2015年4月に青春18切符でJR関西本線から養老鉄道に乗ってでかけた旅です。
養老鉄道で揖斐から大垣へ向けて帰る途中、行きに見かけた沿道に桜がたくさん咲いている一帯があったので、大垣より二駅手前の北大垣駅でふと途中下車してみました。(16:18着)
予定より一便早く乗ってきたので、まだ余裕があることだし。

鉄道に並行して桜並木が続いています。

北大垣駅のすぐ横の土手は「笠縫堤の桜」となっています。

少し盛りを過ぎていましたが、まだ十分にきれいでした。


地域の人達の協力で遊歩道がきれいに整備されていました。
あまりにきれいな散歩道で、ゆっくりたどって歩くうちに、最初は降りた駅に引き返そうと思っていたのが、気分よくなってこのまま大垣駅まで歩いてみるかという気になってきました。地図で見ると養老線はこの辺りで大きくカーブしているので、斜めに行けば、途中の一駅を飛ばして大垣駅まで行けるのではないかとふんだのですが。実に行きあたりばったりです。

桜の土手が途切れてその外側の低地に降りると、そこに流れる小川にいかにも時代劇に出てきそうな木の橋がかかっていました。いいなあ、この雰囲気。
あとで調べてみると、笠縫堤は輪中堤の一つということなので、この辺りは揖斐川の輪中地帯で、水路もたくさんあるのでしょう。今はきれいに整えられているこの一帯も永年水害で苦労してきた地帯なのでしょう。

遠くにまだ雪の残る伊吹山が見えました。

歩いていくと、JR東海道線の上をわたる跨線橋がありました。
地図もなく当てずっぽうで住宅地の中をかなり歩いてきて、線路も駅も全く見えず、少しくたびれてきた頃、

踏切のカネの音が聞こえてきたので、そちらに行ってみると、養老鉄道の次の駅、室駅でした。
待合室はありますが、無人駅です。

ホームの待合。

今度はオレンジ色の列車でした。(16:58室駅発)

17:00やっと大垣駅に帰ってきました。
大垣からは当初の予定通り、大垣17:27発、米原18:11着→米原18:18発、京都19:12着の新快速で帰って来ました。
2015年春の青春18の旅はこれで終わりです。

桑名駅の東口は二度出たことがありますが、こちらの西口は初めてです。
前は住宅街で、どこかでお昼をと探したのですが、しばらく見当たらず、コンビニで何か買おうかと歩いていると、やっと丼うどん系の食堂がありました。
丼を食べてから、養老鉄道に乗りに駅に戻りました。

桑名駅はJRと近鉄、そして養老鉄道が乗り入れていて、養老鉄道は西口に近いほうにホームがあります。JRの券は有人窓口で売っていて、自動改札機を通りますが、養老鉄道の券は改札口の右にある券売機で買って、自動改札機の横に立っている駅員さんに見せて入ることになっています。階段を上がって、跨線橋の一番手前から階段を降りると、

5番ホームが近鉄線、4番ホームが養老鉄道のホームになっています。
その二つのホームの間も仕切りがあって、通過する時にまた駅員に切符を見せなければなりません。
4番ホームに待機しているえんじ色の列車が、桑名発大垣行きの養老鉄道です。

養老鉄道は混雑する列車以外、電車内に自転車をそのまま持ち込める“サイクルトレイン”になっています。通学・通勤で家から自転車に乗って、途中電車に乗り、降りた後もまた自転車で行けるって便利でいいですねえ。
また、多度、駒野、養老、揖斐のどこかの駅で借りたレンタサイクルは電車に乗って移動した後、これらの別の駅で返すこともできて便利です。

桑名発14:05の電車に乗りました。

一番前の運転手席後ろに保線区の人がずっと貼りついて立っていました。
JR関西本線が1両で満席、立っている人も多かったのに比べて、こちらの列車は3両編成でゆったりと座って旅することができました。関西本線は平日でもハイキングや観光する人も多いので、もっと車輛を増やしてもらいたいものです。そのへんが経営効率中心のJRと地域のお客さん優先の路線の違いでしょうか。

桑名から大垣まで17駅約1時間、ごとごとのんびり走って行きます。
線路は鈴鹿山脈の山すそを回り込むように走っているので、ほとんどずっと右側は広い田畑、左側は山並みが続いています。山のあちらこちらに桜の花が咲いているのが見えます。
多度駅、養老駅など見所のある駅がたくさんありましたが、今回はスルーして、
大垣駅に15:14に着き、反対側のホームから15:25に出る養老鉄道揖斐行きに乗換えました。
ホームにあるお手洗いで用を足して乗換えるのにちょうどいい乗り継ぎ時間にしてくれています。

大垣から乗ったのもえんじ色の列車、今度は9駅、15:49に終点揖斐駅に着きました。

ホームから数段下がったところに駅舎があります。

改札口の左が待合室。


駅前風景。
45分後の列車までどこかでお茶でもしようかと思っていたのですが、飲食できるようなお店は見当たりません。地元の名産品を売るお店も昼12時までの営業となっています。
急遽予定を変更して、乗って来た電車の折り返しで15:55発に乗ることにして、切符を買い、、、それでも、しつこく、

終着駅らしいレールとか、

電車の姿を写していると、発車の笛が鳴って、大慌てで「乗りま~す。」と駆け込み乗車してしまいました。折り返し時間が6分しかないことをすっかり忘れていて、ご迷惑をかけてしまいました。
笠置駅の前には大きな桜の木があって、その下に元弘の乱を表す人形が展示されています。

1331(元弘元)年9月2日~28日、鎌倉幕府討幕を図って挙兵した後醍醐天皇の軍勢と足利高氏(後の尊氏)らの鎌倉幕府軍の間で戦われた笠置山の戦いの様子です。鎌倉幕府軍は75,000、天皇側の兵は3,000余と戦力の面では圧倒的に不利な状況でしたが、笠置山は天然の要害ということもあって天皇軍は善戦しました。弓で戦う武将は足助重範、巨岩を敵に投げつけようとしているのは般若寺の僧本性房です。
その後、9月28日の夜に風雨の中、幕府側の陶山義高らが山に放火したことによって天皇側は総崩れとなり、笠置山はついに陥落、後醍醐天皇は幕府側に捕えられ、隠岐島へ流されました。

辺り一面に桜の花が散り敷いています。

駅の前にもう一つ、笠置の歴史を表す看板がありました。
絵「笠置春光」が表しているのは、京都大学名誉教授吉田光邦氏による解説では「天武天皇がまだ大海人皇人であったころ、一日このあたりで狩猟した。大鹿を追って山頂の岩をかけのぼれば、下は深い谷である。瞬間、皇人は仏に祈って危機をのがれた。皇人その場のしるしとして笠を置いて帰り、のちに巨岩にミロク像を彫って報謝の意を表した。これは「笠置寺縁起」や「今昔物語」(巻十一)に伝えるところである。」
絵の皇人の馬の下の岩が笠置の名の由来になった笠置石で、仏の岩が弥勒石です。
看板の右下にあるのが「笠置形燈籠」で、平安時代笠置寺参道に建てられていたと伝えられる燈籠を復元したものです。
ちょっと見にくいですが、頂部に擬宝珠をのせた縦長の石の上部に開けられた格子状の窓の中に灯が灯されます。

駅から鄙びた街道の街並みが続いています。相楽郡笠置町、ここも京都府の中です。

白砂川の上に関西本線の鉄橋が掛かっています。

その鉄橋の下をくぐって木津川の河川敷に出ると、桜の木がたくさんある広場で、キャンプ場やグランドゴルフ場になっています。中央の桜の森の奥に笠置駅があります。

街道をさらに歩いて行き、関西本線の次の陸橋の下をくぐり抜けると、

木津川に架かる笠置大橋に出ました。車道と歩道に別れた大きな橋です。

木津川はこの辺りから上流は巨石がごろごろ転がっていて「鹿ヶ淵(シシガフチ)」と言われています。

木津川とは反対側の街道を上がっていくと、道が分かれて笠置山への登山道がありました。
かなりの急坂だったので、ここで回り道して駅に向かって戻りました。

笠置山に登らないで、街道をずっと進んで行くと、柳生の里に続いているようです。
このマップの左半分が柳生の里です。いつか行ってみたいけれど、柳生の里はちょっと遠くて、足の便の悪い隠れ里です。

笠置駅10:50発のJR関西本線亀山行きに乗って東に進みました。

12:05亀山着。
12:24亀山発の快速名古屋行きに乗り継いで、13:07桑名に着きました。
今年の春の青春18の旅は1回だけしか行けませんでした。
雨の日が多い中、4月7日にやっと晴れ間を見つけて出かけました。
京都駅8:09発のJR奈良線区間快速で、9:01木津駅着。
木津駅は京都・奈良・大阪からの線路が交錯する要になっていて、ただっ広い平地の中に新しい大きな駅が作られています。

木津駅9:23発のJR関西本線快速加茂行きで、9:28加茂駅に着きました。

加茂駅9:36発のJR関西本線亀山行きに乗換え、

9:43笠置駅に着きました。
こんなに細切れに乗換えなくていいようにできないものでしょうか。

この駅で降りたのは、昔、春に笠置駅を通過した時に駅周辺が満開の桜であふれていたので、いつか花を見に来たいと思っていたからです。
しかし、今年は既にほとんど花が散った後で、盛りの花を見ることはできませんでした。通りかかった人が話していたのでは、「昨日まではきれいだったのに、雨で散ってしまった」ということでした。残念!


でも、次の電車まで駅の周辺を散策してみることにしました。