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映画「ローマ法王の休日」:予定調和のコメディと見せかけて突き放す,モレッティの巧みな技

2012年09月16日 11時30分34秒 | 映画(新作レヴュー)
イタリアの才人ナンニ・モレッティの新作は「ローマ法王の休日」。そう,邦題は紛れもなくあのウィリアム・ワイラーとオードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックが,赤狩りにあったドルトン・トランボが変名で書いた脚本の元に集結して作り上げた,ユーロ危機も首相のスキャンダルもなかった(しかしパパラッチだけは存在していた)古き佳き時代のローマを永遠にスクリーンに留めた「ローマの休日」のパクリだ。
あのフィルムにあった心浮き立つような寓話を期待して劇場にやって来た観客のおそらく8割方は,ラストシーンさえ違ったものであったならば,満足して帰途に着けたはずだ。だが,シンプルな予定調和をすんなりとは受け容れなかったところにこそ,モレッティの真骨頂はある。

ローマ法王が亡くなり,後継者を決めるための秘密投票(コンクラーヴェ)が行われるところから,物語は始まる。今の法王を決める際に日本でも盛んに報道されたが,コンクラーヴェ=「根比べ」と揶揄されるほどこの儀式は時間がかかる上に,その途中経過が公開されないため,世界中のカトリック教徒は投票の会場となるシスティーナ礼拝堂の煙突から出る煙の色(まだ審議中か決定したかで色が変わる)をひたすら見つめ続けることとなる。

新法王決定を待ちわびる人々やカトリック社会の盛り上がりを,実際のニュースフィルムも交えて描いたと思しきスピーディーな導入部から,新法王に選ばれたメルヴィル(ミシェル・ピッコリ)が「法王」の重圧に耐えかねて,閉じ込められていた礼拝堂から逃げ出す場面までの展開は,「コメディ」として完璧だ。
特に世界中から集まったどの枢機卿も,実は「自分だけは選ばれませんように」と神に祈っているというエピソードは,バチカン内の権力闘争のイメージと現実との隔たりを揶揄して,じんわりと笑わせる。

そこからバチカンの街中でメルヴィルが経験する出会いを描いた本編部分は,まさに老人枢機卿版「ローマの休日」そのものだ。
彼を法王候補とは知らず,市井の一老人として親切に接する人々とのやり取りは,もしもラストシーンさえ異なったものであったならば,極上の感動を奏でるための巧みな伏線として機能していたことだろう。

だが真のシネアストであるモレッティは,法王版「ローマの休日」の体裁を踏み切り板に使うことで,「ノブレス・オブリージュ」(高貴なるものの務め)と,「豆腐屋だから豆腐しか作れない」と語った小津安二郎の生き方のどちらをも視野に入れた,人生の選択をシニカルに描いて,観客を奈落の底に突き落とす。ミシェル・ピッコリの困り果てた顔こそが,リアルな人生そのものなのだ。
★★★☆
(★★★★★が最高)


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