と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

今日から通学したので(暑かったケド)

2012年08月21日 21時50分12秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 今日から大学は実質的に動いている。まだ学生さんは多くはないが、院生室と図書館にはたくさんいた。うかうかしていられない。ダブン書きを専門としているんだから、資料にあたらないといかんのである。
 
 院生室で資料を作成していた。谷川健一先生という民俗学者に非常に興味を持っているから、それを昨夜の書庫のコンピュータで本学図書館の蔵書を捜したらあったのである。うれしくなった。それで、今日も孫の面倒をみているつもりであったが、それは午前中のみで断念して登校した。クルマである。暑くてどうもならんかった。ま、許されよ。もう還暦である。無理は禁物である。愚生は学生であるから、学外の駐車場を使う。当然である。一回200円。普段は定期券を使っているが、夏休みぐらいいいだろうと思っている。近いしねぇ。自宅からも。これが片道100キロもあるようではなかなかのものがある。
 
 さらに一人暮らしをしてまで、都会に出ていきたくはない。無理をしたら、今度は体をやられる。精神の健康にも良くないと思っているからである。なにもそこまでして、ステップアップとか、なんとかという考えはないのである。あくまでダブン書きを目的にしているからである。
 
 あ、谷川健一先生である。在野の学者である。学者というよりも、「学ぶ者」と言う方であろうか。凄い方でもある。
 
 
  ウキペディアから引用してみよう↓
 
 熊本県水俣生まれ。熊本中学、東京帝国大学文学部卒業(専攻フランス文学)。平凡社の編集者として、『風土記日本』(1957 - 60年)、『日本残酷物語』(1959 - 61年)などを企画編集し、1963年創刊の『太陽』初代編集長を務める。

 その後執筆活動に入り、1966年、『最後の攘夷党』で第55回直木賞候補になる。1970年代には『青銅の神の足跡』や『鍛冶屋の母』などを発表し、民俗事象と文献資料に独自の分析を加え、柳田國男や折口信夫らを批判的に展開させた。柳田の提唱した「日本民俗学」がのち組織化が進み善かれ悪しかれ学術化、専門科学化していったのに対し、谷川は、その職業的な背景もあり、在野精神を貫き学会と距離をとった独自の執筆活動を進めた[1]。折口を彷彿とさせる小説家的想像力と、柳田の影響を受けた民俗資料の編纂とがない交ぜになっており、その業績は各界から注目された。日本史の網野善彦、文化人類学の大林太良、民俗学の宮田登、考古学の森浩一らと共同編集した『海と列島文化』(全10巻、小学館)は日本像を変えたといわれる。 1973年、共編『日本庶民生活史料集成・全20巻』で毎日出版文化賞を受賞。1981年、神奈川県川崎市に<日本地名研究所>を設立、所長に就任[1]し、現在に至る。1986年、共編『日本民俗文化大系・全14巻』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。1987年から1996年まで、近畿大学教授・同大学民俗学研究所長を務める。1991年、『南島文学発生論』で芸術選奨文部大臣賞受賞、1992年、南方熊楠賞受賞、2001年、『海霊・水の女』で短歌研究賞受賞、2007年文化功労者。2008年、日本地名研究所は神奈川文化賞を受賞。2009年歌会始に召人として臨み、『陽に染まる飛魚の羽きらきらし海中(わたなか)に春の潮(うしほ)生れて』が朗詠された。

『日本の地名』(正続)、『常世論』、『青銅の神の足跡』、『魔の系譜』、『神・人間・動物』などのほか、『最後の攘夷党』、『海の群星』等小説も多い。『海の群星』は1988年にNHKで緒形拳、石田ゆり子、織本順吉等出演でドラマ化された。

三一書房で『谷川健一著作集』全10巻が刊行されているほか、2007年より全集が冨山房インターナショナルで刊行中である。また同社で『源泉の思考 谷川健一対談集』、『魂の民俗学 谷川健一の思想』がある。



 近畿大学の教授もやられたから在野のウンタラと申し上げたら失礼かも知れないが、愚生にはそう見えるのである。また、いろいろな方のHPを見てもそういうふうに考える方も多い。
 今日、本学に出かけたのは、「谷川健一全集」があること、さらに谷川健一先生の書かれた「日本の神々 神社と聖地全13巻」があることを確認したので、拝見してみたくなったのである。これは県立図書館3館でもちょっとお借りすることができない本もあったからである。
 先生の御著書を2冊借りてきた。そして、書庫で拝見させていただいている。必要な箇所は部分コピーである。さらにコピーに書き込みをしながら、構想を練っている。楽しい作業になっている。これから生涯追求していく課題であるからである。

 要するに趣味である。だから、周囲の方々に叱られるのである。そんなもんに出費していないで、家の中でじっとしていて「家事手伝い」でもしていればぁと言われるのだ。そんなに「じじぃはじじぃらしく」していて欲しいのかね。それって固定観念じゃぁねぇの?老人はおとなしくすっこんでおれ!ってやつじゃよ。だからぼけるんじゃと思う。

 年金生活になったからって、なにも消極的に生きて、爪に火をともすがごとく、細々と生きている必要なんてまったくないのである。むろん出費は可能な限り控えたい。なぜなら、入ってくるカネは微々たるものであるからである。だから、オレのような老後はいいのだ。入ってくるカネも無いけど、宴会も殆ど無いし、つきあいにこころ悩ます必要もない。キラキラ光って、おいでおいでしているような桃色酒場に行くこともまったくない。厚化粧のたぬきか、きつねか知らんけど、おねぇ~チャンのいるところなんか前を通る気もしないのだ。まったく世捨て人同然である。黙って大学の図書館にいれば、まるっきり仙人である。(^0^)/ウフフ

 好きなことをして生きるつもりである。否、もうやっているか。だから、放っておいて欲しいのである。郷土史もやってみたいし、仏教研究もやってみたいし、中世古典文学もやってみたいし、唯識もやってみたいし、ヒンズー教研究もやってみたいし、キリスト教研究もやってみたいし、民俗学もやってみたいし・・・・・ああああああ、これって十分変人のやることである。

 そして、そんなに費用もかからんではないか。学費さえ払えば、冷房の効いた素敵な学舎で読書ができるのである。そりゃ確かに100円ショップのように安くはないが、クルマを買うよりは安いではないか。500万もかけて高級車を買うくらいなら、オレは城西国際の後に入学する大学を捜したほうが、生きがいになってさらに長生きするような気がするから不思議である。そしてその大学は今の居住地からできるだけ遠い方がいい。(^0^)/ウフフ

 そういうことを言うと、一番理解の無いのが愚生の超周辺の人々なんである。教育を手段だと思っているのである。あるいは、金儲けのために学ぶべきであるという論理である。そんなのは、完全に間違っているのだ。経済用語で教育を説明しようとしたから、荒廃がきたのだ。メリットがあるから学んで、デメリットがあるからそんなのやらねぇよというのでは、哲学なんか全く意味をなさないことになるではないか。



 今日はこれから太平記を読み始める。今までも随分読んできたけど、はまっているなぁ。太平記は多くの参考文献もあるから、容易である。読み手としては。それにしても興味がグイグイ拡散している。鎌倉時代に。室町時代に。

 さらに、最近の政治状況はこれとぴったり同じである。吾妻鏡を徳川家康が愛読していたというが、なるほどと思う。権謀術数の渦巻くくだらない世間を生きていくにはこの時代の古典は、あまりにもぴたりとはまるマニュアルですらある。今の政治家で吾妻鏡を岩波文庫あたりで読んでいるヒト、いるんかね?知らないでしゅが。それと学校の管理職サマあたりで。こんなあふぉ~のオレですら読んでいたんで。(^0^)


 また明日! 
 

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8月20日(月)のつぶやき

2012年08月21日 03時44分20秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
14:09 from gooBlog production
趣味でやっているだけだけど blog.goo.ne.jp/tym943/e/16b62…

14:25 RT from web  [ 36 RT ]
断層のずれ、日本海溝の底まで到達 東日本大震災 t.asahi.com/7poa
asahiさんのツイート

14:25 RT from web  [ 1 RT ]
しかし、へびに姿を変えた誘惑する者が近づいて、「それを食べると神のように善悪を知るものとなることを、神は知っておられるのです」と神の愛を疑い、そむくようにそそのかしたのです。 #mikotoba #seisho e-seisho.net
聖書のみ言葉-入門編さんのツイート

14:25 RT from web  [ 32 RT ]
わたしは一般大衆を責任の対象と見なしたことは一度もありません。わたしは個人を相手にします。わたしは同時に一人しか愛せません。同時に一人にしか食べさせることはできないのです。対象はつねにひとりなのです。
マザー・テレサさんのツイート

14:26 RT from web  [ 4 RT ]
大して仕事もしてないのに「最近の学生は~」「大学の執行部が~」と語り出す職員を見ると、先輩だろうがケリを入れたくなる。
これでも大学職員さんのツイート

14:26 RT from web  [ 3 RT ]
毎日1科目二時間以上勉強すれば成立。 @tsunemitsu: 学長(T_T)。質疑応答が一番の情報共有だと思う僕が通ります。 RT @__obake 学生時代東大で講義はなく質疑だけという授業があったが、まったく質問が出なかった。日本の学生意識では無理では… #放送大学
岡部洋一さんのツイート

by tym943 on Twitter
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鎌倉時代のことを

2012年08月20日 14時08分48秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 鎌倉時代のことを調べれば調べるほど楽しいものである。これまで、正直頼朝さんとかあまり興味がなかったのだが、そうではなくなった。なぜなら、ダブンを書いているのだが、当然のように調べなくては書けないものがいろいろと出てきたからである。仕方ない。ま、仕方なくて調べておるようでは話にならんのであるが。

 吾妻鏡を読んだ。原文読解はずっとやっていたのだが、なかなかイメージがつかめなくて呻吟していた。頼朝のことがあまり好きではなかったからかもしれない。どっちかというと、平家物語が好きであるから。平家の滅亡にそこはかとない哀れを感じる方だからである。滅びの文学というのはいいものがある。勝った側というのは、何となく好きになれない。一般ピープルの傾向なんだろう。確かに、アタシャ負け続きの人生でしたからなぁ。(^0^)/ウフフ

 しかしである。この時代をリスク管理という観点から考えると実にためになる。この時代にも大地震が来ているし、西行法師も書いている。そこのところをちょこちょこと書き始めている。ダブンである。なんでも書くんだなぁ・・オレって。よほど暇人なんだ。好きでやっている勉強だからねぇ。

 今日で大学の休みは終わりである。明日から通学しようと思っていた。しかし、孫がいる。今週にはムコドノの家に帰ってしまう。通学ができなくなりましたワイ。意志薄弱だなぁ。かわゆくて、かわゆくて通学できないのでありますよ。情け無い。情け無い。だっこしたり、行水させたりのお手伝いをしているのだ。老醜だと言うこと無かれ。秀吉ほどひどくはないから。もっとも、あちらは自分の子どもであって、孫では無い。

 院生室には行くかもしれないが、基本的には家でダブンを書きましょう。それでいい。それで。暑いけどねぇ。大学に行ったら、冷房が完備しているから快適なんだが、孫と会えない。せめぎ合いである。(^0^)

 たいしたことはないのである。どうせそんなモンである。庶民的境涯である。庶民の中の庶民である。?・・・そんなリキンで言うほどのことではないが。

 10月からまた別の仕事を始める。だから、その準備もある。いろいろやっているんである。自分のためではない。他者のためにである。少しでもお役に立つことあれば、どこにでもアタシャ出かけていくのだ。そして、冒頭にあげたように古本でもいいから、少量の書籍を買って読書する。ノートをとる。そして、つまらないダブン書きをすることであたまの活性化を図っている。これで随分ぼけ防止になっているのではないかと思っているんだけど。(そうでもないか・・とほほ)

 佐藤優先生の書籍を殆ど処分して、売りさばいたのだが、また買い戻している。あふぉ~ですな。ノートはとったから、書籍名、ページ数、出版年、出版社名等々はわかっているのだが、生の文章が時々見たくなる。それで、いつも行っている古本チェーンで再度買ってくるのである。馬鹿なことをしているなぁと思う。そうしないと、狭い我が書庫が一杯になってしまうからである。特に、城西国際に入学してからは,古典系の書籍をかなりハイピッチで購入しているからすぐ一杯になってしまった。それと師匠の影響もいただいて、古典系についていろいろな文献を探っているからである。最初、130万冊の蔵書量を誇る県立図書館(3館総計)や城西国際の図書館から借りまくって、部分コピーをしていた。それはそれでいいのだが、基本書というか繰り返し読む本は買いたいのである。書き込みができないからである。一冊をだいたいは3回読む。そしてそれから、コメントをノートに書く。それが実にいいのだ。カード派だったんだが、最近はノートを愛用している。B5の100頁ノートである。あれ、けっこういいんだねぇ。それが、佐藤優先生の読書法なんである。つまり真似をさせていただたというわけである。

 みんな人まねですがねぇ。

 あまり、形式に囚われず,好きなようにやっていきたい。時間はたっぷりある。なにしろ職業「無職」である。しかも括弧付きで(年金)というカテゴリーに入っているのだから。そんなオレでも、社会のためになることをやっていきたいと思っているんだ。千葉科学大で非常勤講師をさせていただいているのもその一環。学習塾でもそう。こうやってダブンを書いてあちこち掲載させていただくのも、趣味であり、社会へのお礼のつもりである。そんな程度のことしかできないんだけれども。

 冒頭に戻る。
 これから「太平記」を読む。これも方向性は一貫している。さらに南北朝時代の合戦史を学び始めている。複雑でなかなか老学生には理解できない部分もあるんだけど、やるっきゃないですな。でないと、ダブンがダブンでなくなっちまう。ダブンが「嘘ブン」になっちまう。文献的な裏付けがないといけませんです、(^-^)/

 じゃ、また!  

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8月18日(土)のつぶやき

2012年08月19日 03時46分48秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

14:39 from gooBlog production
雑談ですから時間の惜しい方はスルーしてください blog.goo.ne.jp/tym943/e/d1dab…

15:17 from web
ダブンの前半部分と、今日書いた部分とつなげてまとめた。BLOGの非公開フォルダーにしまってある。これで、孫が来てからかなり遅れていたダブン書きがなんとかなりそうだ。6000字くらいになったから。後は明日からまた、思いつきをポメラちゃんに書いていこう。

15:21 from web
5時には教え子達との同窓会があるから、そこで出発です。記念撮影があるんだそうです。(^0^)

15:21 from web
いつもどおりの坊主アタマで行きますがね。あ、かつらなんて持っていなかったです。(^0^)/ウフフ

15:25 from web
50歳になられた。威風堂々。かつての生徒達が、みんなリッパになられて。アタシャ、クチもきけませんなぁ。

15:26 from web
お酒が出ると言われていますが、もう呑めなくなりました。堪えられるかなぁ。(^0^)/ウフフ

15:27 from web
途中で逃げるワケにもいかんだろうしねぇ。

by tym943 on Twitter

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鬼来迎観劇雑談

2012年08月18日 14時39分25秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 全国各地に残されている鬼来迎のような伝承は、誰が発想し、誰が伝搬したのであろうかということが非常に気になる。本来、文化的スクリプトとしては、関西文化圏がこのような伝承の中心的存在であっただろうと思うからである。どうしても文化は、東進したと思うしかないではないか。政治的な権力と文化的スクリプトの方向性は一致していると考えないとすべてがおかしくなる。

 私は、その伝承に関わった人々を隷属的な地位に置かれた、舞楽・猿楽などの芸能奉仕の呪術的職掌を受け持っていたある種の人々がいたのではないかと思うのである。奈良の興福寺における能楽源流をさぐっていくと、寺社勢力と土地の人々との関係が非常に密接である。

 そこで思い浮かぶのが、成田山新勝寺の本尊が流れ着いたという地がこの横芝光町の近在海岸にあるのである。この伝説は、海人の存在を印象づける。

 成田山の御本尊不動明王は、天慶二年(西暦九三九年)、平将門の乱を鎮めるため、寛朝大僧正が奉時して、難波の津から東国を目指して出帆した。遙かな海路を乗り切り、横芝光町尾垂総領一本杉海岸に上陸した。これより寛朝大僧正は公津ヶ原(成田市)に護摩壇を築き、二十一日のの護摩祈祷を修し、満願の日に乱が平定されたと「成田山大縁起」には書かれている。
 また、当地には成田山開基一〇六〇年記念事業として浪切不動像が建立されている。昭和三五年には、記念碑が建立されている。毎年、五月二七日と一二月二七日には、午前一一時頃からこの地で成田山御本尊不動明王上陸聖地報恩大法会が開催されている。

 ここに海人が存在していると想定しなければ、いかな空海が敬刻開眼された不動明王といえども、単身難波からの海路をわたってくることは不可能である。当然、それは運搬船の存在があってしかるべきであろう。

 海人の存在は、もう少し東進すると銚子市がある。そこまでが、関西からの海人たちのテリトリーであったのではないか。千葉県銚子市に船木町があり(小船木町もある)、古代海人系の古代豪族の船木氏が住んでいたとされる。中世は、地域の領主として、小船木町一丁目の「東光寺」を居館としており、現在も県道七一号線沿いに土塁の形跡が残る。
 東光寺は、紀州の地から住職を迎えている。「根来寺」である。銚子と隣の旭市には、真言宗智山派の寺院が多く、根来寺を再興した智山派であるところからも、紀州和歌山の影響がここにもみられる。
 よく言われることであるが、江戸時代にも銚子と紀州の関係はある。醤油の醸造で、紀州から漁民が一〇〇〇家族以上も銚子に移住して港町を構築した。外川漁港の繁栄もここにある。
 船木氏は、多(オオ)氏の流れであると言われている。多(太)安万侶の祖は、太田命である。祖神は猿田彦大神である。しかも、銚子市には小船木から約二キロの地に猿田神社がある。また、銚子市森戸町には「猿田彦大神上陸の地」がある。同族である猿田氏と船木氏は相前後してこの地に上陸したものであって、その伝承がほぼ同じような形態で残されていることに注目をしたい。また、太安万侶についての研究では作家の松本清張の文章が興味深く迫るものがある。潮来に大生神社というのがあって、鹿島神宮から舟に乗ってシカが渡ってくるという行事があったそうである。ここから鹿島神宮と春日大社との関連を論じたものであった。学術的な価値はまだ愚生には判断ができないが、非常に楽しい研究であると思う。
 船木氏が、造船用材を求めて利根川河口をさかのぼったのは、また造船用材として用途に応えられるだけの森林も存在していたことを物語るものである。
 つまり、海人は銚子のみならず、広く九十九里海岸全般に移住してきていたのではないかというのが、愚生の考えているところである。

 鎌倉時代には、鎌倉から源頼朝が、千葉県に来ている。白幡の海岸に頼朝が戦いに敗れて逃れてきたという伝承のある土地もある。これもまた山武郡白幡にあって、鬼来迎の地に近接している。寛和元年(九八五年)大和の国、僧妙香がこの土地に来訪。阿弥陀如来像を奉納して如来寺(現在の般若寺)を創建して、山城の国石清水八幡宮より御神影を勧請し、寺の隣地に鎮守神として建立したのが始まりであるとする。
 治承四年(一一八〇年)石橋山の戦いに敗れた頼朝は、房総に逃れ、その後再度鎌倉を目指した時に、参拝をした。その後、頼朝は建久三年(一一九二年)に将兵三〇〇騎とともにお礼参りに訪れている。

谷川健一著 「日本の神々 神社と聖地 第十一巻」 白水社 

 以上のようなことからも、千葉県の山武郡という土地と関西文化圏の交流というものは、可能性として考えられ得るのではあるまいか。そして、それらの文化的交流のもとに、横芝光町における文化的なスクリプトというものが設定できるのではないかと思うのである。
 ちなみに、文化的スクリプトとは、認知心理学でいう用語である。「特定の文化に属する人々がある程度共通して持っているスクリプト」である。また、スクリプトとは「時間的・因果的構造を持つ体系的な知識のまとまり」を意味している。

 関西では、朝鮮からの渡来人の存在がある。秦氏の存在である。このことについてもう少し考えることによって、海人達の行動というものが読み取れるのであるが、今回は話題にはしない。

 再度、鬼来迎である。 
 広済寺という寺で行われるのであるが、その前に施餓鬼を行っている。愚生はそれをじっくり拝見させていただいていた。まさに供養である。卒塔婆を建て、この一年間に亡くなった方々を供養しているわけである。宗派は真言宗である。高野山である。先日まで行っていたところである。
 そして、鬼来迎は、本堂の右隣にある特設のステージで行われるのである。しかし、そこには以前お堂があったということであった。見学していたら、地元の古老にそう聞いたのである。
 そこで、はたと思ったことがあった。
 それは、「円満井座」の猿楽で語り伝えられていた伝承である。禅竹の「明宿集」にあるごとく、「仏ザイセニヲキテワ ギオンシヤウジヤノクヤウノトキ テンマノサワリヲシヅメントテ ウシロドニテ アナン・シャリホツトウ コノカグラヲマフ。コレマタ イマノダルガクナリ」と、書かれているのである。「ウシロト」の存在である。この伝承が即座に思い浮かんだのである。
 ウシロトは、金井清光「花伝書新解」では「後方の室」、西尾実「能楽論集」では「仏殿の須弥壇の後方の戸」と書かれている。

 鬼来迎の感想はこの程度にする。
 これから後は、最も書きたいことがあって、それは非公開のカテゴリーに入れることにする。


 ともかく、いろいろな意味で、大変に勉強になった。関係各位に感謝申し上げます。
 

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8月16日(木)のつぶやき

2012年08月17日 03時44分04秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

19:10 from web
横芝光町の鬼来迎を拝見してきました。非常に暑く、しかも40分ほど徒歩で行くしかないと言われていたので覚悟の上でありました。 pic.twitter.com/PraJSTQR

19:10 from web
しかしBusがあったのです。13:07発。しかも100円。良かった。でも帰りは徒歩だろうなぁ。。。。。 pic.twitter.com/E5iYxT1A

19:11 from web
あいかわらずいいところにあります。 pic.twitter.com/3HCAMnxx

19:12 from web
無縁仏の碑です。土地の方々のやさしさが伝わってきます。 pic.twitter.com/Dt4P8vhn

19:13 from web
鬼来迎が始まる前に施餓鬼をやっています。お盆の儀式のようなものであります。この写真の時はまだまだ人も少なかったのです。 pic.twitter.com/AwXQzmVB

19:14 from web
舞台を撮してみました。 pic.twitter.com/geaLZK85

19:14 from web
閻魔大王です。非常に興味のある登場の仕方であります。 pic.twitter.com/bB7NNZOY

19:15 from web
これまた閻魔大王。足の運びが独特であります。 pic.twitter.com/EQpQjI4L

19:15 from web
同様の写真です。いろいろなヒントをいただきました。これで。 pic.twitter.com/d26jzixL

19:17 from web
さぁ・・・登場です。書記官である倶生神。 pic.twitter.com/k7tECuOy

19:17 from web
罪を書きだしています。恐ろしや、恐ろしや。 pic.twitter.com/t88QC12U

19:19 from web
鬼婆の登場・・・・赤ちゃんを彼女に抱かせて虫封じの風習があって、赤ちゃん達は恐怖のあまりに大泣きでありました。これもまた伝承芸能の楽しさでありましょうか。 pic.twitter.com/EaIRK0lg

19:21 from web
亡者を責める鬼たち pic.twitter.com/Pc9oqXMg

19:23 from web
子ども達の亡者。舞台中央で小石を拾い、積み上げる動作がたまらない。 pic.twitter.com/nxGnCaMT

19:24 from web
地蔵菩薩の登場でした。感動的なストーリーになっています。愚生は不覚にもここで涙が出てしまった。孫がいるから、子ども達の姿が実にリアルに迫ってきました。 pic.twitter.com/9fG8BeBe

19:25 from web
なんという巧みな演出でありましょうか。 pic.twitter.com/PgJse980

19:26 from web
これもまた同様に・・・肩に担がれた子どもが哀れでなりません。 pic.twitter.com/kG0ZPgM3

19:26 from web
同様です pic.twitter.com/2n2gmRI8

19:28 from web
観音菩薩の登場で終演になります。良かった、今日は疲れましたが、行ったカイがありましたよん。 pic.twitter.com/AK5tSPqH

19:37 from web
今日は動画を積極的にとってきましたので、静止画はこれくらいに。二台持って撮すのはなかなか至難の技でしたが。さぁ、これからこの写真と動画で「ダブン」を書きます。さくさくと(^0^) 字数も相当増えましたから。今月中にはなんとかなりそうです。

23:15 from gooBlog production
なんということもないケド blog.goo.ne.jp/tym943/e/66dbf…

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最近は・・・

2012年08月16日 23時12分28秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 最近は、読書ノオトのカテゴリばかり書いていたから、日記の方はどうなったのかい?って思われているかもしれない。夏休みで学校が無いからというわけでもないが、そんな日記面での書く意欲を失っていたというほうが、正解である。だって孫の世話で楽しいからである。最近は(^0^)

 

 もっと言えば、本来は読書ノオトみたいなことばかりやってきたからである。つまり、書くことによって書籍の内容を頭に入れてきたのである。仕込みというやつである。それが、アタクシの場合、文章にして覚えてきたというわけである。

 

 なんと言っても出来の悪い頭だからなぁ。

 

 劣等感の塊でごじゃりまするよ。大学院に行っているのも、劣等感の解消だからだろう?って親しい人に言われたことがあったが、それってちょっと違いまっせ。劣等感の解消ということで大学院に進学するというパターンでは、大学院だけはちょ~エリート校を選ぶというヒトが多いからである。もっとも、学部時代からちょ~エリート校に行った人はまた選択の仕方がちがっているだろうけれども。アタシャ、どれもこれも偏差値とかなんとかということでは、無縁の世界を生きてきた。ま、ここで改めて書くようなことでもないが。なんと言っても、他者に自慢できるような頭脳を持ち合わせていないんであるから、もうどうしようもないのだ。

 

 逆に、いつまでも頭脳明晰だからとうぬぼれているから、60になっても大学院で勉強しているんだろうとも言われる。あさましいねぇ。そんなうぬぼれなんかなんもないのにねぇ。だって、オレは本当に劣等生だから。できないから勉強させていただいているんであるから。知らないことばっかりである。しかも、専門と自称してきた国語・国文学ですらなんにもわかっていないことに、還暦になって初めて気がついたからである。本当にそうである。無知を自覚しているというテンでは、オレくらい優秀な人間はいませんぜ。(^0^)


 さらに、視野に成績のことが入ってこないのであるから。どうしようもないんである。

 

 よくご自分の経歴を4行詩くらいのレベルで書く方がおられて、どこそこ高校卒、ふぁにふぁに大学卒(たいてい一流だ)とやって、職業はちょう~エリート、退職金もばっちりもらい、左うちわに右扇風機というキャリアを自慢なされる方がいる。(オレに言わせりゃぁ、真底馬鹿だわなぁ・・そういう輩は)


 そんな人の一生を4行詩くらいで片付けていいのかねぇと思ってきた。だったら、あんも書かない方がよろしい。他者を評価するのにも、4行詩で評価する方も多い。いいのかねぇ。例えばオレのやってきたことを、4行詩にして中身を理解できる方がどれだけいるのかと思う。オレは他人の4行詩を聞いて、「あ、そう。あんたはこの程度の人間なのね」って言えないなぁ。そんなことを言ったら、ますますオレのアタマがイカレポンチであることが露呈してしまうではないか。

 

 先日、Facebookに個人情報を掲載する欄があるので、からかい半分に、アタシの基本データを編集しようとして失敗をした。

1 学歴「無学」「無知蒙昧」
2 勤務先「風来坊」「日々放浪」
3 出身地「奥羽山脈中腹」
4 居住地「定住地無し」と入力して登録しても、受け付けてくれまへん。
(^0^)/ウフフ

 

 そんなことを書いたのだ。おりゃぁ、こんな程度の人間じゃ。経歴もなにも、恥ずかしくて書けるものではない。職業だって、自慢できるほどのこともない。自慢してたらただの馬鹿である。よくいるではないか。元こう~ちょ~であるとか、元きょう~し~であるとか言って世間のヒンシュクを買っているのが。しかも、そんなやつに限って今も昔もただの凡人ではないか。(オレもだ・・とほほ)


 うぬぼれることなかれである。明後日、50歳になる海上中学校時代の教え子たちとの同窓会がある。そこでもオレは、今も昔もただのあふぉ~なボンクラであったことを基盤に話をさせていただく。ほんとうに申し訳無いくらいである。オレのようなボンクラ教師に教わってかわいそうである。だから大学院で勉強しているんだ。オレは、そういうつまらない過去のために勉強させていただいているんだ。それが真実ですな。本当に。

 

 イエスだって、お釈迦様でも、ソクラテスでも、孔子でも東京大学を出ていらはるわけではない。そういうことである。そういうこと。ただし、実力は身につけることである。なにも、勉強から逃げましょうと言っているわけではないから。

 

 地位とか名誉とか、なんとかとか、かんとかとかいろいろあらぁな~。あさましい限りですなぁ。ニンゲンナンテ。

 

 鬼来迎という農民芸能を見てきたからよけいそんなことを思うのかもしれない。オレもあさましい人間でしかありませんよ。あ、今日行ってきた鬼来迎についての記事は、明日の朝三時頃にTwitterからの投稿という形でこのBLOGに反映されます。画像付きです。Facebookではすでに公開されています。もう、メッセージもいただいております。ありがたいことであります。

 (^-^)/

 

 

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8月15日(水)のつぶやき

2012年08月16日 03時44分13秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

11:35 from web  [ 1 RT ]
長女が孫を置いて昨日留守をした。友人達とおは(しゃ)べりを楽しむから、見ていてと言われて、見ていたのだ。見ているだけでは物足りないからだっこしていた。そして、悲劇が。すぐさま気がついたのだ。母親がいなくなってしまったことに。あああああ、じじぃのオレは無力だった。泣きわめくのた。無力だ!

11:38 from web
古女房ドノが風呂に入っている間中、泣きわめいていた。だっこしても、あやしても無力でござんした。これって、教育評論家のせんせなら、なんとコメントするのかねぇ。無力な元教員、孫も楽しませ(られ)ないって?(^0^)

11:39 from web
90分間、ずっとこのまま。ワシに似て剛情ですなぁ。行く末楽しみでありますよ。雷にも動じないし。

11:41 from web
午前11時39分、お昼寝しているから、県立図書館に本を返しに行く。また新たに借りてきて、読書ですなぁ。部分コピーもしなくちゃならんし。あそこの県立図書館は、文学関係なら実に充実している。書庫もあってそこに何万冊もある。さらに外部の図書館と連携していて、すぐ取り寄せてくれるのだ。

11:43 from web
借りてくると書き込みをすることができないから、これがちょっと困るけれども。しかし、退職してからコピーの量が増えた。そうです。買えないのであります。年金生活ですから。現役のときに、もっと買っておけばよかったですねぇ。後悔してもはじまらないですが。

14:26 from gooBlog production
突如書きたくなりました blog.goo.ne.jp/tym943/e/91e57…

21:47 from Tweet Button
Business Media 誠:これからのことがよく分かるコラム:ゆとり教育で育った世代は、本当に仕事ができないのか (1/4) bizmakoto.jp/makoto/article…

by tym943 on Twitter

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中島敦覚え書き 山月記から李陵へ

2012年08月15日 14時25分53秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

                        中島敦覚え書き 山月記から李陵へ

1 はじめに
 中島敦を読むことは、どういう教育的効果を持つのかということについて以下に述べたい。

2 山月記の持つ意味
 山月記は高校の教科書の定番のような趣がある。それも、高校の二年生で読むか、三年生で読むかによって、影響の程度が違ってくると思うのである。経験上であるが。もっとも、山月記を教科書に載せるか載せないかということについては、いろいろな論争があるようだが、この拙文では論外にする。
 つまり人生の岐路にある者には、山月記の内容に「かなふもの」があるような気がするのである。かなふものとは、自己の天賦の才能とそれを許す存在のことである。言い換えれば、それは「天」の存在である。しかし、山月記までは中島敦は自分中心の世界から抜け出せていなかった。そういう意味ではまだ若いという感じのする作品である。彼は、自分に拘泥し、自分を描くという私小説的な世界に生きることはできなかった。それだけ自分ができていなかったということでもあろう。そういう意味では、伝統的な私小説世界では中島敦は成功がおぼつかなかったと私は考えている。
 ただし、中島敦は太宰治的な文壇登場をしていない。太宰と同年の中島敦は、教養の面でも、自己を見つめるという点でも書斎の中で呻吟してきた作家である。太宰治は、その点が消化不良であったと私は感じている。
 だから、中島敦の山月記だけを読むことによって、中島敦を知ったことにはならないと思う。彼がどれだけ勉強をしていたのかということを抜きにして、中島敦を「卒業」してはならないのである。そういう若い人もたまに散見されるが、残念な行動であると思う。作家もまた一面からのみ見てはならないのである。人間もそうである。一面からだけ見てそれで評価するという乱暴な思考法をとってはならないと私は考えている。だから、あまりにも簡単に、「あなたは・・・だから」「才能がない」とか「偏差値が低いから」「能力がない」とか、言ってはならないのである。山月記はそうした一面からの人間観を如実に語ってはいるが、あまりにも程度の低いものであると私は思うのである。
 進路に迷っているときに、才能のみを頼りにするという若い人たちの生き方にある意味冷水を浴びせるごとき山月記の書き方は、ショッキングであろうと思う。それはそれでいいものである。謙虚さを知らない自称天才・秀才には薬になるであろうから。よって、非常に優秀な進学校に学ぶ高校生には効果満点であると考えるのである。

3 李陵の存在感
 私は、山月記から、李陵に至って初めて中島敦らしい世界を知ることができたと感じている。
 それが、2であげたところの「天」の存在である。李陵は、周知のとおり歴史に翻弄される。現代日本の政治史(特に外交史)を見ているようで痛切な思いもするが、非常に激烈なる運命でもある。登場してくる司馬遷も、それが作り物として読むにしても、実に人間としての器がおおきい。
 少年期に山月記を読んで中島敦を卒業するならば、李陵という作品は、中年になってからあるいは老年になってから読むべきである。しかも、仕事で脂ののりきっているリーダー的な存在にある人ならば余計読むべきであろう。
 この作品に到達するまでは、中島敦は自分中心にしか作品を書くことしかできなかったからである。自分の内面しか書けなかったからである。確かに、山月記は、才能を恃むこと激烈なる「自分」がいる。
 李陵という作品には、「天」がある。日本人にはなかなかいないタイプの人間を描いている。自然とか、死を見つめているだけの世界を逡巡しているのではなく、「天は何を見ているんだ」と考えている。天はやはり見ていたんだという「懼れ」が、李陵という作品にはある。人間を超えるものという視点がある。
 山月記では、中島敦は自分のこころの闇を扱った作家である。これは夏目漱石や森鷗外とも似た傾向性を有する。中島敦は大学院で森鷗外を専攻した故もあって、漱石の則天去私と鷗外の天というものを持たない教養主義的な二人の天才にある意味挟まれながら、人間存在の不思議を考えていたのである。
 
4 和歌でない歌
 中島敦のこの「和歌でない歌」は実に全部が「ある時は」で書き出しがなされている。なかに、yahooが出てくるのが楽しいが、さすがに中島敦の教養主義がにじみ出ているのである。

    遍歴
ある時はヘーゲルが如萬有をわが體系に統(す)べんともせし
ある時はアミエルが如つゝましく息をひそめて生きんと思ひし
ある時は若きジイドと諸共に生命に充ちて野をさまよひぬ
ある時はヘルデルリンと翼(はね)竝べギリシャの空を天翔りけり
ある時はフィリップのごと小(ち)さき町に小(ちひ)さき人々(ひと)を愛せむと思ふ
ある時はラムボーと共にアラビヤの熱き砂漠に果てなむ心
ある時はゴッホならねど人の耳を喰ひてちぎりて狂はんとせし
ある時は淵明(えんめい)が如疑はずかの天命を信ぜんとせし
ある時は觀念(イデア)の中に永遠を見んと願ひぬプラトンのごと
ある時はノ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ーリスのごと石に花に奇しき祕文を讀まむとぞせし
ある時は人を厭ふと石の上に默(もだ)もあらまし達磨の如く
ある時は李白の如く醉ひ醉ひて歌ひて世をば終らむと思ふ
ある時は王維をまねび寂(じやく)として幽篁の裏(うち)にひとりあらなむ
ある時はスウィフトと共にこの地球(ほし)の Yahoo(ヤフー) 共をば憎みさげすむ
ある時はヴェルレエヌの如雨の夜の巷に飮みて涙せりけり
ある時は阮籍(げんせき)がごと白眼に人を睨みて琴を彈ぜむ
ある時はフロイドに行きもろ人の怪(あや)しき心理(こころ)さぐらむとする
ある時はゴーガンの如逞ましき野生(なま)のいのちに觸ればやと思ふ
ある時はバイロンが如人の世の掟(おきて)踏躪り呵々と笑はむ
ある時はワイルドが如深き淵に墮ちて嘆きて懺悔せむ心
ある時はヴィヨンの如く殺(あや)め盜み寂しく立ちて風に吹かれなむ
ある時はボードレエルがダンディズム昂然として道行く心
ある時はアナクレオンとピロンのみ語るに足ると思ひたりけり
ある時はパスカルの如心いため弱き蘆をば讚(ほ)め憐れみき
ある時はカザノ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)のごとをみな子の肌をさびしく尋(と)め行く心
ある時は老子のごとくこれの世の玄のまた玄空しと見つる
ある時はゲエテ仰ぎて吐息しぬ亭々としてあまりに高し
ある時は夕べの鳥と飛び行きて雲のはたてに消えなむ心
ある時はストアの如くわが意志を鍛へんとこそ奮ひ立ちしか
ある時は其角の如く夜の街に小傾城などなぶらん心
ある時は人麿のごと玉藻なすよりにし妹をめぐしと思ふ
ある時はバッハの如く安らけくたゞ藝術に向はむ心
ある時はティチアンのごと百年(ももとせ)の豐けきいのち生きなむ心
ある時はクライストの如われとわが生命を燃して果てなむ心
ある時は眼(め)・耳・心みな閉ぢて冬蛇(ふゆへび)のごと眠らむ心
ある時はバルザックの如コーヒーを飮みて猛然と書きたき心
ある時は巣父の如く俗説を聞きてし耳を洗はむ心
ある時は西行がごと家をすて道を求めてさすらはむ心
ある時は年老い耳も聾(し)ひにけるベートーベンを聞きて泣きけり
ある時は心咎めつゝ我の中のイエスを逐ひぬピラトの如く
ある時はアウグスティンが灼熱の意慾にふれて燒かれむとしき
ある時はパオロに降(お)りし神の聲我にもがもとひたに祈りき
ある時は安逸の中ゆ仰ぎ見るカントの「善」の嚴(いつ)くしかりし
ある時は整然として澄みとほるスピノザに來て眼(め)をみはりしか
ある時は※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)レリイ流に使ひたる悟性の鋭(と)き刃(は)身をきずつけし
ある時はモツァルトのごと苦しみゆ明るき藝術(もの)を生まばやと思ふ
ある時は聰明と愛と諦觀をアナトオル・フランスに學ばんとせし
ある時はスティヴンソンが美しき夢に分け入り醉ひしれしこと
ある時はドオデェと共にプロ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ンスの丘の日向(ひなた)に微睡(まどろ)みにけり
ある時は大雅堂を見て陶然と身も世も忘れ立ちつくしけり
ある時は山賊多きコルシカの山をメリメとへめぐる心地
ある時は繩目解かむともがきゐるプロメシュウスと我をあはれむ
ある時はツァラツストラと山に行き眼(まなこ)鋭(す)るどの鷲と遊びき
ある時はファウスト博士が教へける「行爲(タート)によらで汝(な)は救はれじ」
遍歴(へめぐ)りていづくにか行くわが魂(たま)ぞはやも三十(みそぢ)に近しといふを

 こういう文字にあらわされたところの表象を私はいつまでも慈しみたいと思っている。


5 おわりに
 全集本を手にしてから、このような読書ノオトにすることができた。今後とも、読書を重ねていきたい。






◎主要参考文献
筑摩書房 中島敦全集 
  

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アジャセ物語

2012年08月14日 12時12分01秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年


1 はじめに
 アジャセ物語を通して、スピリチュアリティがどのようにあらわれ、それらが本願とどう関係してくるかについて以下に考察したい。

2 スピリチュアリティについて
(1) スピリチュアリティとは何か。
 旧約聖書には「神の息吹」として書かれている。「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた」(1)
 神の命の息吹は、ヘブライ語で「ルアッハ」といい、ラテン語に訳すとspiritusとなる。これが英語になると、spiritとなり、そしてその普通名詞がspiritualityとなる。
 つまりこのことは、人間を人間であらしめている根拠である。神によって人間は造られたからである。

(2)浄土真宗におけるスピリチュアリティ 
 スピリチュアリティは、「超越性との関わり(体験)」と、「人間存在の根拠」がその本質である。また、阿弥陀(無量寿)が、法蔵菩薩となって「いのち」(宗教的生命)となっているということを考えることによって、本願とスピリチュアリティの関係を明らかにする筋道である。
 阿弥陀から法蔵菩薩へについて親鸞は、「他力と言うは、如来の本願力なり」と言っている。(2)
 これは阿弥陀仏であった法蔵菩薩への信頼の証としての言葉である。
 名号と信心については、浄土真宗においては南無阿弥陀仏の名号は中核である。スピリチュアリティとの関わりという点においては、自分にはたらく法に気づかず、自己に執着し、右往左往する悪循環の存在としての人間が、それでもなお真に生きたいとか、深奥において何かを求めざるを得ない根本欲求を持っていることがまさに本願への道である。生きることの救いにつながるからである。
 超越性とのかかわりでは、日常的には「南無阿弥陀仏」である。超越性を持つ名号が顕された本願を、ひたすら頼むのである。阿弥陀が法蔵となって、本願を建て成就されてこそ阿弥陀となる。この循環性こそが人間存在の基盤となる。つまり、「関係性」の中に生きているのであって、本願力がはたらく自他との関係性の中でスピリチュアリティ(いのちの輝き、叫び)を感じるのである。
 真宗の救済性は、まさにこの点において発揮されるのであって、重要な特色でもある。

3 アジャセ物語との関連
(1)悪人の救い
 親鸞は、愚昧なる人間の救いについて、悪人正機と表現した。しかし、悪人正機の思想は、決して悪を犯すことによって、あるいは自他に苦しみをもたらすことを肯定しているのではない。むしろ、自分の悪に気づき、悩み苦しむということを仏がまるごと受け止めてくれる、あるいは見捨てないということを示した「慈悲」の心の思想である。
 アジャセ王物語のことを親鸞は『教行信証』信巻で引用し、阿弥陀仏の本願によって、悪人であっても救われる道を明らかにした。救い難い三種の病について説明をしている。以下の三種がある。
①諸法 仏教の悪口を言うもの
②五逆 殺父・殺母・殺阿・出仏身血・破和合僧
③一闡提 善の心を断ってしまったもの
 アジャセは、これらの三つの重い病にかかってしまった象徴として表現されている。この病の治療には名医と良薬が必要とされる。名医は良き友、仏、菩薩であり、良薬は釈尊の縁起思想に基本を置く人間理解である。

(2)アジャセの罪は父の殺害に始まり、母親のイダイケを牢獄に閉じ込め、自らは王位についた。アジャセは、この間の自分の行った罪行に対して深く自省することとなったが、六人の大臣のアジャセに罪は無いとする助言でもなかなか悩みから脱皮することができなかった。しかし、やがて釈尊の教えをよりどころとしている医師のギバに慚愧の尊さを教わることとなる。やがてアジャセはブッダとの出会いを経験することとなる。ブッダは「アジャセのために涅槃に入らない」という姿勢を示すことになる。つまり、「苦しむあなたが救われるまでは、私も一緒だ」ということである。苦しむ者を善良なる者よと呼びかけ、共にいてくださるという姿勢である。
 ブッダの月愛三昧が終わってからブッダは大いなる光を放ち、アジャセのできもものも、罪多きアジャセにも心をかけてくださっていたのである。罪業の深い凡夫を救うために仏は存在するということをブッダは示したのである。
 月愛三昧は、奇蹟によって救ったという物語ではない。
  無条件の受容を示しているのである。ただ黙ってそばにいるだけで苦しむ人には救いになるというのである。とがめることの無い無条件の受容である。それが月愛三昧の真意である。
 次に月愛三昧は、静かに瞑想することの重要性も示している。説明のいらない共感は、苦しむ人の求めているものでもある。禅や念仏のような静かな瞑想を通じて、自己の真実の姿に気がつくのである。阿弥陀仏に抱かれて自己の愚かさに気がつくのである。

(3)ブッダの説法
 罪を感じている自分をまるごと受けれてくれる存在があってはじめて罪を罪として受容できるのである。救いの成就もまたよき師とよき友との出遭いによってもたらされるのである。
 ブッダはさとりの視点から、罪悪に対する解決の方法を説法で教える。
 未来を決めつけることのないように、あるいは罪はさまざまな因と縁によって生まれてくることを説く。

 「もしなんち”父を殺してまさに罪あるべくは、われら諸仏また罪ましますべし」
 この言葉は、まったくの慈悲の言葉である。罪を犯したものに対する罪をも引き受けるという宣言でもある。人間の悲しみを自分のこととして引き受けるという意味でもある。最後まで過ちを犯した人間のそばに寄り添い、そのつらさを分かち合うことが、大切であると言っているのである。

 縁起という広い視野を持たせることをブッダは言っている。固定的になっているわけでもない罪業にとらわれ、真実とは逆の見方に執着してはならないと説くのである。
 アジャセは以上のようなことによって回心する。
 大いなるスピリチュアリティというべきであろう。

2 さいごに
 釈尊の悪人に対する救いとは、よりそうことであり、また真実の意味での慚愧である。愚たる存在としての自己に本当に気づいたとき、そばに阿弥陀がいてくださるのである。名号とはそういうものではないのだろうか。ちなみに、遠藤周作においても、イエスの存在は、「寄り添う」ものであり、そうしたことで共通するということが、現在の愚生には不思議でならないことでもある。それは何故かというと、イエスにはかなわないという思いも確かに存在するからである。

 

※わたくしは仏教徒ではないからですが。。。。





参考文献
(1)日本聖書協会 『口語訳聖書』 p.2
(2)『真宗聖教全書二 宗祖部』 大八木興文堂 1941 p.35


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8月13日(月)のつぶやき

2012年08月14日 03時44分19秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

07:20 from web
昨日から孫がいる。いやぁ・・・実に楽しいですね。一日中なにもやらなかった。唯一、全員寝てから古語拾遺の原文をつらつら読み、書き下しに直して、漢和辞典とお友達になりながらやっていた。きがついたら、朝の3時。それから就寝。そして、7時に起床でした。今日は、友人の盆に行ってくる。

07:22 from web
それでも、県立図書館は休みではないのだ。エライものだ。本学図書館も、先生方と院生は入館できる。ありがたいものである。マジに。

07:23 from web
原稿の遅れが気になる。ま、いいか。テーマを変更しよう。内容はそのままである。使い回しもきくような内容であるから、楽しいモノであるケド。TwitterやBLOGに書くようなワケにはいかないのだけれども。

07:25 from web
孫の動画を撮影して、喜んでいる。だっこもしている。かわゆいなぁ。実にかわゆい。後は、変人じじぃと孫に見破られないように、用心していくこってすねぇ(^0^)

07:30 from web
今週一週間は塾がお休み。残念である。一昨日の土曜日は、高校生を三人扱った。一人は小論文対策。これはお手のもの。一人は私学の二年生の英語。学校のワークを一緒にやった。最期(最後・・Twitterで誤字をやった場合に訂正はできないんですかね?)は、この辺りでの超進学校S高校の英作文。3年。これがいちばん面白かった。同時並行で一緒に解き始めた。結果は、(^0^)。

07:32 from web
塾で専門外を担当していると頭の活性化にはいいですねぇ。ホンマにいい。自分でも他教科を勉強するようになるんですから。こんなじじぃになるとは思ってもみませんでしたな。

07:34 from web
あ、オレには専門なんてありまへんでしたなぁ。みんな素人でありまするよん。素人だからできるんでしょうかね。それこそ、オレの最も忌み嫌う「pedantic」でありますなぁ・・・・

07:35 from web
ジュウドウだって投げられること専門ですからねぇ。負けることの見本でごじゃりまするよん。

07:36 from web
いかに見事に負けるかって。(^0^)/ウフフ

12:10 from Tweet Button
さらばじゃ!永遠の名車だった >>ロータリー車 また会おう : @CARS : YOMIURI ONLINE(読売新聞) yomiuri.co.jp/atcars/weekly/…

12:16 from Tweet Button
合掌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>>ビルマ戦線犠牲者:日英共に追悼 平和と和解願い mainichi.jp/select/news/20…

12:17 from Tweet Button
なんということでしょうか。生き急ぐことなかれ。>>自殺:16歳女子高生か、飛び降り死亡 東京・品川 mainichi.jp/select/news/20…

17:22 from gooBlog production
なんということもないダブンではありますが、若干思い入れがありまして blog.goo.ne.jp/tym943/e/3b1cc…

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パトラッシュとクララ

2012年08月13日 17時21分50秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

1 はじめに
 子どもは、自分の中に行動様式を取り込むときに、周囲の大人から影響されることが多い。また、映画やテレビ、童話などの主人公からも行動の善悪を学び、ものの考え方の基本を身につける。映像作品(テレビ番組)は、作られた国の文化的影響を受けやすく、原作に必ずしも忠実に作られているわけではない。

2 「フランダースの犬」に見られる日米の文化差
(1)フランダースの犬という作品は、1872年イギリス人ウィーダによって書かれた作品で、主人公の少年の名はネロである。祖父に育てられ、引き取った形で犬を飼うことになる。犬の名前はパトラッシュである。
 注目すべきは、日米では結末が違うという点である。
 日本では、「気持ち主義」の傾向が見られ、主人公に同情することによって相手の気持ちを察する能力を育てることが望ましいとされる日本の文化的な影響を受けている。
 反対にアメリカでは、ハッピーエンドで終わっている。運命が切り開かれるという結末になっていて、目標を持って努力すれば人生は切り開かれるとする展開になっている。
(2)文化的スクリプトの違い
 文化的スクリプトとは、「特定の文化に属する人々が、ある程度共通して持っているスクリプト」である。また、スクリプトとは、認知心理学では、「時間的・因果的構造を持つ体系的な知識のまとまり」を意味している。

 原作が主人公の死で終わる日本と、ハッピーエンドで終わるアメリカの差は、日米の 一次的コントロールと二次的コントロールの違いがあげられよう。
 日本では、親が比較的悲しい物語を好む。センチメンタリズムは日本人の固有の傾向であって、このことは日本人の「気持ち主義」、つまり人の気持ちを重視し、相手の気持ちを知ろうとする傾向を示している。自分の行動を抑制し、相手を援助するために生きることは日本人が好むことでもある。運命に身を任せて生きることによって心の平静を保つという実に東洋的な考えが潜んでいる。
 対してアメリカでは、登場人物が死ぬようなシーンは好まれない。
 アメリカ人は、自分の行動によって、直接相手に働きかける一次コントロールを好むのである。コントロールを取り戻そうとする努力が報われるとする主義をアメリカ人は好むのである。さらに、解釈によって死もまた幸せと受け取るという考えもあることを否定することはできない。

(3)葛藤解決における回避方略と対決方略
 アメリカ映画に共通しているのは、「葛藤は、当事者の冷静な同意を得て、合理的に解決しなければならない」というスクリプトである。
 主人公のネロの親友少女アロアの父、バース・コジェは、家柄の低いネロを遠ざけ、快く思わない。ネロとの対決姿勢が鮮明であって、財布を落としてそれをネロが拾って家に届ける場面から、ネロとの葛藤を冷静に判断し、関係を回復しようと図る。物語の前半は、葛藤にこだわり、なんらの改善を図ろうとしない父のバース・コジェの姿が描かれている。しかし、後半は自己の至らなさを自省し、ネロを援助しようとする姿も描かれる。
 日本とアメリカの文化の差異が感じられる場面である。

3『ジェイン・エア』の臨終場面
 ローウッド養育院での主人公ジェインの親友であるヘレン・バーンズの死は、この物語のほんの少しの部分しか占めていないが、ほかの主人公たちと明らかに異なった立場と役割を与えられている。
 清らかで、消極的で、従順であるヘレンは、主人公たちがたどるであろうつらい人生とは対照的である。清らかで、現実のどんな子どもたちよりもはるかに善良でもある。(1)
 19世紀の児童向けの文学作品は、病人と強い主人公を並立的に描くことが多いが、弱い病人の登場人物が現実的な世界よりももっと良いところに行くという描かれ方がある。「フランダースの犬」のネロもまた同じような描かれ方であって、おそらくは信仰上の「良い世界」に旅だっていくという結末を迎えている。
 ヘレンは、この世の中で困難な生きるためのすべを学ぶ必要はなく、復讐心と怒りが身の破滅になる可能性があることをジェインに教えた。また、命に固執せず、すっとこの世から消えていったように描かれている。
 冒険的な旅に出ることもなく、これからの人生の困難があっても、最終的には良い世界に行くことができ、賢くなり、より謙虚になっていくことを身をもって示したのである。
 物語の最終場面は、子どもたちに道徳的教訓を教える。クリスチャンとしての「よい子」を教えているのである。子どもたちを保護すべき若い魂とみなし、育成していきたいという姿勢がこの作品にはある。
(2)

4 日米の子供観の違い
 日米のしつけ観の違いが、子供観の違いに大きく影響を与えていると考える。つまりよい子アイデンティの違いである。社会的能力と言語的自己主張の領域において、日米では極端に違っている。従順で決まりを守る子がよい子であるというのが日本で、今すぐ何かを辞めさせたい状況でよい子だからという説得は功を奏しない。
 また、「気持ち主義」という点でも日米の子供観は違っている。「人の気持ちを重視し、相手の気持ちを知ろうとする傾向」を気持ち主義というのであるが、子どもが悪いことをしているときに日本の母親は説得の根拠として相手の気持ちを持ち出す。数値としては、22%になる。アメリカは、気持ちを持ち出す母親は、7%である。
 これは親子の同室就寝の違いもあって、日本では同室就寝、アメリカでは別室就寝が好まれる。親子間の距離感もまた子供観の違いに結びついている。物理的、心理的に日米では相違点があることをあげたい。

5 おわりに
 国による文化の差が児童書や映像作品、子供観にまで影響を及ぼしていることをふまえて、これからも考えていきたい。




(1)C・ブロンテ著・小尾芙佐訳 『ジェイン・エア』2006 光文社古典新釈文庫  

(2)ロイス・キース著・藤田真利子訳 『クララは歩かなくてはいけないの?』 2003 明石書店 pp.53-55
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8月12日(日)のつぶやき

2012年08月13日 03時45分44秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
11:17 from Tweet Button
こっちの大聖人もそうだったのかねぇ・・他者批判は凄いけど@【花田紀凱の週刊誌ウォッチング】(374)闇金融に手を染めた?「報ステ」 - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/life/news/1208…

11:20 from Tweet Button
こういうのいるよねぇ、どこの世界でも。いざとなったら逃げる、責任を押しつけて、後はシ~ラネっての@【軍事情勢】戦中でも現代でも… 卑怯未練な弁解ばかりする“怒る”指揮官たち - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/politics/news/…

11:21 from Tweet Button  [ 2 RT ]
頑張れ、サムライ!凄い男じゃ!@【放射能漏れ】「撤退 一言も言ってない」 復興講演会ビデオ出演した吉田前所長の発言要旨 - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/affairs/news/1…

12:07 from Tweet Button
こちらもさすがのご発言です@菩薩のような部下たち…吉田前所長ビデオ出演(読売新聞) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/yomiur…

15:04 from Tweet Button
なるほどねぇ・・・・・@「リカちゃん人形」で遊ぶと、子どもの成長に役立つ!? -タカラトミー発表(マイナビニュース) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/mycom/…

15:08 from Tweet Button
まぁぁぁぁぁぁぁ、なんという・・・・言葉を失いますな@今国会解散、できる状況にない=民主・輿石氏―自民・石原氏「一日も早く」(時事通信) - Y!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120812-…

15:12 from Tweet Button
良かったねぇ・・若い時から知っていたから・・@苦悩の4年去来=献身の妻「言葉にできない」―ボクシング・村田〔五輪・ボクシング〕(時事通信) - ロンドンオリンピック Yahoo!スポーツ×スポーツナビ london.yahoo.co.jp/news/detail/20…

19:46 from gooBlog production
またまた固い文ですが blog.goo.ne.jp/tym943/e/222e7…

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よい子アイデンティティ

2012年08月12日 19時39分55秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
1 非行問題について 
 小学校高学年から、高校生くらいまでの思春期の発達段階で起こるのが、「非行問題」である。思春期の青少年が反社会的、暴力的な行為をしたり、教師や保護者の指導にそれが適切な場合であっても、暴力などで反抗してくる場合を指すことが多い。
 さらに、明らかな犯罪を犯す場合もある。
 また、外見からすでに明らかに非行を犯すような少年少女もいるが、まったく外見上問題の無さそうな少年少女にも、「窃盗、いじめ、薬物中毒、暴行、暴走族、少女売春」等々の非行行為に走ってしまうものもいる。


 しかしながら、最近の青少年にはいかにも「不良、ヤンキー、暴走族」らしいのは外見上減っているとマスコミ等では言われる。

 事実、これまでの高校教員の体験からも、校内での喫煙、飲酒、暴行等々の非行問題は少なくなっている。その代わりに、第二次反抗期を経ないで保護者の要求に過剰に反応し、いわゆるよい子ちゃんの群が見られるようになっている。


2 文化的差異としてのしつけ
 非行に走る青少年は、個人的な要素として家族的な環境や、保護者もヤンキーであったというような理由、あるいは代々やくざであったというような要素も考えられるであろう。事実、これまでの高等学校の教師経験からしても、親の子は親と似た生き方をする。1980年代にいわゆる荒れた学校の時代に中心となって荒れた生徒であった子どもたちが後に親となった。そういう保護者の子もまた荒れている。逆にこの時代に、荒れた学校の中で被害者になっていた生徒がそのまま大人になって、保護者になった場合は、学校に対する信頼度が薄い。モンスターペアレントと呼ばれる保護者に見られる学校への極端な批判の原因であろう。

 そうした学校生活における過ごし方は、非行をする生徒にとっても、逆に非行とはまったく無関係な生徒にとっても対人的葛藤解決の方略において異なっているのであろう。

 対教師暴力においても、日米ではアメリカの学生の方が実際の暴力行為を行った生徒に厳しい批判をすると生徒指導の研修会で聞いたことがある。日本の生徒は、逆に加害者生徒をかばう。

 傾向として言えることは、日本の生徒は我関せずの無関心派が多い。あるいは、保護者の体験に根ざすところのしつけ観の違いがある。生徒の出身中学校によって、しつけが全く違っており、言葉使いや道徳的な価値判断も異なることを実感している。農村部と、漁村部では保護者の教育観、価値観がまるで違っている。あるいはサラリーマンが多く、学歴も比較的高い地域では、また異なる傾向性を有する。どれが良いとか、悪いとか言っているのではない。そもそも、状況に上下関係は無い筈である。
  
 このことは、個人としての行動が、生まれつきの遺伝的要素としてかなりの影響を持っているという指摘をしたら身も蓋もないかもしれない。

 かなりの程度そのことを肯定せざるを得ないが、地域の持つ文化的な影響もあるのではないか。

 とりわけ保護者の子育て感覚の違いを実感する。よい子とは何かというそもそもの概念規定が違っているのである。農村部では、長男が後を継ぐとされているし、農家としての経営規模も大きい地域に住んでいるので、都会の事情をいろいろと聞くがある意味信じられない。さらに、特徴的なのが、漁村部である。海岸の沿岸でこれもまた代々漁業で生計を立ててきたのであるが、話し言葉まで違っている。ある程度荒っぽくても元気の良い子が、いい子であって、いい子アイデンテティがまるで違うのである。地域的には、山と海がせめぎあっている土地であるから、それぞれの職業によって文化的差異が生まれていると考えざるを得ない。

3 集団力学、文化的感染
 犯罪心理学では、非行の原因を心理的・情緒的要素だけに求めるのではなく、「集団力学、文化的感染」に求めている。
 所属する集団や学校集団、仲間集団の内部に「非行や犯罪、暴行を肯定するような規範性や価値観」があって、その非行文化を学習することによって、非行が広がっていくとされる。
 非常に体験上納得のできる指摘である。もっともそのような地域にしか住んでいなかったということでもあるが。

4 縛りから抜け出す
 固定観念が、我々を縛っている。
 それが、どのような子どもが「よい子」であるかというアイデンティティの差異を産んでいる。地域的な縛りもあるだろうし、文化的な縛りもあるだろう。それをいっしょくたに遺伝であるという乱暴なことを言っているのではない。しかしながら、その可能性もあるのかもしれないということは、一応の仮説として考えておくべきことではないのかと思うからである。

5 おわりに
 このことは我々の人間観にも影響をしている。
 どのような政治家が「よい子」であるかとか、どのような教師が「よい子」であるかとか、どのような管理職が「よい子」であるかとかという前提になるからである。そして、その各々の固定観念でもって他者を批判していくからである。
 巨大マスコミの論調も、書いている記者や論者の「よい子アイデンティティ」によって書かれていると解釈すると、実に納得いく場合がある。また、自称エリートを見ていると何を以て自己の存立基盤としているのかということが、この手法を使うとわかるのである。だから、そういう方々を傷つけないで、上手に組織の一員として働いていただく場合にも「よい子アイデンティティ」は使えるのである。
 私のような一般ピープルは、いわゆる知識人や、自称エリートたちがなにを基盤としてものを書いたり、主張しているのかということを分析すべきであって、決して「鵜呑み」にしてはならないということを言いたいのである。これからも、これまでもである。




参考文献

 G.G.ベア他著 塩見邦雄監訳 『こどものしつけと自律』 2005 風間書房 (PP.1_28)
  



※随分昔に書かせていただいた読書感想文です。これも前職時代のカテゴリーに入れてありませんでしたので今日アップしました。まだまだたくさんありますが・・(^0^)
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8月11日(土)のつぶやき

2012年08月12日 03時47分10秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
00:00 from web
いろいろ考えさせられた三日間でありましたよん。自宅に帰ってきたら、城国大から夏休みの読書課題が送られてきていました。その量に圧倒されています。明日から、図書館に住むしか無いですねぇ。孫も帰ってくるし、あああああああ、忙しいですな。(^0^)/ウフフ

00:08 from web
今朝の高野山宿坊一条院での朝のおつとめに参加しました。般若心経を読経したのですが、愚生のあまりの大声に・・・自分ではほれぼれとするようないい声だと思っていたのです。(^0^)/ウフフ

08:06 from web
興福寺薪能石碑 pic.twitter.com/cLWtkVN3

13:08 from web
学者の先生方っていうのは、ほんとうに凄い実力がおありになる。しみじみそう思って高野山から、奈良から帰って参りました。ドクターとか、マスターとかというコースで学んでおられる方々もそうです。学問の寺院に行って、普通の人間はそういうことを考えちゃならんのだとも、感じてきました。

13:10 from web
唯識の総本山興福寺もそうでした。何十年もかかるわけです。原文理解だけでも、相当なものであります。要約を読んでそれでおしめぇだとうそぶいていてはならんわけです。気の遠くなるようなことであります。それを学部4年+修士2年+博士3年くらいでは、ものになるわけがない。ああ、時間が欲しい。

13:13 from web
高野山もそうです。難解な原典を読解しているだけで、生涯が終わってしまう。それをやらないで、「だぶん」書きをしていたら、空海さんに笑われますなぁ。駄文書きとか、学会活動を優先させて、原文読解をやらんでおくというのは、ケダモノのすることであります。無明に生きている虎。

13:20 from web
中島敦のようですねぇ。あ、作品のです。「山月記」です。先月だったか、神保町で古本を買ってきたから(筑摩書房版の中島敦全集:たいへん安価でした)、ちょこちょこ読んでおるんです。しかし、これを読むとそんなにライセンスがほしいのかと、笑われているようですなぁ。中島敦に。透徹した目で。

13:23 from web
要するに、能力も・実力もねぇのにいいんかい?ケダモノになっちまうよということでしょうねぇ。石原慎太郎都知事がジュウドウの試合を「ケダモノの喧嘩を見ているようだ」とのたもうたのですが、ジュウドウでもケダモノ、勉強でもケダモノになったら、こりゃたまったもんじゃないですね。

13:25 from web
もっとも、それだけの努力もしておらんか・・ジュウドウで五輪にも出たことないし、成績が良くてエライヒトに褒められたこともないしねぇ。

by tym943 on Twitter
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/