林住期である。今、ボキはこれである。退職してからの時代をさす。人生のクライマックスである。家庭をつくり、子供を育て上げた後は、せめて好きなことをして生涯を終えたい。リセットしてみる時期なのである。
習慣化ということが大事であるとしみじみ思う。毎朝、早く起きている。これだ、これ。なんのためにかというと、NHKの英会話講座を聞き始めたのだ。退院してからである。だから、もう2年ちょっとになる。朝の6時30分から始まる。2本聞いているから、終わるのがちょうど7時。聞く以上予習をしてから聞いているから、ちょっと早く起きているのだ。
アルバイトでやっている塾のために聞いているのだが、習慣化してしまった。だから、けっこう惚け防止になる。なぜか。忘れている単語なんかもかなり多いからである。
さらにシャドーイングもやっているので、声を出す。これもまた良し。黙ったまま一日過ごしていてはならない。病む。精神的に。けっこう大事なことである。
もっと大事なことがある。
それはwalkingである。毎日10キロ以上は歩いている。一日にである。合計の距離である。ちょっと打鍵したら、憑かれたように外に出て歩く。スタスタと歩く。これがいいのだ。
血圧も正常になっている。上が120台になっているから、こんなことは考えもしなかった。ありがたいものである。
酒もヤメタからであろう。晩酌と自称して毎日呑んでいたら、血圧は当然上がる。酒をやめると人間関係が若干希薄になってしまうのが、デメリットであるが。しかし、もうメリット・デメリットで生きる時代は過ぎた。仕事中心ではナイからである。樹林の中に分け入って、死を見つめる時期になったからである。
言わば「林住期」である。
>アーシュラマ(āsrama)または住期(じゅうき)とは、インドのヒンドゥー教社会において、再生族(ドヴィジャ)のヒンドゥー男子に適用される理念的な人生区分のこと。 4つの段階を経過することから四住期とも訳される。 成立は古代インドのバラモン教にさかのぼる。(Wikiによる)
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Wikiの説明ではよくわからない。
古代インドでは人生を4つの時期に区切るという。
「学生期」(がくしょうき)
「家住期」(かじゅうき)
「林住期」(りんじゅうき)
「遊行期」(ゆぎょうき)
以上である。
つまり、学生期はまさに学んでいる時代。こいつは生涯学習ごっこの時代でもあった。あったと言っても、まだヤメタわけではないが。それに、ボキはこの学生期が異常に長かった。カネがなくて、苦学ばかりしていたけど。これがあったから、その後喰っていくことがデキたからありがたかったが。
家住期は、家族と共に過ごした(過ごしている)時代でもあった。しかし、あまりも仕事仕事で家族のことに配慮が及ばなかった。モーレツを通り越していた。土曜も日曜もなかった。部活の練習試合で家には殆どいなかった。長女・長男に恵まれたが、子育ては古女房ドノが全部やった。だから、アタマが上がらないのである。マジに。なんにもやってこなかったのだから。
林住期である。今、ボキはこれである。退職してからの時代をさす。人生のクライマックスである。家庭をつくり、子供を育て上げた後は、せめて好きなことをして生涯を終えたい。リセットしてみる時期なのである。人生80年。もっと、長生きになるかもしれない。人は生きるためにもエネルギーが必要だが、死ぬときもこころ構えが必要である。哲学なんてぇものではない。そんなもんは、インテリの必須科目であって、ボキのような庶民には理解不可能である。だからといって、生涯をなすべきこともなく、雑事に追われながら死にたくはないものだ。最期まで仕事仕事でメリット・デメリットだけを考えて、そろばんはじきだけをしていたら後悔する。自分が本当にやりたかったことは何なのかということを自問自答すべきである。その結果後悔があったらあったでそれでいいではないか。所詮、悪業三昧で生きてきたのである。最期の最期まであがいて、悩んで、後悔しつつジジイとして生きていきたい。
悟りなんかとは無縁であるからだ。
悟りなんて言ったらバカかと言われてしまうではないか。それに悟ったという自覚もないのである。そもそもアホである。
このようなことを考えるのを習慣化していきたいものである。
それしかやることがないのだから。
わはははっはははっははははっはは。
今日も天気がいい。朝からピーカンである。ただし、gymも図書館も休館である。午前中は原稿書きをして、間で歩く。午後も原稿書き。そしてまた歩きに行く。
原稿は、生きてきた証、記録のためにやっているだけである。これもまたよし。あれもまたよし。趣味だから。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ