【感動】生き別れた母探し66年ぶり来日 最後に待っていたものとは・・・
今日は三日である。一昨日が正月であった。もう正月気分も抜けた。箱根駅伝を昨日は見ていたが、おもしろくもなんともなかった。青学が陥落したし、知らない大学が往路優勝した。それだけである。今日の復路がどうなるか、それだけがタノシミである。
しかし、毀誉褒貶である。これほど移り変わりの激しい行事もない。そもそもが関東大会レベルの駅伝であったのが、某局の宣伝のうまさでもって全国大会みたいになっているからだ。
ここにコツがあるんだろう。宣伝が上手だとなんでも売れるのである。高校野球もそうだ。宣伝がうまい。浪花節のような両親との関わりも実に上手に使っている。それならそれでいい。そういう売り出し方もあっていい。しかし、それだけである。
私学に多いのだが、スポーツを学校の宣伝に使っているというのは、ちょっといかがなものかと思ってきたからである。ある私学なんかは、駅伝部に150億円の予算をつけているということを聞いたことがあるからだ。そりゃそうだ。生徒が来なくては学校もなりたたないからだ。
でもねぇ、考えてみれば大学なんて行きたい人が行って、自分で勉強して自分で就職先をめっけて、社会人として活躍していけばいいだけのことである。高校の後、四年間しかないではないか。どこでも良いとボキは思っているのである。そりゃぁ、かなり優秀だったら東大でも行けばいい。しかし、それだけの話である。
要するに、言いたいことは、卒業後の活躍である。卒業してからどう生きていくかが一番の問題である。エリート大学を出たから、ボキは、あたしは出世して当然だと思っていると、足をすくわれる。そういう人間にならないことである。
そういう意味では、ボキ、新聞配達してやっとのこと学部を出たから安心である。反エリート、非エリートであるからだ。一介のプロレタリアートであった。だから、頑張れたのであった。なにくそである。なにくそ今に見ておれであった。ずいぶんな差別も受けた。九十九里に住まうようになってからである。どこから流れてきたのだ?と聞かれたし。
ま、今は気に入っているからどうでもいいか。
九十九里が。