夫婦という,人間関係の中ではミニマムな単位を,「会話」と「会話をしないこと」と「絵」を使って描いた,橋口亮輔監督の新作は,生きることの意味と支え合うことの素晴らしさを描いて,一頭地を抜いている。
俳優同士の間で交わされた微かな息づかいが,適切に選択された映画技法によって見事にスクリーンに再現され,切なさという言葉では表現しきれない感情が,観るものの胸にこみ上げてくるはずだ。
リリー・フランキーと木村多江の主役二人が演じる夫婦のあり様を,長回しで捉えたシークエンスが2つ用意されている。
一つは冒頭,「ちゃんとしたい」妻と「ちゃらんぽらんな」夫の掛け合いを,ほとんどアドリブなのではないかと思われるくらいリアルな会話でじっくりと描いた場面。
もう一つは,終盤2時間弱くらいのところで,「ちゃんとしたかった」妻が崩れ落ちそうになるところを,夫が「小さい手」で支えようとする場面。
どちらも緊張感と哀しみに満ちた素晴らしいシークエンスだが,この二つを繋ぐ夫婦の年月に観客が思いを馳せていると,音楽を担当したAkeboshiの軽快なテーマに乗って,極彩色のフラッシュバックが始まる。
どうやら昔は絵を描いていたらしい妻が,旧知の寺の天井画を依頼されたことを契機に日本画に挑戦し,夫との関係を「ちゃんと」立て直し,自らの心の平穏を取り戻していく姿を捉えた短いショットの数々は,そのひとつひとつがショートフィルムとして自立出来るだけの強さと奥行きを持っている。
美しい日本画が出来上がっていく過程に合わせて積み上げられる二人の姿は,法廷で繰り広げられる悲劇と,それを生み出した社会の歪みに押しつぶされていく人々に,ただ「寄り添うこと」の素晴らしさを静かに伝えようとすることで,自らを助けようとしているように見える。
この見事なフラッシュバックと,上記二つのショット及び妻の家族が揃った実家の部屋を捉えた最後の長回しとの対比は,映画という表現様式の特徴を余すところなく伝え,静と動の鮮やかな切り返しが生み出す効果は,凡百のアクションシーンよりも胸躍らされるものであることは間違いない。
リリー・フランキーという人は,ひょっとすると文章を書くことよりも,絵を描くことよりも,演じることを通して素をさらけ出すことを職業とする役者が天職なのかもしれない,と思わせるような存在感を見せている。
浴室で木村多江が夫に対して行う悪戯をされてみたい,と感じた中年男は,私だけではなかったはずだ。勿論,される相手は木村多江に限っての話しだが。
評判に偽りなしの傑作だと思う。
俳優同士の間で交わされた微かな息づかいが,適切に選択された映画技法によって見事にスクリーンに再現され,切なさという言葉では表現しきれない感情が,観るものの胸にこみ上げてくるはずだ。
リリー・フランキーと木村多江の主役二人が演じる夫婦のあり様を,長回しで捉えたシークエンスが2つ用意されている。
一つは冒頭,「ちゃんとしたい」妻と「ちゃらんぽらんな」夫の掛け合いを,ほとんどアドリブなのではないかと思われるくらいリアルな会話でじっくりと描いた場面。
もう一つは,終盤2時間弱くらいのところで,「ちゃんとしたかった」妻が崩れ落ちそうになるところを,夫が「小さい手」で支えようとする場面。
どちらも緊張感と哀しみに満ちた素晴らしいシークエンスだが,この二つを繋ぐ夫婦の年月に観客が思いを馳せていると,音楽を担当したAkeboshiの軽快なテーマに乗って,極彩色のフラッシュバックが始まる。
どうやら昔は絵を描いていたらしい妻が,旧知の寺の天井画を依頼されたことを契機に日本画に挑戦し,夫との関係を「ちゃんと」立て直し,自らの心の平穏を取り戻していく姿を捉えた短いショットの数々は,そのひとつひとつがショートフィルムとして自立出来るだけの強さと奥行きを持っている。
美しい日本画が出来上がっていく過程に合わせて積み上げられる二人の姿は,法廷で繰り広げられる悲劇と,それを生み出した社会の歪みに押しつぶされていく人々に,ただ「寄り添うこと」の素晴らしさを静かに伝えようとすることで,自らを助けようとしているように見える。
この見事なフラッシュバックと,上記二つのショット及び妻の家族が揃った実家の部屋を捉えた最後の長回しとの対比は,映画という表現様式の特徴を余すところなく伝え,静と動の鮮やかな切り返しが生み出す効果は,凡百のアクションシーンよりも胸躍らされるものであることは間違いない。
リリー・フランキーという人は,ひょっとすると文章を書くことよりも,絵を描くことよりも,演じることを通して素をさらけ出すことを職業とする役者が天職なのかもしれない,と思わせるような存在感を見せている。
浴室で木村多江が夫に対して行う悪戯をされてみたい,と感じた中年男は,私だけではなかったはずだ。勿論,される相手は木村多江に限っての話しだが。
評判に偽りなしの傑作だと思う。