この日は引き続き、河原町丸太町周辺の建物を探索。
丸太町通りから寺町通りを少し上がると、右手に同志社の創立者、新島襄の旧邸があります。

1878(明治11)年竣工。
木造二階建て。一・二階の外廻りにベランダを巡らすコロニアルスタイルです。
設計は宣教医テーラーの助言のもと、新島自身が行ったそうです。

外観は洋風ですが、内部は畳敷きや箱階段の日本建築の要素が濃いそうです。日本人の設計による日本人のために建てられた明治初期の洋風住宅として貴重で、京都市指定有形文化財になっています。
この日は外から見ただけで、内部の見学はできず、「またいつか」になりました。
この後、すぐ北側にある京都市歴史資料館に寄って帰路につきました。
丸太町通りから寺町通りを少し上がると、右手に同志社の創立者、新島襄の旧邸があります。

1878(明治11)年竣工。
木造二階建て。一・二階の外廻りにベランダを巡らすコロニアルスタイルです。
設計は宣教医テーラーの助言のもと、新島自身が行ったそうです。

外観は洋風ですが、内部は畳敷きや箱階段の日本建築の要素が濃いそうです。日本人の設計による日本人のために建てられた明治初期の洋風住宅として貴重で、京都市指定有形文化財になっています。
この日は外から見ただけで、内部の見学はできず、「またいつか」になりました。
この後、すぐ北側にある京都市歴史資料館に寄って帰路につきました。