子供はかまってくれない

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映画「十三人の刺客」:三池崇史流「娯楽映画」極まる

2010年11月05日 20時57分51秒 | 映画(新作レヴュー)
多作で鳴らす三池崇史の作品をすべてチェックしている訳ではないので,あまり偉そうなことは言えないのだが,これまで観た作品の中では「常識や想像を超えたもの」の恐怖を描いたホラー映画「オーディション」が圧倒的だった。観るものを生理的に追い詰める「動く袋」を捉えたショットは,並のホラー映画が裸足で逃げ出す恐ろしさだった。
東映の往年の傑作といわれる工藤栄一の旧作(残念ながら未見)のリメイクである本作の冒頭には,その「オーディション」を彷彿とさせるような怖ろしいシークエンスが据えられている。

ただし,そこから生まれる感情は「恐怖」ではなく,本作の肝となる明石藩主松平斉韶(稲垣吾郎)に対する純粋な「憎悪」だ。両腕と両足を切り落とされた女と,人間を的に弓の練習をする斉韶の姿を共に正面から捉えたショットが,観客を説明抜きにこのパワフルな物語へと誘う導火線となっている。
この見事な導入部から,帰ってきた夫をやさしい表情で迎え入れる吹石一恵を切り取った最後のワンカットまで,何某かの教訓や示唆や哲学をあえて拒否したような,実にシンプルな勧善懲悪劇が繰り広げられる。その潔さは,主人公の新左衛門(役所広司)のもとに駆け付ける12人の仲間の心情と,同時に,斉韶の目を覆うばかりの残忍さの描写にも呼応している。

話題を呼んだ殺陣は,確かに気力だけで終盤の坂を駆け上るマラソン選手を撮った映像のような,息詰まるような迫真力に満ちていた。ただ一人,「東映時代劇」の匂いを放ち続けた松方弘樹を除いては,立ち回りの様式を見せるというよりは,たったの13人で200人を超える侍を斬りまくることとは,実際にはどれだけハードな作業なのかを,丁寧に動画で解説しているかのような50分間だった。
13人という人数の微妙さゆえ,黒澤明の「七人の侍」にあったような登場人物の細やかな描き分けはなされないが,役所広司をコンダクターとする役者の連携は磐石。岸部一徳に振られたコメディ・リリーフの一部を,古田新太が担っていれば,という恨みはあるが,キャスティングの妙は充分に感じさせるチームとなっていた。

更にアクションシーンをひときわ輝かせていた宿場のセット,遡って冒頭の江戸城の美術の出来映えには,驚嘆させられた。火の見櫓とそれを取り囲む旅籠のロングショットから,逃げ出した明石藩の武士を追って路地で繰り広げられた殺陣のシークエンスまで,お伽噺のような物語に重しを与えていたのは,間違いなく林田裕至を中心とした美術スタッフの素晴らしい仕事だった。

開巻アップで捉えられる内野聖陽の切腹シーンに漂っていた「何か凄いことが始まりそうだ」という予感は,かなりの程度で当たったと言える。三池劇場のリスタートだ。
★★★★
(★★★★★が最高)


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