◇ 旅の5日目で今回の旅行も後半の部に入り、ベルギーを巡る旅の初日、このブルージュ(Brugge)の街歩きでは、中世の街並みを形作る建築様式に注目しました。
今回の旅行は何かと街や公園を散策することが多く、それに加えてこの日は肌寒い中を一日中歩いていたせいか、何だか旅の疲れを感じた一日でもありました。
先のオランダでは街はどちらかと言えばレンガ敷の道、それがブルージュに入ると石畳の道で、足への負担の増加も疲労感につながったのかもしれません。
それでも「疲労感」は日中の街歩きの後のホテルで感じたこと、もちろん中世の栄枯盛衰がそこかしこに漂うブルージュの街を、この目にしっかりとどめた一日でした。
2018年4月13日(金)
□ ホテルの部屋の窓の外、中世の街並みらしい彩りの屋根が主流です。
□ ホテルの玄関
□ 何でも17世紀の修道院を改装したそうで、趣の感じられるホテルでした。
□ 世界遺産「ブルージュ歴史地区」を中心の街歩きでした。
まずはマルクト広場のウェスト・フランデレン州庁舎、壮麗なネオ・ゴシック様式です。
□ 鐘楼(Belfort)は13~15世紀の建造、高さ83mでそびえ立ちます。
ここも世界遺産(ベルギーとフランスの鐘楼群)だそうです。
□ 市庁舎(Stadhuis)、1420年竣工でフランボワイヤン・ゴシック様式
□ 聖血礼拝堂 (De Heilige Bloedbasiliek) ロマネスク様式
12世紀の十字軍に参加したフランドル伯ティエリー・ダルザスが、
コンスタンチノープルから持ち帰ったとされる「聖血の遺物」
これが祭壇に収められています。
□ さて、どこに聖血の遺物は収められているのか…。
□ 美しいステンドグラスには目を奪われました。
□ ブルージュは運河の街、北のベニスとも称されます。
12世紀頃にはヨーロッパ随一の貿易港になり、繁栄を謳歌しました。
ところが15世紀になると海流の関係もあるのでしょうか、
港が土砂の堆積により浅くなり、ついには大型船の出入りが不可能となりました。
中世の経済の中心としてのブルージュの終焉です。
□ いつしかブルージュは、歴史の舞台からも欧州の人々の記憶からも消えて行きました。
□ その結果、ブルージュはこうした中世の街並みや運河を今に残すことになった訳です。
□ 聖母教会 (De Onze-Lieve-Vrouwekerk)
13~15世紀に建てられ、塔の高さは122m、街のどこからでも見えました。
□ 礼拝堂はとても美しい内装でした。
□ ブルゴーニュ公国のシャルル突進公と娘のマリー・ド・ブルゴーニュの霊廟
□ ブルゴーニュ家最後の父娘が眠ります。
□ 聖母教会だけに、ここには聖母子像がありました。
□ ミケランジェロの彫刻、静寂と安らぎが感じられました。
□ その後、ボートで約30分の運河巡りでした。
□ この頃は風がとても冷たくて…あとで体調をやや崩しました。
□ どこを切り取っても、典型的な中世の街並みでした。
□ 首をすくめてくぐる橋もいくつかありました。
□ 安野光雅さんの「旅の絵本」の彩りを思い起こしました。
□ 運河の行き止まりファン・アイク広場、ポールテルス・ロッジが見えました。
□ 運河巡りのボートからの聖母教会です。
□ 寒くてもたいへん印象に残る運河巡りでした。
□ 運河巡りが終わって、またしばし街歩きでした。
□ ベギン会院 (Begijnhof)
「フランドル地方のベギン会修道院群」として世界遺産に登録されています。
この水仙の群生とその向こうの建物に心が洗われました。
□ 愛の湖公園は、中世のブルージュの内港だったところだとか。
午前中の街歩きはこれでお仕舞い、午後はフリータイムでショッピングを楽しみました。
+----+----+----+----+----+----+----+----+----+----+----+----+----+----+----+----+
これは翌朝14日(土)、朝食後にちょっとだけ散歩に出ました。
□ ホテルの近くの公園では朝市が開かれていました。
このメロンを買って、最終日のブリュッセルのホテルで頬張りました。
□ バラを始めとして、切り花はどれも美しかったです。
□ 手前の紫色の花は何でしょうね。
□ ラナンキュラスも色とりどりで、
こちらでは見かけないような花の色でした。
□ ポット苗も買って帰りたいくらいでした。
□ どれもこれもおいしそうでした。
□ スイーツがたくさん!
□ チーズ屋さん…などなど。
□ そして朝霧のブルージュをあとにしました。