2019年11月1日に琵琶湖疏水を船で航行するクルーズに行ってきました。
琵琶湖疏水は1890(明治23)年に琵琶湖西岸大津と京都の蹴上を結んでできました。元は、琵琶湖の水を京都に運ぶとともに船を通行させて、水運をつなぐ役割も果たしていましたが、1951(昭和26)年に船の航行が途絶えていたのを、2018(平成30) 年から復活し、観光客を乗せて疏水船クルーズが年に数回行われるようになりました。
船の運航コースは、大津~蹴上の全コースと大津~山科、山科~蹴上間のみの部分コースのそれぞれ上りと下りがあり、通常時と桜・紅葉の繁忙期でそれぞれ料金が異なっています。予約を取るのは難関だったのですが、とりあえず、紅葉時期の少し前の時期で、山科~蹴上の下りコースをやっと取ることができました。
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京阪四宮駅から歩いて、10分程で山科疏水の一灯園学園近くに着きました。
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疏水に沿って遊歩道ができていて、春は桜、秋は紅葉がきれいな散策道になっています。この地図の右端の辺りが一灯園学園があるところで、疏水船の山科乗下船場があるところ、これから左方に向かって船は進んで行きます。
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山科乗下船場。かつての四ノ宮舟溜まりで、川幅が広く、かつては船の荷下ろしや船頭の休憩場所になっていました。疏水船の乗下船場になってから、あずまやが作られ、トイレが新しくきれいになりました。
船が運航する日だけ運航会社の人が数人来ていて、乗船の手続きをしてくれます。
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乗船する便の前の船が通り過ぎて行きました。
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次の便にここで乗船して、すぐに諸羽トンネルに入ります。
当初の疏水はこの左側に大きく曲がって作られていましたが、JR湖西線の線路を通すために1970年に諸羽トンネルを掘って疏水を直行させ、元の疏水は埋め立てられました。
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トンネルの中。上から水がかかることもあると言われましたが、船には透明の屋根もあって、水は落ちてきませんでした。
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毘沙門堂に向かう道の安珠橋の下を通り、洛東高校を右に見て、安祥寺川と立体交差をして進んで行きます。元からあった安祥寺川は疏水の下側を通して流れるようになっています。
この辺り、春は桜と菜の花が咲き揃って、とても見事な景色となります。
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イケメン・ガイドさんが周辺の見どころを説明してくれます。
奥に本圀寺正嫡橋の朱塗りの欄干が見えます。朱塗りと金ぴかのお堂が並ぶ日蓮宗のお寺です。
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両側に木が繁って緑が気持ちいい森の中を疏水はゆったりとカーブしながら進み、天智天皇陵の裏側を通っていきます。
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長さ124mの短い第二トンネルに入って行きます。東口の上には井上薫揮毫の「仁以山悦智為水歓(じんはやまをもってよろこび、ちはみずのためによろこぶ)」の扁額が彫られています。仁者は動かない山によろこび、智者は流れゆく水によろこぶの意の論語の言葉です。
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トンネルの西口には、馬蹄型の口の上に西郷従道の揮毫で、「随山到水源(やまにしたがいてすいげんにいたる。山に沿っていくと水源にたどり着く)」という漢詩の一節の扁額があります。
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第三トンネルの手前に小さな橋が見えてきました。
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これは、日本で初めて造られた鉄筋コンクリート製の橋です。手すりは保護のために付けられているもので、下の台板のみが当初の橋です。
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横の土手に石碑が立っていて、日本初のコンクリート橋であることを顕彰しています。
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850mの第三トンネルの東口には、松方正義の揮毫で、「過雨看松色(かうしょうしょくをみる)」という漢詩の一節が彫られています。時雨が過ぎると一段と鮮やかな松の緑を見ることができるいという意味です。
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西口には、三条実美の揮毫で「美哉山河(うるわしきかなさんが)」という史記からの一節が書かれています。
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第三トンネルを出ると、そこが蹴上の乗下船場で、疏水船の終着地です。
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船着き場の横には、堂々としたレンガ造りの建物、旧御所水道ポンプ室があります。
なお、疏水船の運航は春3月から6月と、秋10月から12月です。