子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

マイケル・ジャクソンの悲報から3週間:「Cupid & Psyche 85」へと繋がった道

2009年07月20日 10時16分45秒 | Weblog
パソコンのハード・ディスクとiPodに「スリラー」が入ってはいるが,持っているCDは「BAD」だけ。ライヴに行ったこともなければ,ムーンウォークの真似をしたこともない(どうせ出来ないだろうし)という,マイケル・ジャクソン教「非信者」の私だが,マイケル逝去の報にはやはり衝撃を受けた。

初めて「スリラー」のヴィデオを観た時,「狼男アメリカン」を撮ったジョン・ランディスを起用した必然性は何処に?となかば首を傾げつつも,勃興期にあったミュージック・ヴィデオの可能性を拡げるべく,楽曲とゾンビが踊る斬新な踊りとをパッケージにして,長尺のプロモーション・ヴィデオという新しいフォーマットで売り出すという発想は,マイケル・ジャクソンだからこそ,と舌を巻いたものだった。
結局,パッケージ商品としてのミュージック・ヴィデオは,嚆矢となるはずだったこの「スリラー」を頂点として,そこからは緩やかな下降線を辿ることとなったのだが,ヴィジュアルを音楽を伝えるための補助工法以上のものとして採り上げた功績は計り知れない。

だが,やはり私にとってのマイケル・ジャクソンの功績は,「オフ・ザ・ウォール」,「スリラー」そして「BAD」の3枚のアルバムに記録されている緻密なサウンド・プロダクションを,クインシー・ジョーンズと二人三脚で作り上げたイノベーターとしてのものだった。
だから,米国から伝えられた大勢の著名人のコメントの中でも,最も感慨深かったのは,「まるで弟を失ってしまったようだ」というクインシーの言葉だった。

マイケルの声を最大限に活かす,クリアな音像を作り出した二人のコラボレーションは,画期的なものだった。マイケルは,サム・クックやオーティス・レディングのような巧さと迫力を兼ね備えた大歌手に比べると,決して声量豊かとは言えない歌手だったが,その線の細さを逆手に取って,音の輪郭を活かして繊細な響きを強調する手法は,その後一般化していくデジタル機器によって構築されたソウル・ミュージックに,有形無形の影響を与えてきたと私は考えている。

特に「スリラー」に収録されている「P.Y.T.」のサビにおけるヴォコーダーの使い方や,続く「The Lady In My Life」におけるヴォーカルの音像が,後年,同じくハイトーンの声を持つグリーン・ガートサイド(=スクリッティ・ポリッティ)が発表した幾つかの美しいバラードへと繋がっていった道筋を追跡することは可能だと思うのだが,如何なものだろうか。

以上はあくまで私の勝手な推測だが,ついでに書いてしまえば,スクリッティ・ポリッティのセカンドアルバム「Cupid & Psyche 85」の制作時に,アレサ・フランクリンのプロデューサーだったアリフ・マーディンを迎えたことにも,マイケル=クインシー・コンビが影を落としている可能性がある。
最新の機材を駆使して創り出そうとした新しいサウンドにこそ,「スター・ウォーズ」におけるヨーダ宜しく,自らが師匠と呼べるような人物の判断が必要と考えたグリーンの頭には,先行する名コンビの存在があったかもしれない。どっしりと地に足を着けた独自のポップ感覚に溢れた宅録フォークソング集とも呼ぶべき,グリーンの(今のところの)最新作「White Bread Black Beer(2006)」を,そんな想像を巡らせながら聴くと,一層深く心に滲みてくるものがある。

マイケルも「BAD」以降のどこかの時点で,肩の力を抜いてこんな風に舵を切ることが出来たなら,と考えないでもないが,多分最後まで「KING」の称号を担い続けることが彼の選択だったのであろう。それもまたスーパースターの人生,と嘆息しつつ,合掌する。


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