もの凄く地味な終末SF映画だ。ほとんどのシーンはモノクロームと言っても良い色調で撮られ,文字通り「ロード・ムービー」の途中で起こる幾つかのエピソードには起承転結がない。主演の二人の親子(ヴィーゴ・モーテンセンと)と回想シーンのみに登場する妻=母役のシャーリーズ・セロン以外の出演者は皆,一つか二つのシークエンスしか出番がなく,物語のクライマックスを盛り上げるための伏線といったものも存在しない。
にも拘わらず,ラストシーンに静かに訪れる救済は感動的だ。「火を運ぶ」ことの重みと,神と「善き人」の関係を巡る葛藤が,ニック・ケイブ(とウォーレン・エリス)が紡ぐ静かな旋律によって,フィルムにしっかりと刻印されている。
原作はコーマック・マッカーシーのピューリッツァー賞受賞作。未読だが,主人公の父親(モーテンセン)と途中で出会う老人(ロバート・デュバル)が「神の存在」を巡って言葉を交わすシークエンスには,同じ作者の作品でコーエン兄弟が映画化した「ノーカントリー」に似た硬質の緊張感が漂っている。
物語の発端となる,世界が変調を来した原因に関する説明が一切ないこと,更に,人間が「人間」のまま人肉を食らう「ゾンビ」状態になっているという,本来は「ホラー映画」に変質していってもおかしくないような展開のどちらにも,ある種の整合感が感じられるのも,「ノーカントリー」に出てきた殺し屋の描写が持っていた「妙に現実的な説得力」に通じるものがある。
だが,この映画を展開の単調さ,そして単純な善悪の峻別という陥穽から救うのに功績があったのは,ジョン・ヒルコートの余計なものを削ぎ落としていくような演出と,素晴らしく丁寧なプロダクションだろう。特にCGを使っていないという廃墟や荒野の描写には,ロング・ショット一発で親子の受難を象徴するような喚起力があった。見方によっては,モノクロームで音楽の伴奏だけがついたサイレント映画と言っても通じるような佇まいの作品を,説明過剰な作品が横行する時代に敢えて問うた勇気を買う。
★★★★
(★★★★★が最高)
にも拘わらず,ラストシーンに静かに訪れる救済は感動的だ。「火を運ぶ」ことの重みと,神と「善き人」の関係を巡る葛藤が,ニック・ケイブ(とウォーレン・エリス)が紡ぐ静かな旋律によって,フィルムにしっかりと刻印されている。
原作はコーマック・マッカーシーのピューリッツァー賞受賞作。未読だが,主人公の父親(モーテンセン)と途中で出会う老人(ロバート・デュバル)が「神の存在」を巡って言葉を交わすシークエンスには,同じ作者の作品でコーエン兄弟が映画化した「ノーカントリー」に似た硬質の緊張感が漂っている。
物語の発端となる,世界が変調を来した原因に関する説明が一切ないこと,更に,人間が「人間」のまま人肉を食らう「ゾンビ」状態になっているという,本来は「ホラー映画」に変質していってもおかしくないような展開のどちらにも,ある種の整合感が感じられるのも,「ノーカントリー」に出てきた殺し屋の描写が持っていた「妙に現実的な説得力」に通じるものがある。
だが,この映画を展開の単調さ,そして単純な善悪の峻別という陥穽から救うのに功績があったのは,ジョン・ヒルコートの余計なものを削ぎ落としていくような演出と,素晴らしく丁寧なプロダクションだろう。特にCGを使っていないという廃墟や荒野の描写には,ロング・ショット一発で親子の受難を象徴するような喚起力があった。見方によっては,モノクロームで音楽の伴奏だけがついたサイレント映画と言っても通じるような佇まいの作品を,説明過剰な作品が横行する時代に敢えて問うた勇気を買う。
★★★★
(★★★★★が最高)