2016年12月末に紀伊半島一周の旅に出かけました。
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特急くろしお3号で8:35に京都駅を発ちました。
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窓の外に太平洋の海を見ながらJRきのくに線を南下し、
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紀伊半島の最南端駅、串本に着いたのは12:23でした。
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先ずは駅近くのお寿司屋さんで海の幸をいただきました。
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今回の旅はここからレンタカーを借りてのドライブとなりました。
串本の向かいにある紀伊大島に向かって、くしもと大橋を渡ります。橋は大きなループに続き、
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アーチの橋になっています。
紀伊大島を横断して東に走ると、トルコの軍艦エルトゥールル号が1890(明治23)年に遭難した地、樫野崎に着きました。
オスマン・トルコ皇帝特派使節として来日したオスマン・パシャ以下650余名の将兵を乗せた軍艦エルトゥールル号が帰国の途中、9月16日夜に熊野灘で暴風雨にあい、大島樫野崎沖の岩礁で難破、587名の将兵が亡くなり、69名の人が生き残りました。
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断崖の上に大きな遭難慰霊碑が建っています。
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エルトゥールル号の遭難者の遺体はここに埋葬され、遭難の翌年、和歌山県知事はじめ有志の義金により、墓碑と追悼碑が建立されました。現在の慰霊碑は昭和12年に改修されたもので、5年ごとに追悼式典が行われています。
遭難者を大島の人たちが命がけで救助したことから、串本町とトルコ国との交流が続いています。
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ムスタファ・ケマル・アタチュルク(1881~1936年)騎馬像。
第一次世界大戦後分割占領されたトルコを解放し、初代大統領となった英雄の像で、2010年に日本とトルコの友好の継続を願ってトルコ大使館から串本町に寄贈されたものです。
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串本町トルコ記念館。
1974(昭和49)年12月に建設され、エルトゥールル号の遭難事故と引揚調査の遺品、イラン・イラク戦争での日本とトルコの結びつきなどが展示されています。
映画「海難1890」で見たエピソードなどが思い出されました。
開館時間:9時-17時
休館日:年中無休
入館料:500円
右に見えるのは、日本赤十字社記念碑。平時での最初の国際救援活動となったトルコ軍艦遭難時救護活動を後世に伝えるために建立された、日本・トルコ両国の国旗をデザインしたもの。
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記念館の壁はきれいなトルコ・タイルでした。
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記念館の窓から遭難現場が見られるようになっていました。
すぐ目の前の断崖の下、中央の岩礁「船甲羅」に船が乗り上げて座礁し、村人達がこの絶壁を降りて遭難者の救助にあたったそうです。
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島のあちこちに野生の椿の花が咲いていました。
2016年紀伊半島一周の旅(2)に続く。