30年ほど前に現代思想のブームがあり、ニューアカデミズムともよばれた。浅田彰らによって、構造主義を越えるポスト構造主義というフランス現代哲学の潮流がクローズアップされていたのだが、そもそもその越えるべき構造主義とはなんだったのかがよくわかっていなかった。構造主義のいう構造というものを主張したのが文化人類学者レヴィ=ストロースにより1962年に出版された「野生の思考」であり、それを中沢新一が本書で解説している。世界を行き詰らせているものの正体は何か、それを打破していくにはどのように思考を転換していったらよいかを示したものとして、19世紀にマルクスの「資本論」があったとすれば、20世紀はレヴィ=ストロースによる「野生の思考」があるという。さらに、この本はこれから新しく読み解かれるべき内容をはらんだ、21世紀の書物だとする。つまり、越えられたどころか、これから取り組むべき思想だとしているのである。
私なりに要約すると、人間の思考形態や様々な文化の形式は、新石器時代の昔から現代にいたるまで一定の形で維持されていて、それが「構造」というものだ。「構造」は人間の創造物だけでなく、自然界にも存在している、世界に普遍的なものである、となる。
本書のポイントをいくつか並べていきたい。
・未開人とよばれた先住民たちの儀礼や神話、婚姻制度ではたらいているのは、人間と自然という二つの並行したシステムの間の対応関係を見出し比喩表現を可能にしていく思考方法である。
・先住民は現代の植物学者をときにはしのぐほどの正確さで自然観察をおこない、その観察と実験は彼らの知る世界の全域に及んでいる。方法が違うだけで、その情熱は自然科学者の情熱と同じである。現代の科学者も先住民も同じく、このような知識の第一の目的は、実用性、つまり物的欲求の充足ではなく、知的要求に答えることにある。
・科学的思考は、抽象的な「概念」を組み立てることからはじまる。一方、ありあわせの道具材料を用いて自分の手で物を作ることをブリコラージュ=日曜大工という。先住民の思考は「記号」を用いてブリコラージュしていくことにある。シュルレアリストたちの芸術や現代アートの世界もブリコラージュである。
・しかし、「記号」の組み合わせで作られた占星術や錬金術のような呪術的思考は、「概念」で作られた科学の母体になったというのが科学史の考えである。つまり、それらはまったくの別物というわけではないのである。
・人類が人類となったそのときに作られた脳の構造を、私たち現代人もいまだに使って思考している。コンピューターという思考機械も基本設計は「野生の思考」をおこなう脳と少しも変わらない。すでに「野生の思考」の中で、電子計算機の発達による情報検索システムの発展を予見している。
・生命の進化や人類の知性の進化は、自分の手持ちの材料とプログラムだけを用いて、それらの組み合わせを新しくつくりかえることだけによって、つまり「ブリコラージュ」によって成し遂げてきた。
・中沢によると、「野生の思考」は日本にこそ生きている。例えば、職人の仕事、柳宗悦(むねよし)が「民藝」と呼んだもの、浄土真宗の他力思想、里山、ゆるキャラ、ポケモン、日本料理、市場、がそうであり、自然物が語りかけようとしているメッセージを聴き取り、特殊なコードによってそれを理解し、それを内側から外側へと取り出す営為と言える。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます