にました」とでも言っておきなさいと答えた。
呆れていたが。
もうどうだっていいのである。
十分世間のいかがわしさに耐えて生きてきたからである。ケータイごときで、ひっかかるような経験不十分な爺ではないからである。
不良爺であったからである。
わははっはははっははははっははは。
(^_^)ノ””””