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芥川龍之介「杜子春」(朗読:yukari)―名作名文ハイライト
芥川龍之介「蜘蛛の糸」(朗読:渡辺知明)―名作名文ハイライト
「こたつ・みかん・ネコ」
今日は千葉市に出かける。クルマである。午前中郷土史の会議に出て、それからお昼にマスコミの方と一緒になる。13時には在籍大学に向かってクルマをスタートさせる。師匠とお会いするためである。
だから、今日は一張羅を着ていく。背広は肩が凝るからあまり着たくないのであるが、仕方ない。背広も無いわけではないから、たまには着てみないとカビが生える。カビに好かれそうな古びたバカ爺である。カビは、こっちからお断りしないといけない。こんなもんに好かれたら、毒舌だらけの人間になっちまう。可能ならば、カビでは無くて美女がいい。好かれるならばである。
在籍大学から居住地に帰ったら、今度は孫が待っている。二人である。楽しみである。こっちは、まだまだ毒舌なんぞとは無関係である。天真爛漫である。おむつもヒト箱買って待っているのである。あ、二人分だから二箱である。上の孫が四月から保育園に入るから、洋服も買ってあげる。たくさんである。
こういう甘ちゃん爺だから、長女がいそいそとやってくるのだ。実家に帰るというのは、そういうことなんだろう。経済的負担がないからだ。食事も婿殿に作らなくてもいい。風呂も私の家のは大きいから、ゆったりできる。そういうことである。
四月から私の家ではいろいろと転機がある。いい方向で、である。内容は詳しく書けない。
こんなことは、現役の仕事人間だったら、当たり前のことだ。
転機というのは。転勤とか、自営ならば新規事業の立ち上げとか、いろいろとあるだろう。
だから、今日のオレは、昨日のオレでは無いのである。
人間はエビのように変わる。変わって当然である。それがあるから、生きることに飽きないのである。変わっていないように思えても、細胞は変わっている。日々死んで、日々生まれ変わっている。
筋肉痛で痛くても、今日はすっきりしているし。gymに行っていると、そういう体験は幾度となくしてきた。昨日も、gymでちょっと張り切り過ぎた。筋肉痛があった。そうなのである。まだ元気なんである。若者のようだ。まるっきり。
で、昨夜十時前には寝た。今日出かけるからだ。午前10時から会議があるのだから、すべては逆算して行動していかなければならない。電車で行くといいのだが、電車だと在籍大学に行くのに不便である。さらに、今日は大学の卒業式だそうである(ちなみに私には無関係である)。クルマをとめるスペースがあるかどうか、ちょっと心配である。しかし、師匠に呼ばれたから行くしか無い。
「人生には転機がある」
この一文を書いていて、しみじみそう思った。
私なんぞ、転機だらけである。
生涯学習をずっとやってきたから、余計そう思う。通信教育主体であったが、学校が変わる度に、転機があった。
四月からは、千葉県がやっている生涯大学という老人大学に週一度通うことにした。居住地の近くである。分校があるからだ。内容は、まさに生涯学習である。別に内容が気に行ったから入学したわけではない。友達を作りたいというその一点に限っている。今までの友人・知人とは別の意味で楽しいものになるだろうと思っている。
エビのように縮んだり、思い切り伸び上がったりしたい。
そういうことの繰り返しである。停滞だけはない。停滞というのは、滅亡を意味している。だから前例主義ではないのである。去年とおなじことをしていたら、停滞する。成長はない。
暇だからと言って、「こたつ」に入り、「みかん」を喰って、「ネコ」をだっこしてじっとしていたら死んでしまう。
そりゃ、いつかは誰でも死ぬ。
しかし、「こたつ・みかん・ネコ」でもって余生を過ごしてはならない。マジにそう思う。
年金生活だからといって、消極的に生きていると、そうなる。「こたつ・みかん・ネコ」の余生になる。
そうではないのだ。
「こたつ・みかん・ネコ」を否定して生きていくことである。それが、医療でもって居住地の大病院にお世話にならない唯一の方法である。爺だからといって、医療保険の世話になるのは当然だと思ってはならない。できるだけ健康で、国家の医療保険の出費負担増を抑えることに協力しなくてはならない。そう思っている。
アタマの活性化ということでもそうである。
昨日から、高校数学にチャレンジを始めた。古書店で、チャート式の数Ⅰと数ⅡBを買ってきて(216円もした)ノートを作り始めた。楽しい。楽しい。微積をすっかり忘れていたからだ。むろん、専門外である。しかし、バイトで塾に行っているから必要である。専門外だからできないというのは通用しないからだ。そんなことを言っていたら、塾の生徒に申し訳ないからだ。
真面目だなぁ~と思う。
私は。
自分で言うかということだが。
しがない爺ではあるけれども、こういうのが趣味である。趣味こそ我が人生。趣味で生きているのもまた一興。
人生楽しみが無くなったら、面白くもなんともない。
さ、孫と会いたい。
これも趣味だな。
趣味。
じゃぁ~行ってきます。
(^_^)ノ””””
数学の顔ってあるのかいのぉ~?
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【展覧会】 #奈良 大和文華館にて
特別企画展「風俗画と物語絵」開催
4月 3日(金)~ 5月10日(日)
⇒ kintetsu.jp/yamato/
いくつか和歌を引いておく。古井由吉氏がエッセイで引いていたものである。
花の上にしばしうつろふ夕づく日 入るともなしに影消えにけり 永福門院/
ぬれておつる桐の枯葉は音おもみ 嵐はかろき秋の村雨 光厳院/
しずみはつる入日のきはにあらわれぬ かすめる山のなほ奥の峯 藤原為兼
#jtba【ご案内】4/12(日)大分県 明西寺『花まつり』法話:スマナサーラ長老 皆さんでお釈迦さまのご生誕をお祝いしましょう!午前10時より、子ども花まつり~ どうぞお越しください。 fb.me/4pxuYwVCZ pic.twitter.com/g9wwims3GQ
”かぐや姫はあきらかに「結婚したがらない娘」という、神話タイプに属しています。”科学に佇む書斎 sciencebook.blog110.fc2.com/blog-entry-720… 『人類最古の哲学』中沢新一
戦争においては、現実を覆っていたことばとイメージが現実によって引き裂かれてしまい、現実がその裸形の冷酷さにおいて迫ってくることになる。-全体性と無限-
バスチアンはあの一夜に、あの謎めいた本を読むことにより、彼の神話を体験するのですから。それはバスチアンが体験する、彼の神話なのです。そして、バスチアンは、あの夜、かれの神話を体験するからこそ、翌日には、外の世界にも向かう事が出来る力を、彼自身の中に見つけることになるのです。
■「私の子供たちよ、人生の道を歩んでいるときには、けっして他人を傷つけてはいけないし、悲しい思いをさせてもいけない。反対に、おまえが他人を幸福にできるようなときには、いつでもそのようにしなさい。」【ウィネバゴ族インディアンの伝承のことばより】
どっかで、もの凄く絡まってて、ときどき憤怒の対象になって、僕が一番頭にくるのがパクさんです。ムカムカして一晩「くっそー!」って気にさせてくれるのも高畑さんです。それから、作品の内容とか、ものの考え方とか、いろんなことも含めて、いちばん信頼して話し合うことができるのもパクさんですね