高野山駅でケーブルカーを降りると、山内路線バスが待っていてすぐ発車しました。
終点「奥の院前」まで18分です。近くのレストランで昼食を摂ってから奥の院を歩きました。
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杉や檜が茂る中に20万基を超えるお墓や供養塔が並んでいます。一番奥には弘法大師空海をまつる御廟があり、大師は今も生きていると信じられています。
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樹齢600年以上の大木が多く、鬱蒼としています。
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徳川家康の次男、結城秀康の石廟です。
織田信長、豊臣家、徳川家、明智光秀、石田三成から諸大名家など歴史上の人物のお墓の他に、企業毎の供養塔もたくさんありました。弘法大師の足下に眠れば極楽往生できるという信仰によるのだそうです。
奥の院前バス停から御廟まで歩いて20分程、ゆっくり往復してから奥の院前から再びバスに乗りました。
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次は「千手院橋」で降りて、金剛峯寺に行きました。
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真言宗高野山派の総本山です。
1593(文禄2)年に豊臣秀吉が亡母の菩提のために建立、1863(文久3)年に再建され、明治になってから青巌寺から金剛峯寺と改称されました。広大な境内に、東西54m南北63mの大きな主殿(和歌山県重要文化財)、座主居間、奥殿、別殿、書院など多くの建造物と国内最大級の石庭「蟠龍庭」があります。たくさんの建物が渡り廊下で繋がっていて、迷子になってしまいました。全国から修行に来ているお坊さん達がたくさん行き来しておられて、道を尋ねるとわざわざ歩いて連れて行ってくださいました。
何百人もの僧侶の食事を用意する豪壮な台所や、豊臣秀次が切腹した部屋などもありました。
新別殿でお茶とお菓子をいただきました。
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金剛峯寺から5分程歩いた所に根本大塔があります。
弘法大師が816(弘仁7)年に高野山に真言密教の檀上伽藍を開創した頃より建立に着手し、887年頃に完成しました。現在の建物は1937(昭和12)年の再建です。
塔というのでイメージしていたものよりはるかに大きなお堂建築で、内部には胎蔵大日如来と金剛界四仏、16本の柱に堂本印象画伯が描いた十六菩薩の姿があり、曼荼羅の世界を表しています。
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その隣にある金堂。
高野山の総本堂で、重要行事がここで行われます。
現在の建物は1937(昭和12)年の再建で、本尊は高村光雲作の薬師如来です。
大塔に着いた頃から小雨が降り出し、金堂を出た時には本格的な雨になってしまいました。なので、これ以上うろつく事を止めて喫茶店に沈没、しばし休憩したあと、バスに乗って高野山駅に帰り、そこからケーブル→極楽橋→橋本→新今宮→大阪→京都19:14着 と帰ってきました。
雨は高野山から下界に降りて来る頃には止んでいました。
日帰りでの高野山巡りは全くの駆け足で、見落とした所もいっぱいでしたが、とにかくも比叡山に並ぶ二大聖地の一つをお参りしたということで、今回は終えることにしました。