ヴォーリズ通りを歩いた後、近江今津駅の近くのアーケードのある商店街でおいしい鰻丼を食べて、もう一度駅から琵琶湖の方に向かって歩きました。
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駅から5分くらいですぐに琵琶湖岸に着きます。
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ここが今津港。大津、長浜との間に定期便が運行しています。
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ちょうど船が出航したところでした。
船着場の先端に見えるのがその船。
手前の三角の形をした石が「琵琶湖周航の歌記念碑」です。
「われは湖(うみ)の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇るさぎりや さざなみの
志賀の都よ いざさらば 」
なつかし~い歌ですねえ。
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今津港と駅の間に「琵琶湖周航の歌資料館」ができていました。
9;00~17:00
休館:月曜、年末年始
入館無料
琵琶湖周航歌についてのいろいろな資料が展示され、多くの演奏家による曲を聴くことができます。
しかし、この施設はどこの誰が作って運営しているのだろうか、どうも意味不明だった。
「琵琶湖周航歌」を作曲したのは吉田千秋、作詞は小口太郎です。
吉田千秋は新潟県生まれ、東京農業大学の学生だった大正4年に「ひつじぐさ」を作曲して、雑誌「音楽界」に投稿しましたが、結核のため、大正8年に22才の若さで亡くなっています。
小口太郎は長野県岡谷市生まれ、第三高等学校に入学、ボート部による琵琶湖周航に参加した時、1917(大正6)年6月26日に今津の合宿の宿でこの歌を作詞しました。
ボート部員達がその歌詞を「ひつじぐさ」のメロディにのせて歌ったのが「琵琶湖周航歌」の始まりでした。
小口太郎は、第三高等学校を卒業後、東京帝国大学理学部に入学、「有線及び無線多重電信電話法」の特許を得るなど将来を嘱望されていましたが、徴兵にあい、精神を病んで大正13年に26才で自殺したそうです。
と、いうようなことを、この「琵琶湖周航の歌資料館」に寄って初めて知りました。
こういう背景を知ると、この歌から何か「青春の歌」という感じを受けるのもうなづけるような気がしてきました。
「ひつじぐさ」というのは、日本産の小型の睡蓮のことで、今津町では今これを増やそうとしていて、たくさんのお家の前に睡蓮の鉢が置かれていました。
とはいえ下の建物みたいやと補修にかなりの費用を要するので、個人所有では難しいかもしれません。
ところで日曜はありがとうございました。
暑い中、きもので来てくださって感激です。涼しげな色合い、さらっと良くお似合いでした。お陰様で充実した良い会となりましたが、思い起こせば私はあまり役に立ってへんので、メンバーさんとお客様におんぶに抱っこでした。
ぽん様も涼しげな紺色の絽のお着物で暑さを感じさせませんでしたよ。ぽん様のお手前はいただけませんでしたが、その場にいていただけるだけでお茶会全体がほんわかと和んでくるようでした