わが町の菊名池を源流とする菊名川(ほぼ暗渠)について、2週にわたって上流から下流までたどってみました(2024年6月9・16日)。
かつて広大だった菊名池(菊名池の南半分は現在、菊名プールとなっている)を源流として南方向に流れている川、足洗川について先日レポートしました。今回は、菊名池から北方向に流れている川・菊名川を、上流から下流までたどってみましたのでレポートします。菊名池には流れ込む川はなく、池に水が湧いていると言われています。菊名池のどこにその湧いている場所があるのかはわかりませんが、おそらく人が入れないようになっている西側斜面のあたりに湧水ポイントがあるのではと想像します。今回も、書籍「横浜・川崎・鎌倉凸凹地図」という強力な資料を頼りに、菊名川の川跡を追跡しました。長いので、前半と後半に分けて、前半を今回紹介します。
この日(6月9日)の菊名池には、カルガモが2羽だけいます。うまくいっていれば、今が抱卵の時期で、7月前半にヒナが見れるでしょう。ときどき誤解がありますが、菊名池は町としては菊名ではなく妙蓮寺にあります。
菊名池の北側の片隅に柵で囲われた場所があり、おそらくそこに出水口があるものと思われます。
菊名池から道を隔てたところに階段があって、5mほど下ったところから菊名川の暗渠が始まります。こんな高低差があるということは、昔は滝になってたんでしょうか。
菊名駅のある北に向かって歩いていきます。
暗渠を少し歩くと、もう一度階段を上ります。階段はこれが最後で、あとはずっと平坦です。
暗渠脇によくある花壇と自動車進入禁止のポールがあります。
東横線のそばに来ました。
菊名駅方向に向かって、東横線わきを暗渠が流れます。
ここで、線路下を越えます。
菊名駅方向に向かって続きます。
二股になっていて、横浜線の架線下をくぐるか、左に行くかですが、地図上では暗渠は二股に分かれるようです。とりあえず左に行きます。
暗渠近くで見ることの多い、戦後建てられたような古い建物がありました。アパートには、今も住まわれているかもしれません。
ここで横浜線下をくぐります。
菊名駅東口前の旧綱島街道。
このあたりで暗渠は東口から西口へと東横線を横切りますが、正確な場所は判然としません。ここに歩行者用横断橋があるのですが、工事中のため、
菊名駅の東西通路を経由します。こういうアングルで写真を撮っていると捕まるんじゃないかと、ちょっとビクビクでした。
工事中の歩行者用横断橋の反対側。
方角は北西に向かいます。この二股は左に行きます。
次の二股も左に行きます。
すると、暗渠でよく見る石(レンガ)造りの花壇が始まりました。
で、ここに橋があるわけです。八杉神社の神橋で、菊名川の上に架けられていたのですが、菊名川が暗渠化して歩道となったので、じゃまにならないように横に移動させたそうです。写真左のほうには八杉神社のほか、本乗寺、小田原北条氏の家臣が居城とした小豆戸城跡がある丘になっています。このあたりはいずれ散策してみようと思います。
八杉神社の由緒書きを撮影しましたが、スマホのカメラがバグって、写真が縦横4分割されて位置が入れ替わっています。じつはこういうことが、神社や寺を撮影するとときどき起こります。原因はわかりません。今回、そういう写真を初めて公開しました。
菊名川暗渠は続きます。
セブンイレブン十字路の前で、90度右に折れ曲がります。
そして、東海道新幹線の架線下をくぐって鶴見川方向に進みます。新幹線の手前では、別の川である烏山川の傍流とおぼしき川と合流します。それも含めて、続きは後半でご紹介します。
という援軍もあるので、この暗渠追跡は
楽しいですね。
いかにもこれは暗渠でしょうという
分かりやすいところもあれば、地図でも
なければ外見からはよくわからない
ところもあったりして、楽しいものですね。
3枚目の画像の階段を下ってそこから
暗渠が始まるところなんてワクワク
します。その先でいきなり暗渠が
始まるわけですが、いかにも暗渠
な細い流れ。右へ左へと曲がって
楽しいですね。
鎌倉市内も暗渠は多いのですが、
暗渠地図でも追わない限り、追いきれない
ところが多いです。
足洗川の上流部の貧弱さに比べると、菊名川は最上流部から川幅がわりとあってしっかり残っています。
最初のいきなり落差があるところはおもしろいですね。
「大倉精神文化研究所」というところのウェブサイトで八杉神社の神橋のことが紹介されていて、その中で菊名川のことが書かれていたので引用しておきます。
「用水路(菊名川)は、菊名池から流れ出たもので、菊名周辺の丘からの湧き水を集めて鶴見川へ向かって流れていました。カワセミもやってくる清水は、農業が盛んだったころは貴重な潅漑用水でした。古くはお参り前の潔斎にも使われたのでしょうか? やがて都市化が進み、農地は減ります。下水道の整備が遅れ、用水路は家庭雑排水で汚れていき、ついに水利権が放棄されて昭和50年代に暗渠となりました。 用水路を埋めた跡は歩道になりました。歩道をまたぐ神橋は通行の邪魔になったのですが、神社の橋なので、取り壊すのではなく山際に少しずらして移設しました。」
橋が残っていることがたまにありますが、
わずかな距離でも移設までされてしまうと、
路上を歩いている我々には、もともとの
川の位置がわからなくなってしまい
ますよね。
でも暗渠や道路の工事の当時の考え
として破壊してしまうには惜しい
ということだったのでしょう。
今回の神橋もなかなかかわいらしい(笑)。
我々は、こうした橋を、眺めて楽しむ
といたしましょう。
そうなんです、最初見たときは、現在神橋のあるところに菊名川が流れていたのだろうと思ってしまいました。そうではないことが、この立て看板の由緒書きや大倉研究所のHPを見てわかりました。
それにしても、この神橋からはパワーが出ていそうです。近いうちに、神橋をうやうやしく渡って八杉神社に参拝したいと思います。