松ヶ崎桜木町の北、浄水場の西南の角に「南無妙法蓮華経」と彫られた石塔が立っています。 この石塔は、以前は現在の場所より南にあって、四方ふきぬけのお堂(辻堂)の中に立ててありました。
江戸時代には、下鴨村から北へ行くと、あたり一面田んぼばかりで、やがて道が二つに分かれ、辻堂はこの分かれ道に立っていました。
右の道は現在の工芸繊維大学の西側を通り、新宮神社に出る大黒道、左の道は保険局の中を通りぬけて狐坂へ出る松ヶ崎岩倉道で、古くから鞍馬や若狭へ続く大切な道でした。
松ヶ崎村は鎌倉時代に村をあげて法華宗(日蓮宗)に改宗したので、辻堂は「ここから法華の村、松ヶ崎」という道しるべになっていました。
そして、ここを通る旅人や、大黒さんにお参りする人、また村人の京への行き帰りには、この辻堂で一休みしていったそうです。 辻堂は1731年(享保16年)日蓮上人450遠忌に建てられましたが、昭和7年に区画整理された時、取り壊され、石塔だけが現在の位置に移されました。
(2016年3月13日撮影)
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石塔の両側の大きな木は椿の木で、品種は大きな赤い花が咲く「日光(ジッコウ)」です。
江戸時代には、下鴨村から北へ行くと、あたり一面田んぼばかりで、やがて道が二つに分かれ、辻堂はこの分かれ道に立っていました。
右の道は現在の工芸繊維大学の西側を通り、新宮神社に出る大黒道、左の道は保険局の中を通りぬけて狐坂へ出る松ヶ崎岩倉道で、古くから鞍馬や若狭へ続く大切な道でした。
松ヶ崎村は鎌倉時代に村をあげて法華宗(日蓮宗)に改宗したので、辻堂は「ここから法華の村、松ヶ崎」という道しるべになっていました。
そして、ここを通る旅人や、大黒さんにお参りする人、また村人の京への行き帰りには、この辻堂で一休みしていったそうです。 辻堂は1731年(享保16年)日蓮上人450遠忌に建てられましたが、昭和7年に区画整理された時、取り壊され、石塔だけが現在の位置に移されました。
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石塔の両側の大きな木は椿の木で、品種は大きな赤い花が咲く「日光(ジッコウ)」です。