下町中通りと名付けられた通りの一帯には、江戸から昭和にかけて下町にあった家々が集められています。
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☆村上精華堂
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台東区池之端の不忍通りに面して建っていた小間物屋(化粧品店)です。1928(昭和3)年築。木造3階建。
昭和前期には化粧用のクリーム、椿油や香水等を奥の作業場で作って、卸売りや小売りを行っていました。1967年以降は中華料理店などを営む「日増屋」として利用されていました。
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正面は人造石洗い出しで、イオニア式の柱を持ち、当時としてはとてもモダンな造りとなっています。
内部は和室が多く、和洋折衷の「看板建築」となっています。「看板建築」とは、木像建築の正面に衝立のように平面的なファサード(建築の正立面)がとりつけられた様式で、大正中期から昭和初期にかけて、都市の商店建築を中心に流行しました。ファサードは、タイルを貼ったもの、銅板を葺いたもの、モルタルで仕上げたものなど様々で、洋風の装飾を施したもの、戸袋に和風の文様を付けたものなど、デザインに工夫が凝らされたものもあり、バラエティに富んでいました。
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店内に柱頭が展示されていました。
☆植村邸
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建物の前面を銅板で覆った「看板建築」です。中央区新富二丁目に1927(昭和2)年に建てられた、木造3階建ての貴金属や時計を扱う店でした。
正面中央のアーチ部分の飾りは凝ったもので、旧所有者であり、自ら設計したと伝えられる植村三郎氏のローマ字の「U」と「S」を重ねたものか、植村商店を表すものかと思われます。
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裏側から見たところ。
☆丸二商店(荒物屋)
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昭和初期に千代田区神田神保町三丁目に建てられた「看板建築」です。
小さい銅板片を巧みに組み合わせて模様を形作り、建物の正面を飾っています。銅板は江戸小紋の亀甲、杉綾目、青海波、網代、一文字のパターンで貼られていて、伝統の趣を残す職人技でできています。
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この店では昭和20年頃まで荒物屋が営まれていて、昭和10年代の店内の様子を再現しています。鍋や釜、ざる、ほうき、七輪などの日用品を扱い、1階店内だけでなく、2階の一部の部屋にも収め、2階にも客を招き入れていたそうです。
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丸二商店の側面と、その裏に隣接していた長屋が移築され、路地の様子が復元されています。この長屋は、総2階であること、台所が奥に位置していることなどが関東大震災後昭和初期に建てられた特徴を表しています。
☆花市生花店
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千代田区神田淡路町一丁目に1927(昭和2)年に建てられた花屋です。銅板貼りファサードの「看板建築」で、二階の窓下には四枚の銅板レリーフに四季の花が描かれています。
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店内は昭和30年代の花屋を再現しています。白色タイル張りの壁と格天井、両側に作り付けの棚を設け、一方の棚の下に水場を設けています。
二階には家族、三階には3・4人の住み込みの使用人が寝起きしていました。
☆武居三省堂(文具店)
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千代田区神田須田町一丁目に1927(昭和2)年に建てられた文具店です。木造3階建て、外壁をタイル張りとして、側柱・戸袋廻り・庇などを銅板で包んだ「看板建築」です。屋根は腰折れのマンサード屋根となっています。
明治時代から筆・墨・硯等の文具の卸売りを営み、後に小売り店に変わり、昭和初期には家族のほか、5・6人の奉公人を含め、15人ほどの人がこの建物で生活していました。1階店舗の奥には台所と居間、湯殿、2・3階にそれぞれ和室が3室づつあり、さらに、地下に荷解きや荷造りを行う場所がありました。
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1階店内の様子。作り付けの商品棚が左右両側の壁面を埋め尽くしており、天井には2階の床を支える梁・根太といった構造材が露出しています。
☆休憩所
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武居三省堂の隣には店蔵を活用して、1階が休憩所、2階がうどんなどが食べられる店になっています。