□ 北鎌倉円覚寺の境内(ヒメツルソバの大群生)
◇ 鎌倉歩きの続きです。
鎌倉駅前から鶴岡八幡宮まで小町通りを歩きました。
□ ホントに月曜日は人通りがもう一つです。
私が肩で風を切り、颯爽と歩いたくらいですから。
◇ 両側にお店が並びます。
左右の路地に目をやれば、割烹・料亭から、カジュアルな料理店、
それにごく普通の食堂風のお店まで、様々です。
□ 小町通り
◇ 私は、歩みは鈍いのですが、買物と食い物探しはパパパッと早いのです。
すぐに何とかセットにありつきました。
うどんに、ちりめんをのせたご飯、そして紅葉の天ぷら。
トドでもお腹はいっぱいになります。
それ以上に、あっさり味で一瞬関西風かと思いました。
こういった素朴なお昼がおいしく感じるのも、鎌倉ならではです。
□ あっさり味は、お兄様の健康に一番なのです。
◇ その後、左右をきょろきょろと落ち着き払って歩いていると、
すぐに鶴岡八幡宮、朱塗りの「三の鳥居」です。
◇ 向こうに新装なったパチンコ屋ならぬ「舞殿」が見えてきました。
屋根の葺が真新しく、とても落ち着いた趣でした。
◇ そして、石段の向かって左の大銀杏、樹齢千年。
辿ること約八百年、建久七年(1219年1月27日)の鶴岡八幡宮拝賀の日。
鎌倉幕府は、ときの征夷大将軍、源実朝に訪れた悲劇。
大銀杏に隠れていた甥の公暁(兄頼家の子)に暗殺されたと伝わっています。
絶命したのは、この石段だったのでしょうか。
◇ 万葉以来の歌詠みでは天下一と、正岡子規に称えられた実朝。
その和歌のいくつかは、歌碑となって鎌倉の街で見ることが出来ます。
歌を忘れましたが、たとえば鎌倉文学館の入口あたりにひっそり…。
□ 源実朝(1192-1219)
◇ 鎌倉の勇猛な武将でありながら、もののあはれに通じている粋な歌人。
実朝の在りし日の歌を思い浮かべながら、八幡宮の石段を登ります。
(una poesia di oggi)
世の中は常にもかもな渚漕ぐ あまの小舟の網手悲しも 源実朝
大海の磯もとどろによする波 わけてくだけてさけて散るかも 同
くれなゐの千入のまふり山の端に 日の入る時の空にぞありける 同
◇ そして、鎌倉と言えば、この歌ですね。
名勝の地がすべて入っているような気がします。
□ 鎌倉駅への帰り道、ポストの前で振り返りました。
(una poesia di oggi)
鎌 倉 芳賀矢一
七里ヶ浜の磯伝い 稲村ヶ崎名将の 剣投ぜし古戦場
極楽寺坂越え行けば 長谷観音の堂近く 露座の大仏おわします
由比の浜辺を右に見て 雪の下村過行けば 八幡宮の御社
上がるや石のきざはしの 左に高き大銀杏 問わばや遠き世々の跡
若宮堂の舞の袖 しずのおだまきくりかえし かえせし人をしのびつつ
鎌倉宮にもうでては 尽きぬ親王のみうらみに 悲嘆の涙わきぬべし
歴史は長き七百年 興亡すべてゆめに似て 英雄墓はこけ蒸しぬ
建長円覚古寺の 山門高き松風に 昔の音やこもるらん
◇ いちみさんざん北条氏 1333年鎌倉幕府が滅びる。
よく語呂合わせで年代を覚えたものです。
新田義貞の鎌倉攻め、それがこの年、その古戦場が七里ヶ浜や稲村ケ崎等々。
(una poesia di oggi)
七里濱 夕日漂ふ波の上に 伊豆の山々果し知らずも 西田幾多郎
◇ なつかしい長谷寺に由比ヶ浜に成就院、紫陽花の美しさに息をのんだ頃…今いずこ。
今回の旅歩きの最後は、北鎌倉の円覚寺。
まだ紅葉には早くて、でもあちらこちらに新しい発見が…。
◇ 山野草の園内に入りました。
◇ なにもかもぎっしり詰まった三日間。
その中で、最後の最後にヒメツルソバの群生には感動を通り越してました。
いつ訪れても思い出の鎌倉。
それを積み重ねて、様々な思いを馳せて…歴史は人。
結局、鎌倉ゆかりの人々に思いを致す一日でした。
◇ 明日23日は、福岡県に紅葉を探しに行きます。
□ 燃えるような夕焼けとともに日が暮れて行きました。
(2007年11月22日)
◇ 鎌倉歩きの続きです。
鎌倉駅前から鶴岡八幡宮まで小町通りを歩きました。
□ ホントに月曜日は人通りがもう一つです。
私が肩で風を切り、颯爽と歩いたくらいですから。
◇ 両側にお店が並びます。
左右の路地に目をやれば、割烹・料亭から、カジュアルな料理店、
それにごく普通の食堂風のお店まで、様々です。
□ 小町通り
◇ 私は、歩みは鈍いのですが、買物と食い物探しはパパパッと早いのです。
すぐに何とかセットにありつきました。
うどんに、ちりめんをのせたご飯、そして紅葉の天ぷら。
トドでもお腹はいっぱいになります。
それ以上に、あっさり味で一瞬関西風かと思いました。
こういった素朴なお昼がおいしく感じるのも、鎌倉ならではです。
□ あっさり味は、お兄様の健康に一番なのです。
◇ その後、左右をきょろきょろと落ち着き払って歩いていると、
すぐに鶴岡八幡宮、朱塗りの「三の鳥居」です。
◇ 向こうに新装なったパチンコ屋ならぬ「舞殿」が見えてきました。
屋根の葺が真新しく、とても落ち着いた趣でした。
◇ そして、石段の向かって左の大銀杏、樹齢千年。
辿ること約八百年、建久七年(1219年1月27日)の鶴岡八幡宮拝賀の日。
鎌倉幕府は、ときの征夷大将軍、源実朝に訪れた悲劇。
大銀杏に隠れていた甥の公暁(兄頼家の子)に暗殺されたと伝わっています。
絶命したのは、この石段だったのでしょうか。
◇ 万葉以来の歌詠みでは天下一と、正岡子規に称えられた実朝。
その和歌のいくつかは、歌碑となって鎌倉の街で見ることが出来ます。
歌を忘れましたが、たとえば鎌倉文学館の入口あたりにひっそり…。
□ 源実朝(1192-1219)
◇ 鎌倉の勇猛な武将でありながら、もののあはれに通じている粋な歌人。
実朝の在りし日の歌を思い浮かべながら、八幡宮の石段を登ります。
(una poesia di oggi)
世の中は常にもかもな渚漕ぐ あまの小舟の網手悲しも 源実朝
大海の磯もとどろによする波 わけてくだけてさけて散るかも 同
くれなゐの千入のまふり山の端に 日の入る時の空にぞありける 同
◇ そして、鎌倉と言えば、この歌ですね。
名勝の地がすべて入っているような気がします。
□ 鎌倉駅への帰り道、ポストの前で振り返りました。
(una poesia di oggi)
鎌 倉 芳賀矢一
七里ヶ浜の磯伝い 稲村ヶ崎名将の 剣投ぜし古戦場
極楽寺坂越え行けば 長谷観音の堂近く 露座の大仏おわします
由比の浜辺を右に見て 雪の下村過行けば 八幡宮の御社
上がるや石のきざはしの 左に高き大銀杏 問わばや遠き世々の跡
若宮堂の舞の袖 しずのおだまきくりかえし かえせし人をしのびつつ
鎌倉宮にもうでては 尽きぬ親王のみうらみに 悲嘆の涙わきぬべし
歴史は長き七百年 興亡すべてゆめに似て 英雄墓はこけ蒸しぬ
建長円覚古寺の 山門高き松風に 昔の音やこもるらん
◇ いちみさんざん北条氏 1333年鎌倉幕府が滅びる。
よく語呂合わせで年代を覚えたものです。
新田義貞の鎌倉攻め、それがこの年、その古戦場が七里ヶ浜や稲村ケ崎等々。
(una poesia di oggi)
七里濱 夕日漂ふ波の上に 伊豆の山々果し知らずも 西田幾多郎
◇ なつかしい長谷寺に由比ヶ浜に成就院、紫陽花の美しさに息をのんだ頃…今いずこ。
今回の旅歩きの最後は、北鎌倉の円覚寺。
まだ紅葉には早くて、でもあちらこちらに新しい発見が…。
◇ 山野草の園内に入りました。
◇ なにもかもぎっしり詰まった三日間。
その中で、最後の最後にヒメツルソバの群生には感動を通り越してました。
いつ訪れても思い出の鎌倉。
それを積み重ねて、様々な思いを馳せて…歴史は人。
結局、鎌倉ゆかりの人々に思いを致す一日でした。
◇ 明日23日は、福岡県に紅葉を探しに行きます。
□ 燃えるような夕焼けとともに日が暮れて行きました。
(2007年11月22日)
ヒメツルソバの群生地すごいですね。
ピンク色のカーテンが出来ています。
鎌倉もいろんな花を発見できて楽しいですね。
私も出かけてみたら花に注目してみよう。
夕べ夜中にブログ巡りしていて鎌倉はいいなぁってこっそり?折節さんのブログをあれこれ覗いていたら画像が変化していっておかしくなりました。
(あれ?なんでコメント入れなかったんだろう?あはは)
今日はこちらは快晴、そちらの紅葉巡りはいかがでしたか?
もしかして景色を見ずにグーグー寝てらしたとか?なんて。
神社仏閣って心が落ち着きいいですよね。
ヒメルツソバの絨毯、本当に凄いです。
折節さん、こんなに青空が広がっているのに傘を持ち歩かれたのですか
思わずチャップリンをイメージしてしまいました。
職場の旅行のパーキングで休憩の間に夕陽が沈んで行きました。
まだ、ここは福岡県。
紅葉を楽しみに職場の日帰り旅行の帰りです。
素晴らしい紅葉でしたよ。
たった一日の旅行でも、旅愁に浸る一日でした。
花に興味を抱き始めたら、今まで見えなかった美しさで、心が和みますね。
バスが高速道路を走り出しました。
一路大分へ。
小学校の先生が歌が好きで歴史とともに
いろんな古い歌を~~♪
これもその1つで~す!
もう2番までしか覚えていなかったので
たっぷりと時間をかけて懐かしい歌詞を・・・
もちろん、誰もいないPCの前で熱唱(?)しましたよ。
鎌倉は数年前に行って以来行ってないですが
やっぱり懐かしく思い出しますね~
ヒメツルソバがその時にそこかしこに咲いていて
その日にメモして覚えたんですが
こんなにすごいところがあるんですね~
今度行ったら見てこなくちゃ!
おうどんの味はいかがでしたか?
「つるつる」っとしたのどごしを味わって、
「鶴」岡八幡宮へお参りした後は
ひめ「つる」そ~ばい、というとこでしょうか?
そんな深読み、果たして正しいのかどうか自信がありませんが
洒落好きの折節さんですから案外なくもない、かな?
円覚寺、無学祖元、臨済宗、言葉が受験生のように
蘇ってきます。実朝はどこか道真や義経に重ねてしまう
ところがあります。その才能や人柄の良さ故に
儚く散ってしまった。。。。在りし日の歌と綴られていたので
素直に中原中也が出て来た私ですが、彼はお好きですか?
バス旅行の帰り、大分県に入って来ました。
今日は快晴、風も冷たくはなく、絶好の行楽日和でした。
やはり紅葉の美しさは格別で、満足感はほぼ100%、ビールに酔っ払って、ややふらついてますが…。
鎌倉、目をつぶるとあの色、この色、たくさんの色が思い浮かびます。
湘南海岸と鶴岡八幡宮に円覚寺は、私の鎌倉の定番になりました。
でも季節感に浸り、落ち着いた心地満点というところだから、少しでも鎌倉の風に吹かれていたいのでしょうね。
もうすぐ湯布院を通過します。
紅葉の美しさ、秋を満喫しての帰り道、バスの車内です。
外は暗いですが、ちょうど由布岳の麓辺りのはずです。
鎌倉の歌、懐かしいでしょう?
私もさすがに三番以降はごちゃまぜになってしまいます。
あれっ?ケータイのバッテリーが残り少なくなってきました。
別府湾の夜景が、今とてもきれいです。
ヒメツルソバ、円覚寺の花のベールは一級の芸術品ですね。
あの頃から二週間近く、円覚寺の紅葉も進んだでしょうか。
川端康成の千羽鶴、紅葉の葉っぱでなぜか思い出していました。
形が似てるかなあ。
今日は福岡県ば騒がして来ました。
その帰り道でバスの中でお返事をと思いましたら、携帯のバッテリーが…映画になるわけありませんね。
まず中原中也の詩は、特に高校生の頃だったと思います。
春の夜は はるかの彼方に 小石ばかりの 河原があって…
「一つのメルヘン」ですね。
確かこの詩を現代国語の教科書で学んで以来だったと思います。
それから、中原中也の詩にのめり込み、勢いで明治以降の(当り前ですが)近代詩人のいろんな詩を読みました。
島崎藤村から始まって、室生犀星や三好達治の詩を好んでいたように記憶しています。
全部、高校生の頃です。
国語のカテゴリーで興味があったのは詩の世界で、
古文に漢文は、いつも外出時に使うもの…靴ぅ?
そう、苦痛以外の何ものでもなかったのです。
「うどん」のことは、だいたいそのとおり、読まれてますね、どうも…。
浅読みでもわかりますよね。
次から直球一本で、単的に投げますよ。
あっ、順番が違ってて、食事して脚に栄養を与えて(ええように受け取って下さい)、
それから鶴岡八幡宮の参拝となりました。
おうどんは、一杯だけでお腹いっぱいでしたが…。
円覚寺は、行けば行くほど、歴史を紐解けばそれだけ、
深い歴史の味わいのある名刹だと思います。
ヒメツルソバの群生も、長い歴史の息吹を延々と伝えているのかもしれません。
そして、実朝のように天賦の才に長けた人物は、
歴史に名を残す運命にあるようです。
そして、道真公にしても義経殿にしても、
これだけ長く人々に語り継がれていると、
当のご本人達はご存じなんでしょうかねぇ。
びっくり~♪
しかもとっても綺麗~。
折節さんのカメラの腕と、目線もいいからだわね~。
いやぁ、それにしてもすごい。。。。見たことないわ。
円覚寺の植物に対する姿勢が、きっとすごいのでしょう。
円覚寺の歴史と自然、そこには「ヌシ」がいて、
あのお寺にふさわしい姿を引き出しているように思います。
千里の道も一歩から、千里中央は梅田から(御堂筋線で)。
ヒメツルソバのベールのような群生も、一粒の種から、
時間をかけて拡がって行ったのでしょう。
花の精があるとなら、いっそ幻想的と思ゆっくらい周りを覆ってほしかですね。
私は自在に発達している座高を調節して写真を撮ってるだけとですが…。