受け入れることが、平常心を保つ(のかも知れない)と思っているので。・・・・・フフフフフフ。
受け入れることができるか。すべてをである。幸福は受け入れることができる。しかし、不幸も不運もである。ボキのような貧乏もである。あるいは、意図していない出来事もである。病気もである。これも意図していないからである。誰も病気になりたくてなっているわけではない。しょうがないからなっちまったというだけである。
しみじみそう思うのだ。
思うようにならないのが世の中である。ハゲかかってきたときに、かなり焦った。で、いろいろな整髪料にチャレンジした。チャレンジしながら、これでいいのか?ってぇ疑問が忍び寄ってきた。
結果的に受け入れた。受け入れるしか手がなかった。ジタバタあがいているうちに、アホはアホなりに考えた。こういうように外面だけ飾っていていいのかと思った。飾っても、もう無駄であった。頭頂部からドンドン禿げてきた。今日は何本毛が抜けたかとサミシイ思いもした。しかし、途中からエィ!とばかりヘッドスキンにした。
さわやかだった。
受け入れたからである。でも、周囲が受け入れてくれなかった。今までどおり、からかいの対象にできなくなったから、むしろ残念な気持ちでいたのだろう。それが伝わってきた。
ヘッドスキンにしたら、案外これが素敵なのだ(^_^)。自称だけど。似合っているのだ。もっともボキは、柔道部を長いことやっていたから高校時代は3年間坊主アタマであった。だから違和感はなかった。むしろ、仕事をしていてヘアーを伸ばしていた時代の方が違和感があった。
出世に影響があるかなぁと考えたからヘッドスキンにできなかったのだろう。でも、そんなことはなかった。天性禿げていたら、生まれつきである。時代も良かった。差別することが否定された。ことごとくだった。外見や身体的なハンデをクチにすることは、世の中の風潮として否定された。ありがたかった。
なにも、すべてが変化したわけではない。外見が変わっただけであった。だから、ボキという人間が変化したわけではなかった。内面はである。けっこう寒くなったから、冬は大変になったけど。そんなもんは、帽子をかぶればよかった。帽子代がかかってきたが、ご愛敬である。昨日も居住地のショッピングセンターで二つほど買った。夏用である。Walkingをやっているからである。熱中症になってしまう。それだけは怖い。
受け入れるということは、そういうことである。中身は変化していないのである。それをである。イチイチ外面を気にして、悩んでいたら時間がもったいない。そんなことでクヨクヨやっていたら、あっと言う間に死んじまうではないか。やることはいっぺぇあるのだ。
死ぬまで勉強である。これからボキは、死ぬ。死ぬための覚悟を勉強しなくちゃアカン。
楽しみですらある。マジに。
なんでも前向きに捉えたい。
できれば、前のめりに死んでみたい。
わははっははっははははっははははっははは。
冗談だけど。
*
今日はこれから孫と一緒に佐倉市の草笛の丘という所に行ってくる。ミニSLが走っているのだ。おにぎりを持ってである。楽しみである。
孫を持つようになったのである。
そうなのだ。ジジイになったのである。それをも受け入れるということである。
あ、孫が起きてきた。
もうこれにて終わり。
出かけてきます。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ