と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

社会的評価で生きていない高徳の御仁を知っているが、こういう人にボキもなりたいなぁ

2021年01月30日 09時32分06秒 | とーま君の流儀2021
不平不満を言っていれば、人生はまっしぐらに転落する。他人の揚げ足取りだけを狙っていると、誰にも相手にされなくなる。まるで野党のようだ。他人のこと、やったことにケチをつけていればラクである。自分は関係ないからだ。

社会的評価だけを気にして行動する御仁もかなりいる。自分は一流の学歴を持っている、博士号もとった、大学の教授にもなった等々いろいろあらーな。ボキには無縁のことである。ボキはまるっきり反対じゃよ。学歴はおそまつ、中退の連続、博士号とは無縁、大学の教授なんかなれそうもなかった。ひたすら世の中の隅っこでそれこそ、隠者のごとく生きてきただけである。

社会的評価が高い人には、そういう評価を気にしないという徳の高い御仁もおられる。定年退職後は、好きなように生きていきたいという高徳の御仁である。すぐ近くにお住まいだから非常に関心がある。そして、九十九里はふるさとだからというその一点で隠者をしておられる。帝国大学教授であったし、博士号も持っておられる。それがなんとバイトをされておられる。ボキと一緒なのだ。なにかと話しかけているが、見習うべき点が山のようにあるのだ。これ以上は書けないが。

社会的評価ではないのである。人間というのは。不平不満だけで生きていて、妙な自信自慢があると碌なことはない。

捨てることだよん。そんなもん。不平不満だけで生きていると、所詮親分子分の世界でしか生きられないではないか。人間関係なんてふっと息を吹きかけたら、泡のごとく吹っ飛びそうなだけであるから。

定年退職前のことなんか、もう関係ないのである。以前なにをやっていたかというようなくだらないこととはオサラバして老後を生きていくこったよ。

要するに自分を縛らないことである。捨ててしまえば良いだけの話である。

ボキはもう縛られない。縛るだけのものもない。材料もない。

なぜって?

社会的評価だけで生きてきたわけではないからだ(^_^)


BYE-BYE!


コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/