11月13日に「近代化遺産 全国一斉公開2005」で特別公開された旧・鶴巻邸を見学に行きました。
山科区御陵の疏水べりにあり、1929(昭和4)年に当時京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)教授であった本野精吾の設計、同校2代校長鶴巻鶴一氏の自邸として建てられました。
建物全体が「中村鎮式コンクリートブロック」というかぎ型のコンクリートを交互に重ねる工法で作られていますが、ブロックの要所はしっかり固められているので地震対策はできているそうです。昭和初期にコンクリートむき出しというのは先駆的で、ルネサンスからモダニズムへの中間的特長を持つ建築だそうです。と、ギャラリートークの時間に出かけたので、わかりやすく解説をしてもらいました。
これは本当は家の裏側。
こちらが入り口。
家の南面。玄関の上に円柱で支えられたサンルームが張り出している意表をつくデザイン。
コンクリートむき出しの玄関上部。
客間。
階段の添え木はそろばん模様。
二階南面西側の部屋。
屋上はかなり広くて、山科方面の眺望が抜群。暖炉の煙突が何本も立っています。
1階食堂のテーブルと椅子、このような本野設計の家具が今も大切に使われています。
客間の照明器具のデザインは鈴蘭風。
各部屋に暖炉があります。
客間と食堂の間の引き戸は、染色学科教授だった鶴巻氏自身のロウケツ染め作品です。作品を制作するための部屋もありました。
鶴巻鶴一先生の胸像。
戦後占領軍に接収された時に台所などがペンキで塗り変えられてしまったそです。
天井や壁が剥がれていたりして、老朽化が相当に進んでいるようでした。代々の持ち主が愛情を込めて大切に保存使用してきた建物ですが、個人の力では限界があり、これを何とかうまく保存継承していけるように、資金的な援助や手立てが講じられることを願ってやみません。
