今日から新年。おめでたい。そして、こういうシステムで新年を祝うという日本人の智慧に感謝である。新規まき直し。
今朝配達されてきた正月の新聞を見て、渋沢栄一の正月の過ごし方を知って驚いた。正月から仕事をしていたのだ。来客もすごい。生涯現役である。さすがに一万円札になるだけのことはある。40、50はハナ垂れ小僧と言ったのは有名であるが、これだけ仕事をしていればそう言われてもギャフンである。あっと、ボキはその年齢を過ぎているが(^_^)。
秋田のなまはげが玄関先で帰っているという。こっちはインターネットの記事。へぇーと思った。コロナである。なるほどそこまでしているのかと思った。営業で訪問することもあるが、今年もあるだろうけど、ボキもこれしかない。訪問先でも玄関先から帰るしかない。用件はまとめていってそれを手渡す。可能なら電話で重要なことは伝える。それしかない。
今年こそ安寧な年でありたい。コロナが退散して欲しい。願うことはそれだけである。
宝くじも要らない。買っていないのだから、不要なのは当然である。今年はスレンダーな生き方をしていきたい。
忍土という言葉が好きだが、ちなみにこの言葉良寛さんが好んで使われていたが、ありがたい言葉である。まさに、この世は忍土である。苦難の多い世間があって、苦難の多い時期がある。耐えるしかない時期は、耐えるしかない。その結果が安寧という境涯になるのではないのか。そんな風に思うからである。
まさか、このコロナの時期に、旅に出ていって伝染されるわけにはいかない。かかった方にはもうしわけないが。苦難に耐えるというのは、閉じこもることも含まれるからである。
正月から病院に行っている人もおられる。知人にもいる。昨日電話がかかってきて、退院できないという連絡があった。そして、ボキの孫たちにお年玉を渡してくれというわけでいただいてきた。感謝しつつである。
苦難に耐えるということは、そういうことである。生老病死。逃れることはできない。
今年も、本日一日かぎりのイノチかもしれないと思いながら生きていきたい。
今年もよろしく!