夜の投稿はかなりめずらしいのだけれども、いろいろあって・・
夜の22:19である。今日は、まったくご多忙でしたなぁ。珍しいこともあるもんじゃ。第一、拙ブログになかなか登場しなかったから、もしかして死んでいるんじゃあるめぇなぁと言われてもしょうがない。
わはははっはははっはははっはははは。
アルバイトで某大学に行っていたから、けっこう時間配分がシビアであった。銀行にも行っていたし。gymにも行ったりしていた。夜は学習塾。
ま、なにもすることがないよりはいい。そう思っているから積極的にいろんなことにチャレンジしている。
それに読書もしていたのだ。タゴールにショックを受けてしまった。ノートもタゴール専門でつけはじめた。死生学を勉強してみたいと思った。再度である。仕事をしながら、死生学の論文を書いたりしていたからである。通信教育制大学院で。修士の時である。
あれはいい体験であった。
死後の世界とか、いろいろ考えたからである。ターミナルケアというのも、そこで初めて知った。いろんな老い方があるんだということを。
なによりもすぐれた教育システムを体験できた。ある意味通学で通った学部時代より、相当真剣に勉強した。
なぜなら、死の問題が迫ってきているからだ。アートマンとかいうことを、初めて知った。夏のスクーリングで面接授業を経験して、インドの世界を教えていただいた。
ボキは、学部時代に仏教学科に進学したかったから余計に憧憬していたのである。こういう世界にである。
なんだかひねくれた十代であった。あんな高校生がいたのだ。妙ちきりんな高校生であった。
隠遁に憧れていたのだから、まったく変人の部類に属する。
どうせ新聞配達して進学したのだから、素直に仏教学科に行けば良かった。それを就職できないだろうからと国文学科にしてしまったのである。
喰えない、就職できないからと言って進路変更しているようでは話にならない。
どうせ喰えないんだったら、物乞いでもしながら生きていればいいだけだった。
幸い、定職に就くことができた。そして、定年まで勤め上げることができたけど。しかし、未だに18歳で進路変更してしまったことは悔いが残る。
だから、そこからボキの生涯学習ごっこは始まったのである。
かえってありがたいと思っている。
これからなんでもやっていけるからである。コメディアンの萩本欽一氏が、駒澤大学の仏教学部に入学して勉強しておられる。マジにうらやましい。
でも、ボキは退学した某大学大学院でカネを使い果たしてしまった。あまつさえ、じっとしていて、エコノミークラス症候群になってしまった。話にならないとはこのことである。
あああああああああああああああ。
宝クジでも当てて、生涯学習ごっこの資金にしたいもんである。
今日はちと草臥れた。
寝ます。
(=゜ω゜)ノ