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富山市の中心部を流れる神通川は明治の中頃までは富山城の北側で大きく蛇行していたため、大雨の度に溢れていました。そのため、明治末から大正にかけて神通川を西側にまっすぐに流す工事が行われ、昭和初期には元の流れを「富岩運河」として整える工事が行われました。富岩運河は水運の衰退と共に水も汚れ、一時埋め立てるという案も出ていましたが、昭和50年代から再生整備されて富山市中心部で美しい水辺の景色を楽しめる一帯になっています。
富山駅から10分くらい歩いくと、県庁、市役所などに続いて運河と城址公園があります。
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七つの橋がかけられています。
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富山城の外堀をめぐる遊覧船もありました。
川の両岸には桜の木がたくさん植えられていて、花が咲いている時は見事な眺めでしょう。
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遊覧船の乗り場にある松川茶屋。中に滝廉太郎記念館もあります。
明治になって壊されていく富山城を見て育った廉太郎が「荒城の月」の楽想を得たと言われています。
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その富山城は、昭和29年に新しく建てられた模擬天守ですが、戦災復興期を代表する建築物として国の登録有形文化財になっています。
内部は富山市郷土博物館になっています。
富山は、電車の時間待ちの駆け足見物でしたが、またいつかゆっくり見てみたい町になりました。
ビバさんのブログ、「さんぽ」の域を既に超えてるんですけど
このまま・・・
外国に行ってしまったらどうしよう
荒城の月って、あたしがおばあちゃんのためにピアノの演奏を披露した思い出の曲なんですよね~。
そうか~、ここが滝廉太郎縁の地なのか~~
ちょっと学習しました
「荒城の月」のモデルになったお城というのは各地にありますね。富山は廉太郎が小学校低学年の頃にいたそうで、その小学校が富山城内にあったそうです。
ここも散歩の延長のつもりなのですが、あまりに遠出しすぎたのか、なかなか京都に戻れませんねえ。
もう少し富山散歩をしたら、連休の京都に戻りますので、また覗きに来てくらはい。
大丈夫、外国までは散歩に行きませんので。ドヘッ!